47:チェリー
tanpen.jp/81/47.html
いいと思います。あると思います。
文章はまとまっていて、若干、“口に含んだ……”ところとか出来すぎな部分もありましたが、読んでいて苦笑するほどのものではない。
山口くんの行動と表情で、出来事がほのめかされるというパターンはありがちだけけれども、リアリティがあって良い。よくある話で安心するのだが、惹かれるものがないというのが欠点か。
背の低い山口くんとA型風美人の美奈子さんのキャラクターも良い。もう少し、美奈子さんについて具体的な書き込みをしてもらうと一層楽しめた。
46:アイスクリーム
tanpen.jp/81/46.html
シスコンですか。ほのぼのとしますね(笑)
もしかすると意図的ではないかもしれませんが、妹は死んだとミスリードしています。落差がなんともいえない味わい。
アイス離れと妹離れを対比させるのはいいですが、アイスクリームという季節外れのものをわざわざ持ち出している割りに、あまりうまく機能していないと思 う。詰まる話、タイトルに用いるほどアイスクリームでなければいけない理由がわからない。“こんな時期に……”っていう箇所に繋がるのだろうけど、物足り ない。ただ単にアイスクリームといってもイメージにつながらないし、これがソフトクリームだったらだったでまた変わってきたのだろうけど。
あと、視覚描写も乏しい。イメージ喚起を意識するだけで、もっと良くなると思う。
45:北へ
tanpen.jp/81/45.html
これもいい。何よりタイトルがいい。
“こんな風に笑う少女であった。”という一文も文学的で、いい。
だからか、地の文と会話がマッチしていないように感じた。台詞自体は今時な感じでもないのに、書き方が合っていない。
惜しむらくは彼女が描いた絵が何なのか触れていないこと。あえて触れなかったのかもしれないが、触れなかったメリットはない。具体的な描写はしなくとも、漠然としたものでいいからもう少し情報が欲しかった。
44:こどもが読んでも安心な、おとな向けの童話
tanpen.jp/81/44.html
シュールですな、いやベタですか。
まず、ネタは捻りがないので、特筆すべきところはない。
気になったのは、どの辺が“ごほうび”に値するのかというところ。奥様自体に財力はないのだろうし、領主様が何らかの処罰を男に受けさせることだってでき る。つまり、これみよがしに欲を披瀝してはいけないという寓話なのだろうか。違いますかそうですか。結局、奥様のたいそうな美しさによるものな訳ですね。
もう一ひねりが欲しいところ。
あと、文章で気になったのは漢字とひらがなの配慮が雑なところ。元気が読めなくて威厳が読めるこどもはなかなかいません。
43:伝奇「雷轟万化蛙物語」
tanpen.jp/81/43.html
文章は安定していますね。リズミカルで読みやすい。
徳によって変化するものが異なるというのはどこかで聞いた話だけれども、蛙というチョイスは成功していると思う。蛙のどこか憎めないキャラクターが作品とマッチしている。
変化する大きさというのが肝で、ラストに繋がるのだろうけど、そう考えるとミミズを出してきたのは蛇足かなあと。結局、上司に対する仕打ちと彼女の変化の二つのヴィジョンを合わせたのだろうけど、その二つの原理に齟齬がある。
伝奇という言葉はもともと戯曲を指すから、その意味合いで用いたのは好印象。鳥獣戯画にも通じるおかしみはある。
42:姉の首
tanpen.jp/81/42.html
こういうの流行なのでしょうか。
別に位置をずらさないためなら、まぶたを縫い付けるよりほかに考え付くでしょう。というのはいいとして。
冒頭から、姉の狂いが語りによって表現されているのですが、どうも前半と後半とで方向性が違う。
前半は英単語交じりで、単語レベルの組み合わせによって、異端なる思考を表しているかと思えば、中盤になって文脈が狂いだす。と思ったらまた単語レベルで 連鎖式に演出し、最後では語り自体のユーモアに落ち着いてしまう。その不安定加減がそのまま狂いを体現しているのかもしれないが、技巧的とはいえない。ま あ、奇妙で淫らだということはわかる。あとは好みの問題だろう。
41:柿
tanpen.jp/81/41.html
小生は果樹王国の生まれだからか柿でも桃でも熟しきって軟らかいものより、固くて歯ごたえのある果実のものがいい。関東では固い桃でも出すと甘い大根と言われるのだからなんとも歯がゆい気持ちになる。
だからこそ柿を齧って果汁が口から溢れ出すという描写にはピンと来ないのだ。
