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 手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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マインド・ゲーム

何かのときに書いたもの。
電波系度ってなんや。

電 波 系 度★★★☆☆
トリップ 度★★★★☆
前  衛 度★★★★☆
総 合 点 45点 


ロビン西による原作コミックを、『アニマトリックス』などで知られるSTUDIO4℃の制作でアニメ化。監督は、劇場版『クレヨンしんちゃん』などでその独特のセンスをアピールし、OVA『ねこぢる草』なども手がけた湯浅政明。初恋の人・みょんちゃんと偶然再会した主人公・西は、その夜一度死ぬが甦り、やがてみょんやその姉・ヤンとともにクジラの腹の中で暮らす羽目に…。
破天荒なストーリー、ダイナミックで密度の濃い動き、奔放な色彩や画面効果、目まぐるしく編集された映像、そして炸裂する関西弁。すべての要素が奇跡的と言えるほどに絡み合って、「生への執着」が圧倒的な迫力で描かれる傑作。感傷、挫折、希望、諦念、そして愛。人生のすべての要素をぎゅっと凝縮したかのような2時間弱は、人が死ぬときに思い起こすという“走馬燈”ってこういうモノじゃなかろうかと思わせる。今田耕司、藤井隆ら、吉本興業所属タレントを中心とした声の出演陣もさすがの芸達者ぶり。(安川正吾)



あらすじだけだと言葉足らずなので、amazonから解説文も引用させていただきました。著作権とか難しい話はやめにしましょう。笑ってごまかせ。
で、一つ言っておきますと、この作品はある種、アニメ映画史を語る上での『指標』にするためには重宝すべき作品であり、製作から5年の経った今、時代が変わればその評価も移り変わり、現代ではその『指標』としての価値はなくなってしまっています。
つまり、この映画がやっていることは発表当時はかなりの前衛芸術であり、技術面では圧倒的だったかと思いますが、今の時代では回顧の材料でしかないというのが現状ということ。そういう状況の中での、一つの作品としての評価ですので、どんなにボロクソいってもあしからず。

え~……語りたくないなあ。
まずですね、この手の映画は嫌いではないんですよ。むしろ好きなほう。この作品がなければ『鉄コン筋クリート』もなかったようなものですから、それはいいんですけど。
とりあえず登場人物が嫌いなのだ。どのキャラクターをとっても誰一人好きになれない映画はこれが初めて。まだね、主人公が一度死ぬところまでは良かったんですよ。そこまではいいとしよう。というか冒頭はかなり引き込まれました。西くんとみょんちゃんが神社の前で話してるところ(冒頭も冒頭)。いきなり西くんの顔が今田耕司になるところは、まあ事前知識はあったもののいきなり出すのかと驚きました。というかこのアプローチはあまり意味がない気がするんですけどね。後半とかもうそんなの関係ない感じだし、てっきり全編全キャラクターが顔だけ実写かと思ってたぐらいですから、ちょっとやってみました感がどうにも好かん。まあ、みょんちゃん役の実写顔が、画像を検索して素顔を拝んでしまったぐらいタイプだったので、そういう意味でも期待してたんですがね。

でも何だろう。次第に「この映画はもしかしたら俺の暴走とは違う暴走能力を持っているな」と感じて、「ああ~こいつは嫌だ嫌なやつだ。もうついていけない」ってなっちゃったんです。それはストーリーとかテンションではなく、価値観なんですね。
要はこの作品そのものがある種主人公あってのもの、主人公のためのもので、それこそ上記お偉いさんの解説でも書かれているように“走馬燈”的な作品な訳です。それこそ『マインド・ゲーム』。ということはですよ、その主人公が嫌いになった瞬間に、物語自体も嫌いになってしまう訳です。
主人公に都合よく動く他のキャラクターとか、都合よく繰り広げられるストーリーとか、もうそうなったらどれもこれも嫌で嫌でしょうがない。嫌いな人の頭を覗くという滅多にない体験をしたような感覚で、それは有難いことだけども、なんか狭い部屋に嫌いな人と二時間過ごせって監禁されたような嫌な心地で、もう本当に苦痛でした。
割と許容範囲の広い男だと自負している僕ですが、ここまで極端に好みが分かれる映画の嫌いゾーンに踏み入れられたことはありません。それもストーリーとか映像とかではないんですよ。キャラクターなんですよ。
ただこの作品の場合、キャラクター=ストーリー=作品そのものな訳ですから、もうどうしようもありません。

