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 手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   
カテゴリー「作品:【千文字の饗宴】翠」の記事一覧

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『巡礼』

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『紙魚を飼う』

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『草原を駆るのは』

[解題]
家人も最後のセリフが気に入らなかったらしい。あまり抽象的に落とすのもどうかと思うし、探しに探したあげくあまり技術のない落とし所にポロッと行ってしまった感じ。技術不足だ。
個人の嗜好として『パンズ・ラビリンス』、『ローズ・イン・タイドランド』など陰湿な世界がすぐそばにある少女の内的世界ばかり見てきたためか、純粋に“陽”的なアリス世界を描くことが新鮮でもあった。 
叙述、イメージとしては津原泰水『バレエ・メカニック』の影響がにわかに感じ取れる。







『霞の美人画』

[解題]
読み返してみて『雪と夜のタブロー』のヴァリエーションにすぎないなと思うのはやまやまだが、こちらはこちらで蜃気楼の神秘性を醸し出そうとしていて両者の意義は別物であるといいきってもいいだろう。どちらかといえば舞台設定的に『水鏡の泉』の隣近所に位置づけられると思うのだが、どうでもいいことだ。
イメージソースとすれば『ウォーターホース』という映画があるだろう。霞の正体に関していくつかの推察が為されているがこれといった元ネタはない。むしろその時点で考えだした”現”ネタであろう。こういうのを考えているときがいちばん楽しいし、小出しにしていくのも人の悪い快感なのだ。







『木偶街道四号線を北へ』

[解題]
感傷的な流れを断ち切ろうという思いもあるが、ある意味では最もセンチメンタルな作品かもしれない。 のっけからシュールレアリスムを意識して描いた、というか作者イメージはあれである。『超兄貴』というゲームである。鮮烈すぎるマッチョイズムである。
人物名にはツツイストなりのオマージュが潜んでいるし、ここでも家獣が登場する。その造形は土俗的というより井上雅彦伯爵から盗んだビザールな雰囲気がある。いつかアニメ化したい、ヴィジュアル化したいと思っているので、どなたか技術を貸してくれませんか。








『水の不死鳥』

[解題]
不死鳥がなにを表しているかなんて恥ずかしくて語りたくないが、福島に生まれ福島に育ち福島のために働く男が、震災のあとに書いた作品なのである。言わずとも察せよう。
作品の中枢にはデヴィッド・リンチ『イレイザーヘッド』があって、神の玩具である岩石とはつまり映画の冒頭、消しゴム頭にダブって移される塊なのだ。それを踏まえれば、かの銀河の点滅が、本作の2人の子どものはしゃぎ声とダブって聞こえやしないかとそんなことを考えていた。
火ではなく水の、というといささか不謹慎なのかもしれない。しかし、電気の、放射能の、というよりかはまだ良心的だと思ってもらいたい。








『雪と夜のタブロー』

[解題]
幽霊モノである。
タイトルにあるタブローはぼんやりと夜道に浮かび上がる恋人の姿を指しているが、引用元はクリストファー・プリーストの『限りなき夏』である。それ以上書くことがなくて困っているが、だからといって思い入れが無いわけではない。







『仮想球をもつ男』

[解題]
ここにも平沢進の影響が見えるだろう。あるいは別口で書こうとしている連作集の前哨にもあたる。砂嵐のなかを独り歩いてくる謎の男、その姿にはどうも惹かれる。
冒頭こそそれらの善きヴァリエイションとして好調な出だしだったが、「和らぎたまえ」の一言で自身の短篇である『夜伽人』に寄せにいってしまった感がある。つまりは一度刻んだ轍にはまり、そのまま進行してしまったのである。だからこそ《仮想球》なるガジェットもずいぶんとこじんまりと収まってしまった。
ほんとうは頭蓋骨の中なんていう閉塞的な場所にあるべきものではないのだ。








『虹の街、モノクロ位相』

[解題]
時に世界はまばゆく感じるのである。今はそう容易にことばにできるが、執筆当時はこの話がなんなのか自分でもわからなかった。タイトルは平沢進『TOWN-0 PHASE-5』から来ているはずだ。色彩の猛襲という点ではまぎれもなく今敏監督作品のオマージュになるだろう。けれどもそれが破綻しているように思えるのは、暈色層主人の背後に実在する統治者の影が覗けるからだ。こういう現実を
半端に踏襲する作品は偉くもなければ、語り甲斐もない。
太陽がまぶしいのか、街がまぶしいのか、要はそれだけだったのに。








『午睡の女神』

[解題]
『○○の女神』というタイトルで真っ先に思い出すのは、筒井康隆『時の女神』以外になにがあろうか。『虹の女神』という題の映画があったろうが未観賞である。もっぱら前者から本作へと連なるネーミングニュアンスを崩されたくないからだ。
と仰々しく語ったところで本作の解題にはなるまい。本作は『時の女神』という作品の要素をなにひとつ受け継いでいないからだ。切なさ、という点では意識したかもしれないが。
本作で挑んだのはかつての自分である。まだ小説を書きだした頃の自分の文体を振り返ると、ある意味で清らかな透明度を感じることがある。こういう文が書けたのか、という驚きはそのまま、今は書けなくなってしまったという絶望を呼ぶ。しかしそれさえ意のままに操れてこそ文士であろう。その意気に任せるままに書いた。結果はご覧のとおり。勉強が必要だ。
璃子という名前は、透明度のある話で真っ先に思い浮かんだ本多孝好の初期短篇『瑠璃』(『MISSING』所収)から得た。








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職業:虚無員



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