それはさておき、一読後、津原泰水氏の『猿渡シリーズ』を想起した。食物の描写と怪奇の存在、飄々とした語り口がそうさせたのだろう。
ところで、自分も食したのだから毒云々はないだろう。勉強不足でなんともいえないが内臓が飛び出すほどのアレルギーもあるのだろうか。
それと、携帯で読むと奇妙な改行が気になってしまう。何とかならなかったものか。
小生も甘柿なら大好物である。前述のとおり固いままなら。
40:三島スーツ
tanpen.jp/81/40.html
猿という存在を換骨奪胎した作品。作者特有の語り口。
キムタクと三島由紀夫とかミッキーマウスとか剣豪とか、狙いすぎのような気もして辟易してしまいそうになる。しかし猿=男としてのキムタクやら三島スーツやらの使い方はなかなか凝っているし、あまり類を見ない着想。
しかし、狙いすぎという感じが本作では勝った。
この作者の作品は深読みできそうでできないから困ったもんだ。
39:ある晴れた夕暮れに
tanpen.jp/81/39.html
二通りの読み方がある。
ドアノブというのは屋上の扉のドアノブということでいいのだろうか。
鞄の持ち主の自宅のドアということはないだろうか。
なぜ、語り手は涙を流したのだろうか。
“向かう所に帰る”。なんとも不親切な文。
想いの残滓の嘆きを描いたようにも思えるし、なんでもない男の不甲斐なさと愚かさを描いただけのようにも思える。いや、そのどちらもか。
どちらに転んでもおかしくない書き方だけれども、どちらとも明瞭としない。
情景描写は手馴れていて、巧いと思う。構成とストーリーの提示が今ひとつ。
38:ロマンティック・ミライ
tanpen.jp/81/38.html
なかなか斬新(?)なSFショートショート。
神戸肉のような脂ぎった牛肉は好きじゃないので、正直胸やけがするが、思わずよだれが出そうな勢い。食物の描写では柿よりこちらに軍配が上がる。
ところで、いくつか疑問。まず冒頭。“音声とともに……”は言ってしまっていいのか。伏線のつもりだろうか。
そこはいいとして、『牛肉』を振舞うヴァーチャル・サービスの在り方がいまいちわからない。“月に一度”というのは語り手主観のことでいいのだろうか。そ れともそのサービス自体が“月に一度”の振舞われるものなのか。だとしたら、なぜ“月に一度”なのか。“私達”というからには、このサービスが不特定多数 の人々に至福なものであることは確かだから、少なからず『牛肉』を食すことへのニーズはあるのだろう。
“カレーカプセル”の存在も意味深だがうまく真意がつかめない。“今朝はカレーカプセルだった”から“今夜もカレーカプセル”だったということは特に主食 が“カレーカプセル”に限定されているわけではないようだし、朝食べた“カレーカプセル”で牛肉の入ったカレーを思い出して『牛肉』を食べにきたとも受け 取れる。しかしそれが“月に一度”であると言及する意味がわからない。
第一、我が家ではカレーといったら豚肉なので、いまいちピンとこないのだった(笑)
それにしても、『ロマンティック・ミライ』……このタイトルはないだろう。
37:CP対称性の破れ
tanpen.jp/81/37.html
『CP対称性の破れ』とは、Cは荷電共役変換(Charge Conjugation:粒子を反粒子へ反転する)、Pはパリティ(量子力学における粒子の属性、空間対称性を保存している:鏡像反転)変換を意味し、 CPはこれら2つの演算子の積である。弱い相互作用(素粒子レベルでしか作用しない力)の崩壊でのみ対称性が破れる。
要訳すれば、粒子(A)を鏡に映したもの(B)とすると、その反応は対称となるはずである(鏡に映った自分の行動が実際の行動と同様になるのと同じように)が、弱い相互作用が加わることによって、対称とならなくなる。これをパリティ対称性の破れという。
量子力学的体系の対称性は、ある対称性が崩れても他の対称性と組合すことによって破れなければ回復するという前提により、パリティ対称性の回復のためにCP対称性が提唱された。
荷電共役とは粒子と反粒子(質量とスピンが等しく、電荷等正負の属性が逆の粒子)との間の対称性を指す。つまり、CP対称性とは、ひとつの過程で置き換 わった粒子と反粒子はもとの粒子の鏡像と等価であると仮定され、物質と反物質間の真の対称性として提唱されたものであり、物理学の大前提となるものであ る。
『CP対称性の破れ』はそれに従わない事象を指し、宇宙論においては、バリオンの非対称性(宇宙の圧倒的大部分が物質でできていること)の証明になる。つまり、『CP対称性の破れ』によって、物質と反物質が対称とならず、現在の宇宙が形成されていると言い換えられる。