じゃあ、如何なる点がそんなに嫌いなのかというと、この作品というかこのキャラクター、理性のかけらもない。自己批評精神がまったくない。学習能力がまっったくない。それらをかなぐり捨ててまで“生きる”ってことに執着するならいいんですよ。でも、主人公の西って男は死ぬ前、つまり生に執着する以前からそういう男なんですよこれがよ!!
いいですか、“生きる”ってなんですか。心臓動いていれば生きているですか。飯食ってれば生きるってことですか。自分だけがよければ生きてていいんですか。
本能的に生きるっていうならそれはそれでいい。でも、それはただ単に“死ななかった”っていうことで、“生きる”ってことにはならないんですよ。それは何故か、“生きる”には世界が要る。人間で言えば社会だし、動物で言えばコミューンです。そこから抜ければ最早生きてはおらず、生ける屍なんですよ。何があっても“生きる”という意思は大切です。けれども、生と死が隣り合わせだからこそ双方の存在価値が生まれるんです。少なくとも主人公は一度死んで、その経験をしたからこそ、“生きる”ってなった訳だから、“死ぬ”ことは“生きる”を知ることってことに気がついた訳でしょ。なのに、“生きる”を知ろうとしていないんですよ。ただ目の前に扉があって、そこを抜け出すことが“生きる”だって思い込んでいるようなもの。その先に何が待っているかまったく予想できていないししようともしていない。ああ、もうこんな奴好きになれるかってんだい。ていうかね、みょんちゃんみたいなボンキュッボンと、メイクラブな時点でね、お前なんか嫌いじゃ!

ピノキオ風情が、鯨の腹の中に収まったってサバイバル精神がある訳ではない。なぜならそこにすべてがあるから。食料もあるし寝床もあるし、女もいればじじいも要る(笑)
鯨の寿命が近づいて一緒に海底に沈むと聞いて、ではでは外の世界に飛び出そうってところまではいい。でもそれを通して主人公は何も得てないんですよ。サバイバルでしょ、“生きる”を知るためのベーシックな状況じゃないですか。結局“生きる”ってことが何なのか分かったわけでもないし、長年意中の人だったヒロインとも原色のセクロスをしちゃってる訳です。もう“生きる”目的は達せたようなものじゃないですか。なのに、それ以上に“生きたい”という主人公の意思があって、そこまで“生きたい”って、意味が分からない。腐りきっているわけですよ。
そんで行き着いたオチ、つまり鯨の腹から飛び出して、走馬燈。
そんなオチどうっだっていいねんっ。端からお前にゃ死んでほしいねんっ。もう早よ逝ってまえやっっっっ!!

みたいなね。

あのね。本当にね。物語には“気づき”が必須なわけですよ。
それがないものは駄話も駄話。特に“生きる”なんてことをテーマに背負っていて、それをいかにも最先端の技術、芸術の極致で表現するならね、それ相応の“気づき”を与えてくださいよ。この作品には何もないんです。
思考実験ていうのは、常識への批評性があるからこそ、実験と謳われるまでで、奔放に物事進めりゃいいって訳ではないんです。そういう意味でアプローチとしてはこの作品は独特の批評性を持ってはいるんだけれども、全然批評できてない。批評こそ“気づき”への言及なんですよ。“気づき”=批評といってもいいぐらい。
この作品がやっているのはそれすらも捨てて、とりあえずひと暴れしてやろうっていうチンピラ根性しか見えないんです。

ただね、他人の頭の中を覗き込んだってろくなことがないってことには気づかせてもらったので、そういう意味ではこの作品もやるべきことはやってるんですよね。果たすべき“気づき”は提示している。
でもそれにしては要らない箇所が多かった。ヒロインと姉の関係とか、モノホンのチンピラの諸事情とか。

ただ、映像は楽しめましたよ。
みょんちゃんの胸はもっとちゃんと映して欲しかったけどな!!

ということで、主人公との相性悪しで10点。色々加味しても45点が妥当かな。
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