(Wikipediaから抜粋および筆者が修正:信憑性不明確および修正による誤解のおそれあり)
ということで、文系の小生ががんばりました。
そんな素粒子物理学の事象を下敷きにしながらも、映画館を舞台に、ColaとPopcornを左右のホルダーに入れる行動に対する苦言を呈するだけの物語。
本来の『CP対称性の破れ』を踏まえると、ホルダーの対称性に結びつけるのはなんとも強引なロジックになるが、着眼点は見事。
筆者は幸運にも『CP対称性の破れ』について小耳に挟んだ程度の知識があったが、まったく知らない読者には見当もつかない話となるだろう。文系的に申せば、ColaとPopcornという風に、英字化したのは親切が過ぎる。どうせならば最後まで突き進んでもらいたかった。
36:境界の言葉
tanpen.jp/81/36.html
『CP対称性の破れ』の感想を書いたことでどっと疲れが出てしまった小生であったが、この作品を読んで目が覚めた。
これはドンぴしゃ(死語)。
こちらも発想が見事としか言いようがない。“境界の言葉”というネーミングは惜しいが、“何かと何かの境界からこぼれ落ちた言葉”というこれほどロマンチ ズム溢れるガジェットに久しぶりに出会えた。。さらにそれを蒐集して博物館に陳列するとくれば、もうそれだけで作品の魅力は八割方信用されている。
“ドングリとリス”、“一万円札と売春婦”、“火曜日と老人”、と来て“流れ星と人差し指”……取捨選択はあったろうが、それぞれがストリーを内包していて惹きつける。1000文字にはもったいない気もするがどうだろうか。
そんなロマンチズムを否定するかのようなオチもいい。対比されることにより圧倒的なリアリズムに感じるが、その背景には感情やストーリーが流れていて、 “そんな言葉、どこにも存在しないのよ”という言葉ひとつでそれを体現している。ロマンチストとスターゲイザーの違いはそこにある。リアリズムの上に成り 立つか否かだ。
もう少し全体の文脈に煌きがあれば文句なしだった。文章表現に磨きをかけて欲しい。
35:アカシック・レコードをめぐる物語 異界編
tanpen.jp/81/35.html
世界の謎というのも魅力的。アカシックレコードとは宇宙のあらゆる事象・歴史が記載されたもの。しかしそれも使い古されたガジェットであることは否めない。だからこそ、ストーリー上の捻りが必要だし、ガジェットそのものの使い方もオリジナリティが求められてくる。
本作の場合、どうもその枠を越えられていない。オチも素直に読めるし、カタルシスはない。だが、ストンと落ちてくるのは作者の安定した筆力によるものだろう。
魅力的な書き出しであると思うし、台詞の一つ一つに考えさせられる。
世界の謎は広大で深遠であり、目の前に確かに存在しているのに、手が届かない。それは分かりつくされている。だからこそ、何か心に残るものがあれば。
33:友 たち
tanpen.jp/81/33.html
これまた感想が書きづらいというか、何を書いても仕方がなくなるような気分。個人的には詩に対しての偏見はない。
だから漢字の字体に関する書き出しから楽しく読ませてもらった。七五調で統一すればいいものの、そうはなっていない。小生は詩で大切なものはリズムと配列 だと思っている。配列に気を配れば格段に良さが増したか。文字そのものに意味を与える手法も好み。しかし途中、言いたいことが散漫になっている感じがす る。
32:中一
tanpen.jp/81/32.html
小生にもこんな時期があったか。だが、裏ビデオを見たときも、初体験を迎えたときもここまで“人間的”に興奮しなかった覚えがある。
対して、本作は文脈のそこかしこからいわゆる厨二臭さ(もちろん作品は中一だけれども)が漂ってきて、興奮とは逆のベクトルで向かう思春期の感傷が出ていると思う。
“これからは仏のように生きよう”。こんなしょうもないことがさらりと出てくるところが中一らしいと言うと、失礼か。男としては気持ちも分からないでもないし、微笑ましくもなるだろうが、果たしてこれを小説にして何か意味があるのかと思うと、首を傾げたくなる。
とはいえ、最後のオチが効いている。そうだ、男はそういう生き物だ。
31:たったひとつのKiss
tanpen.jp/81/31.html
本作はタイトルで得をしていると思う。
中身はなんでもない、よくある叙述トリックの典型だが、このタイトルでこう来るとは思わなかった。振り返ってみれば反則的な叙述で済ましているが、オチに驚かなかったわけではない。これほどまでの正統派で、足を払われるとは(笑)
にしても、“彼女”は年を取らないのだろうか。
少なくとも六歳以上であることは明白で、“昔から”ということは一、二年ではないだろう。将来、化け○○に祟られないように気をつけなとカズヨシに言いたい。
30:ウッドストック
tanpen.jp/81/30.html
右手の摩擦熱ね~。まあ、一度は考え付くようなアイディアでございますね。
というか、オナニーオナニー言い過ぎ。
ウッドストックってウッドストックフェスティバルのことか。てっきりスヌーピーかと思ったよ。
この不況の時代、Love & Peaceを謳う余裕があるというのは幸福なことで、ただそれを自慰に結実させてしまうことがあまりに稚拙な嘆きであらんか。とりあえず、職探し頑張ってくださいと現職公務員は語るのでした。
29:彼女にはそれがない
tanpen.jp/81/29.html
「なにそれ。ふらなきゃ殺すからね」愛せてもらっているんだ、いいじゃないか。
こういったリアル恋愛物はあればあったで問題はないけども、頻出すると食傷する。タイトルの“彼女”がどちらを指すかが肝となってくるわけだが、どちらでもいいと思ってしまう。というのも、小生はあるとかないとかいちいち考えるタイプではないからだ。特にそれで二人の女性を比較することは、ない。あるかないかではなく、つまるところ合うか合わないかでいい。小生のストライクゾーンは浅く広くが信条なので、気にしたことがない。まあ、それは小生の恋愛観であり、語ろうと思えば、ほらこの通り、すっかり作品感想ではなくなってしまうので、続きは別の機会に。
まあ、ある意味、ホラーだと思います。でも、怖気が伝わってきませんでした。
28:布団の黴
tanpen.jp/81/28.html
日常生活における思考実験。材料は布団の黴。
当たり前のことをさも当たり前のように書かれたところで心には何も残らない。そこまで思考を巡らせておいて、新しい布団の調達で万事解決するとはなんとも拍子抜け。思考の広がりが見えなかった。布団を徐々に人体にスライドさせていくのも容易に考え付きそうなものだし、説得力がないから不安も感じない。
収まるところに収まって、最もスケールの小さく、味気のないところにおさまってしまったというところか。語り口はしっかりしているので化けそうな気配がするが、決まりきった日常を描く文体ではない。
27:僕にできること
tanpen.jp/81/27.html
この作品の肝は、由香の幸せが主人公の目を通したものにしか過ぎないということで、直接的な干渉がなく、感傷だけある、的な。
小生自身は過去に結婚を考えた恋愛をしていない。今がちょうどその恋愛をしている段階で、作中のシチュエーションには出会ったことがないが、二人の気持ちは分からないでもない。でもそれはあくまで主人公の主観を通したものでしかないというところが曲者で、独りよがりだと思うとなんとも言えなくなる。それでも切なくなるのは、独りよがりが誰にも共通することだし、誰だって思い出は美化したくなるものだ。夕暮れ時というのも格好のシチュエーションである。
この二人の汚点は、お互いの関係に両親を介入させたことだろう。見合いは別として、恋愛結婚に両親の首を突っ込ませたらだめ。
主人公の生い立ち云々は余計だったと思う。変人扱いされていることが何の効果ももたらしていないし、きっと変人扱いは生い立ちや一浪が原因ではないことは明白。彼女との交際期間について深く書いてもらえればよかった。
26:初恋は実らない
tanpen.jp/81/26.html
まず設定が不明確。テーマはタイトルそのものだろうが、小学校・中学校で変わってくるし、初恋という定義も難しくなってくる。おおよそ検討はつくものの、設定と叙述が重なっているようでずれているようにも感じる。
玲子先生という名前の配置が中途半端。出してくるなら最初に出せばいいし、効果的ではない。主人公の心の動きもつかめない。なぜ大嫌いになったのかが分からないのではなくて、そこに至るまでの経過がぶれている印象。小学校低学年だとして、落ち着きがないとも考えられるが、どうも筆が未熟なだけだと思わずにはいられない。へそを曲げた子供というイメージは感じ取れるからいいのだろうか。
誤字脱字もある。
25:餃子屋 リー
tanpen.jp/81/25.html
狙ってやってるのか分からないし、何が面白いのか分からない。
とりあえず、中国人は怒るのではないでしょうか。
作品数が少なければいろいろ掘り下げたいけど、その気が起きない。ごめんなさい。アイヤー!
24:ある日、ヒトリー。
tanpen.jp/81/24.html
詰まっていたのでしょうか。さあ、分からないです。
ヒトリーねえ、三太ねえ、面白くないわけでもないんだけれども、小生が求める面白さとはベクトルが違っている。
なぜ、ヒトラーを持ってきてサンタクロースと繋げたのか疑問に思うのは野暮というもので、どうしようもないのだろうけど。
『餃子屋 リー』と『ある日、ヒトリー。』、シンクロニシティの方が面白いし興味深い。小生には評価できません。
23:双子
tanpen.jp/81/23.html
ようやく安心して読める範囲に戻ってこれた。
双子は正反対に見えてやはり中身は似通っている。ただそれだけのことだが、犬から始まっておじいさんと対称的な二つのものを出しておいて、最後の最後にテーマを出してくるところが良くできている。農園の描写も長閑でありながら、文体のお陰か、田舎臭さを感じなかった。どこかシムシティのような作り物めいた町の造形が浮かんだが、それが功を奏して、双子しか現れないという状況もすんなり入ってくる。
それこそ構図は面白い。
22:無神教の祭典
tanpen.jp/81/22.html
発想の転換。どうせだったらもっと宗教色を強めにして、混沌とした信仰のエネルギーを見たかった。言葉ばかりが先行して、実態が見えてこない。新興宗教のよくある形とも受け取れるが、作品の見せ方ともなれば話は別。無神教自体が路地裏で活動せねばならぬぐらいだから、異端であるのは明確で、最後の台詞だって、無神教そのものの歪みというよりか男独自の解釈ともとれる。そこら辺の曖昧さ、小スケールさが物足りない。
語り手の真に単なるスピーカーとしてしか機能していないので深さもない。語り手自身は宗教観もない。いわゆる“敬虔ではない”人々の代表ということなのだろうが、伏線が不足している。
21:怒るよね
tanpen.jp/81/21.html
こういう語り口、珍しく成功している例だと思う。この作品のテーマから、犯罪心理をあぶりだすことも出来るだろうが、きっとそれではこの作品の魅力を十二分に語ることは出来ない気がする。狂気でも疑問でもなく、ある種の“反応”の物語だと思う。“反応”とは感情や思考とは別のところを起点にする現象だ。それは心理ではなく、現象であり、“納得”も“反応”のひとつ。
視点が他とは違っている。素直に巧いと思う。
20:1000^63こきんこかんしょてん
tanpen.jp/81/20.html
げじょう? ……解錠?
よく分からなんだ。1000の63乗が10の189乗になるのは分かるとして、じゃあ、100の126乗でもええじゃないかええじゃないかと踊りたい今日この頃皆様はいかがお過ごしですかてな具合。63種類の文字で1000文字を綴るのと、189種類の文字で10文字を綴るのとが等価なことだと言いたいのだろうか。数学って難しいですね。
50音+捨て仮名(9種)+空白+句読点(2種)+濁点=63種
本文を見る限り、63種をすべて使っているわけではないので、単なる数字の引用だと理解する。でも、半濁点がないと頻繁とか根本とか使えなくなる。なぜ、あえて63種なのか。
あ、幽霊の正体見たりなんとやら。組み合わせの問題か。
19:妖精
tanpen.jp/81/19.html
ですみょんwwwww
とりあえずかぎ括弧が文頭に来るときは一マスあけなくていいのです。
それから話のメインとなる真ん中の段落ですが、意図的に句点を廃したようですが、あんまり効果的とはいえません。要は、結末で時間が戻ることにより、中盤の経過は失われるため、その時間の不確かさを表現したように思える。ところが、“ホワイトアウトした。”という箇所の句点の存在によりその時間と現象は確定したことになっていることがおかしくなる。単なる段落ごとの区切りとしか見ようがなくなる訳ですな。
むしろそこに気を使うのであれば、ホワイトアウトで確定せず、より一層ぼやかしてしまえば、最初と最後の段落が際立つというもの。
あと、妖精がなぜ三十分時間を戻したかの理由が分からない。その説明をするためには妖精の存在理由が明確にならないといけないので、どう深読みしても本末転倒となるおそれがある。なんでもないことで召還され、なんでもないが重大なことをしでかす妖精という存在は面白いが、それだけでひとつの作品にはなりえない。何か納得できるようなところがないと。
ただ、表向きはコメディ色でごまかしながら、ループ現象の恐ろしさを想起させるプロットはよくできている。ありがちだけど。
18:母の十字架
tanpen.jp/81/18.html
これも感想が書きづらい。
小生自身は無宗教を唱えているが、実のところ家はカトリックである。だからこの手の話は黙っている訳には行かないのだが、なんともこの作品は私事の事情により大仰の言葉では評価できない。
カトリックでは自殺を禁止している。管を抜かれた父親と、病室を抜け出した母親、父親の笑み。それら一連の流れでおそらく物語の本筋は理解できる。母親が事の済んだ後に、震えながら十字架を持ち祈りをささげている気持ちも分かる。だから、物語としては各人の苦悩や悲愴が夜の病院という舞台も相まって、とても静かにとても鋭く胸に突き刺さってくる。しかし、気になる点がないわけでもない。
なぜ、母親は自分がカトリックであることを黙っていたのか。父親はカトリックだったか否か。
カトリックの使い方は巧いと思う。母親の姿は、夫の死を目前に神へ祈る姿でもあり、贖罪の許しを請う姿とも見える。ただし、語り手である娘の悪い予感からも後者であることが伝わってくるのだが、前述のダブルミーニングを効果的に用いるのであれば、カトリックについて何の知識も持たない娘の目からは前者を映し、総体的に事の顛末を眺める読者のみに後者の存在を窺わせる方法もあったのではないか。神の視点から覗ける読者にこそ、一家とは別の悲愴を抱かせることが出来たかもしれない。まさに父・子・神というトリニティの縮図を、メタファーとして描くつもりではないにしろ。
17:告白
tanpen.jp/81/17.html
キリスト教でいうところの三位一体(トリニティ)……ではなく、完全なる恋愛の三角関係である。どうせならば、エッシャーの騙し絵の如く、深津が柳葉に告白するところまで持っていってもよかった。最後に一ひねりあっても許容範囲だろう。
恋路は決して方程式で計れないものだし、心変わりだってある。緻密に計算された騙し絵のようにはいかないかもしれないのだ。
ところで、最初に告白した男。中山ならまだしも、サンタマリアという名前だったらどうしようかと思った(笑)
16:目
http://tanpen.jp/81/16.html
なかなかスマートな出来。耳なし芳一を元ネタに、吉蔵のキャラクターも相まって非常に素直にオチが受け入れられる。
あと付け足すとすれば、作品世界の空気をもう少し濃くすればよかったか。あまりオチ優先で味気のないショートショートは小生の好みじゃないだけだが。
それはそうと一物のくだりだが、もしかすると耳なし芳一は出家した女だったのかもしれない。というか、臓物系のスプラッターも書けるな。やはり、想像を掻き立てるという意味でも古典は名作だ。
15:意思→言葉→音→雑音
tanpen.jp/81/15.html
思索小説ですねえ。もう少し書き込みを増やしたほうが分かりやすかったのではないでしょうか。
言わんとしていることは分からないでもない。“だけど、その雑音が音となり、言葉の中から意思を感じ取れるのなら……”という一文が物語の総括であり、最もテーマを分かりやすく簡潔に表現しているようで、一番読み取りづらくなっている。結局、最後の一文、“とてもそこの肉を食べようとは思わない。”が示すのは何でもない一般倫理である。
つまり、藤子・F・不二雄先生が『ミノタウロスの皿』で皮肉ったように、“肉”となるものは“肉”でしかないとまではいかないまでも、本作では意思こそあれば“肉”も“肉”でなくなるという余地があるように思われる。それは綺麗事ともいえる。
実は小生は仕事で牧場に行く機会があり、肉用牛と触れ合うことがある。牛の目は純粋で人懐っこいものもいれば、臆病ですぐ暴れる牛もいる。もちろんこちらが理解できる言葉は発しないが、仲間同士で鳴き声を呼応させているところを見ると、なんとなく言わんとしていることが分かる。この“なんとなく”というのが実は結構大事で、言葉→音を明確に分断する要素だと思う。簡単に言えば、ニュアンスである。このニュアンスというのは言葉に限定されたものではなく、表情や動きからも感じ取ることができる。
作中で言うところの“でも痛がっているのは分かるんじゃないですか?”がそこに触れているのに、“言葉が通じないんだから、関係ない。”の一言でなきものにしちゃってますね。だから一番怖いのは、種を超えて“肉”としてしまう肉屋にも、暴力の絶えない町にもなく、理解できない言葉を一概に雑音へと変換させてしまう主人公の価値観でもある。その一方で、最後の一文がそんな価値観への抗いであり悲哀とも受け取れるところは奥が深い。作者がそこまで考えてるかどうかは別の話で。
14:恐怖
tanpen.jp/81/14.html
んー、三点リーダは二つ続けて。『妖精』は何とか句点をなくした意味が垣間見えたが、こちらはそういう訳でもなさそうだ。
とりあえず、セオリーを守るのは文章を綴る上では前提だと思う。神経質かもしれないが、野放しにしていくことがメリットを生むとは考えられない。指摘されて作者はなんとも思わないのだろうか。少なからず文章の構成は書き慣れている感じがするので、言っても直らないのならば致し方ないのだけど。
さて、この恐怖は実際に経験した人間はもちろんのこと、誰もが経験したくない恐怖であろう。小生は経験したことがないが、しないで来れてよかったと思う。真の恐怖というのは克服することのできないものだったり、克服しようのないものであったりする。つまりは不条理という言葉で置き換えられるが、たとえば本作のように、克服するインターバルが用意されていると恐怖が増幅する場合もある。裏ジェットコースター的恐怖である。本作では通過儀礼というテーマも合わさり、普遍的な恐怖が描かれる。だが、「わたしお母さんのこと嫌いになるかもしれない」という台詞で始まる段落はテーマの総括となっているが、語りすぎて恐怖の矛先がぶれている気がする。
13:遺言
tanpen.jp/81/13.html
まさに灯台下暗しなショートショート。一億円にしろ一億三千万にしろ三等分するのは難しいと思うけれども。一度、等分する話でまとまって、長男次男三男の順に割り分が変わったらまた修羅場になりそう。ミスリードとしては叔父さんの存在が巧い。没個性的な文体もうまく読者を誘導しているし、伏線がないという欠点はあるけれど、ショートショートの手本といってもいい。まあ、だからこそ既視感をプンプン感じるのはご愛嬌というところか。
12:春
tanpen.jp/81/12.html
その倦怠感はサザエさんシンドロームというのですよ。
それはさておき、気持ちいいぐらいの現実逃避ですね。“もう明日は学校に行かない”の一言が逆に爽快であったりもします。
ところで、「禿げてない?」の件でてっきり語り手は講師や教授の方かと思ったのですが、普通に学生だったようです。確かに小生の周りでも二十代半ばで頭皮が危うい人物がいたりする。いろいろ大変ですな。わかめかひじきを食べましょう。
ただ一言言える事。
小生は今年で22歳の社会人4年目です。来年新卒とタメということになりますね。そんな立場から言わせてもらうと、社会人になれば、思考の波より社会の波が恐ろしいことを身をもって知らされます。うらやましいくらいですな。
11:星に願いを
tanpen.jp/81/11.html
これ、好き。まず語り口の妙。若干、冷めていながら沸々と湧く怒りだとか、女のプライドだとか表現できている。
タイトルの『星に願いを』はロマンチックの定型であるけども、逆にそれを用いることによって、ロマンのかけらもない現実への呆れや失望を感じさせつつ、やはり心のどこかでそれを求めずにはいられないというような期待も見える。
あと特筆すべきは、やっさんという固有名詞。リアリティ云々というより、主人公の性格だとか二人の関係だとかが内包されている気がする。
普通にいいと思う。
10:ごちそうさま
tanpen.jp/81/10.html
不条理な夢。『サイコメトラーEIJI』の殺人シェフの回を思い出しました。
もう少しアイディアを膨らませることができたと思う。ありそうでなさそうな微妙な着想だけど、これは主人公を女性にしてダイエットと結びつけちゃえば分かりやすかったのでは。
“気づいた時、目の前には終わりの見えないほどのご馳走が並んでいた。”というのも、夢という前提が壊れている。個人的に夜見る夢と死に際のフラッシュバックや臨死体験(これはそのまま夢かもしれないけれど)は区別したい質なので気になりました。
あと文章が筋書きでしかないので、肉付けをもう少し。
9:翼
tanpen.jp/81/9.html
青臭いというかなんというか。こういうのが現れてくるところはやはりケータイ小説だなあと思う。ラノベ風とでも言おうか。
翼というものは取り付けるものではなくて、自身の背中から生やすもの。自身の力で羽ばたくものに過ぎないのですね。
なのに、“翼がなくても、ここに辿り着けた。”ということは、……まあ、そういうものなのでしょう。
8:White is Colorful
tanpen.jp/81/8.html
これは軽々と水準を越えていますね。着想もいいし、まとめもきっちりしている。
技巧を持たない作者の場合、“相変わらず白いクレヨンが何の役に立つかはわからないままだ。”とはしないのですね。
大人になると馴染みが薄くなるクレヨンというガジェットが持つ特性をうまく利用しています。
7:クランベリージャムにコンドーム
tanpen.jp/81/7.html
でた、まさかのセルフツッコミ。メタフィクションは好みですが、この使い方はなんとも苦笑ものですね。
なんか思いついたところから片っ端集めてきた感があって、まさに“思わせぶり”。
コンドームが玩具だったら、できちゃった結婚は少なくなるかもしれませんね(笑)
6:久遠なる闇
tanpen.jp/81/6.html
創作のベクトルは小生に近い。ただ小生の作品と同じく一般受けはしないでしょうねえ。
季節だとか時間だとか壮大な事象を、日めくりカレンダーのように製本してぺらぺらとめくっているような気分。走馬灯のように過ぎていく色彩。いたはずの“君”、“私”の意識の中心にいたはずの“君”はいつしかいなくなり、“私”もそれを素直に受け入れる。
日めくりカレンダーの最後の一ページをめくったところにある色はまさに久遠なる闇。眼前を過ぎていった色彩が辿り着くには闇色以外ないのかもしれない。久しぶりに目で楽しむ文学だった。
5:裏返し
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“・・”はやめましょう。?!の後はひとマスあけましょう。読点を入れましょう。“いつもどうり”はいつもどおりに修正するべきです。
改行の仕方が間違えているのでしょうか。変なところに空白現る。
これほどのおっちょこちょいはイライラしますね。でも、いい人そう。ポジティブに生きることはいいことだ。
でも、“笑顔だけで”っていうのは言いすぎだと思うけれども。
4:鳴るよズキンズキンと
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よくできている。わかりやすくていいねえ。下手なコント文より、こういう遊び心を潜ませたもののほうが百倍面白いと思う。タイトルとかにやりとする。一発ネタは筋書きのようになってしまう恐れがあるけど、狼を狂言回しにすることでそれをカバーしている。まあ、それが前提の話なんだけれど。『遺言』との差はそこですな。
後半、最初の“ぶく”が一回多いのは何か意味があるのでしょうか。赤ずきんちゃんはおばあちゃんを助けても、結局食べられてしまったのですね。童話にはいろいろなバージョンがあるからそこはスルーしましょう。とりあえず、狼がかっこいい。
3:日記
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未来日記という言葉はまた別の意味を持つものだけれども、未来予知をする日記というのは珍しいものではない。
本作は本来オチる一歩手前でオチてしまっている。途中までは予定調和で進んで、いざ足払いをするってところで力尽きている感じ。
まあ、欲望の前に女子供は関係ないね。牢屋の中で気づいたから何なのさという話にもなる。その先が肝心。
ところで、『日記』とか『遺言』とか『中一』とか『妖精』とか、ひねりのないタイトルは中身もひねりがない。タイトルを考えるのがめんどくさいのだろうか。
2:タマネギ
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ポンキッキーズのタマネギ星人+『ソイレントグリーン』的な物語。……違うか(笑)
自分の脳を地球で育成させる、というのはいいアイディアだと思います。果たしてどの時点で、脳が器に入るのかによってまた話の奥行きは変わりますし、主人公の悲哀も変わってくるのですが、うまくぼやかされた印象。というより以前に、主人公と“地球人類”の関係がいまいち分からない。いくつかある“幼精脳”のうち、最も適応するものを選んでいくわけだから、どうしてもあぶれるものが出てくる。それを自給飼料とすることが“悲しいことだ”と受け取るということは何らかの立場の差異があるわけで、でも、主人公は地球を母星としている。……読み取り不足か。
文章も少しちぐはぐな部分がある。“周り一面緑がある。”もっと別な書き方はなかったか。
1:さよならの夜
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最後の最後に怖気の立つ、精神的ストーカーものがきた。
純粋な恋心というのは諸刃の剣ということで、なおかつ本作で描かれるのは想いの残滓。言ってしまえば、逆恨みに近い感覚です。
ストーブの火と同調して、徐々に沸き立つ愛憎がある結末へと向かっていくのですが、星新一氏のショートショート『殺人者さま』に相通じる怖さがあります。そういう意味では想いだけを書き連ね、“あなた”との具体的な思い出を描いていないのは効果的。そもそも二人が恋人同士だったという明確な描写もないので、ますます読者を取り込もうとしています。
“きれいさっぱり、なにもかも無かったことにするの。”と結ばれていますが、読者に残る余韻はとても“無かったことに”はならない印象的なものです。文章面で幾つか余分なところが見受けられます。“あともうどのくらいこうしていなければけないの。”などというのは後の“どうすればさよならしてくれるの。”を引き立てるためにも、出し渋ったほうが良かったかもしれません。
“私の胸は血の赤で滲んでいった。”や、“左胸の下あたりが「痛いよ」と、涙をながす。”、“凍りついた時計の針”という比喩がありますが、少し感傷に浸りすぎというか、それは文章の配置で何とかなったかと思いますが、全編が想いを文章にしたものであるために、比喩の鮮烈さが失われてしまっています。的確な文章、的確な配置、的確なタイミングを意識すると、比喩は絶好のテクストとなります。次回に期待ですね。
てな、感じで、……
ようやく終わりました。47編。
では、最後に拙作『脳を漬ける』について。
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奇しくも、『タマネギ』と着想が被ってしまいました。残念無念。
どちらかといえば前回の『蒼の帳』のようなものが小生のホームグラウンドなので、普段、本作のような書き方は滅多にしません。
落差というか新たな一面を、ということで今回はこの作品にしました。
普段、深読みを期待して意味を込めすぎるきらいがあり、前回までにそれが空回りしてしまったので、いくつかあるストックのうち、含意の特に少ないものを選びました。一応、脳の奇怪さだけでなく人間の本質というか愚かさを含んでおります。ただ本作に限っては、難しいことを考えず、面白いか面白くないかの二択で結構かと。
ただやはり物足りないのう。
次回の作品は、とびぬけていつもの楡井ズムを炸裂させちゃおうかなと考えております。
千字一夜物語でもいいし、読者放置といえばこれ、な作品『魔囚壹景』、『悪魔の海』あたりもいい。余裕があればついてきてくださいな。ついてこれたらね(←何
こんなこと書くから嫌われるんだなあ……
それでは、また来月お会いしましょう。
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