ジメジメ 度★★☆☆☆
異 形 度★★☆☆☆
侵 略 度★☆☆☆☆
原 作 姦 度★★★★★
総 合 点 50点
『県庁の星』の和田聰宏主演、人気作家・菊地秀行の同名原作を映画化したミステリー。とある地方都市で内臓の無い子供の死体が発見される。ルポライターの兼石荘太は事件を調べに現場へと赴き、町役場で35年前に起こった小学生集団失踪事件を知る。
菊地秀行の同名原作ということですが、大事なのが抜けてます。
『異形コレクション』の文字が抜けてるっての!!
原作は『異形コレクション』の第二巻『侵略!』に収録された短編小説です。内容は大枠の他、だいぶ脚色されたものが映画になったといったところ。そういう訳で原作との相違点は数ある中、侵略者の正体がある程度明らかにされているところが筆頭に挙げられる。もちろんその良し悪しは別として。
とりあえず出演者を紐解くと、割と嫌いではない和田聰宏氏。この何かに出ていた記憶はあるけどいまいち思い出せないってところが好き。『県庁の星』とか言われたところで朧気なのは、なんだか雨の町に彷徨いこんだようで……。
共演は真木よう子嬢に成海璃子嬢。後者については後で言及するとして、まだ巨乳ブレイクする前の週刊ではない真木よう子ということで、胸チラも膨らみもあってないようなもの。惜しいね。監督に先見の明はなかったてことか。というか彼女の役柄自体、存在していなくてもストーリー進行に支障はなく、俺は真木よう子がとってもとっても好きで胸とまではいかない顔さえ見れればその存在さえ確かめられればいいッッッッッていう人以外は気にすることもない。『サマータイムマシン・ブルース』的な萌え要素もないし。
さて、こっから先。おっぱいバレーじゃなくてネタバレー。
侵略者である成海璃子嬢。これはもう適役中の適役で、その端正なルックスと瞬きを知らない大きな瞳がもう存在感バリバリ。クライマックスの髪の毛ブワーッは蛇足以外の何物でもないし、むしろそういう璃子ちゃんは見たくないっていいたくなるぐらいだけど、小学生とは思えない体型の彼女が姿勢正しく夜道を追っかけてくるのは……怖いわ!
というかこの映画薄ら寒さの他にショッキングシーンは結構あって、冒頭からして小学生男子が吊橋から落ちて河原の岩にぐしゃってなるシーンとか、死んだ彼が病院で目覚めるシーンとかは多分導入部として完璧といってもいい。
正体現した顔はなんというかもうちょっと何とかなんなかったのかという申し訳程度の特殊メイクだったけども、少年が両親を襲うシーンはなかなかスリリングであり、よく出来ていた。両親役の二人の演技がいいからかもしれないけど、とりあえずクライマックスとしては(ここまでは)素晴らしい。
両親役が少年を返り討ちにしようとするくだりは、少し涙腺が緩みそうで、それを侵略者のトシオくん(c呪怨)+化け猫めいた素顔が遮ってくれる感じで、ああこの映画は感動とかどうでもいいんだと襟を正されるよう。
両親役以外でも少年の弟(いや、これの演技はないかなあ)とか脇役陣に文句はないんだけど、いまいち誰が誰で、どういう関係でってのが掴みづらかったのが難点か。
で肝心の内容に行かせて頂きますと、まあ全体的にB級として直進しすぎたきらいがあって、とりあえず主人公と主たる怪奇の対比とか並立が下手すぎる。
この作品の根底にあるテーマというのは子供に対する社会のあり方ってところにあって、それを主人公の境遇に重ね合わせるってのは誰でも考え付くことだと思うんだ。というか、教科書どおりである種の礼儀。
でもただ、この主人公はね昔こういうことがあったんだよ~~wktk的な描き方ではダメでしょ。さらりと言及すればあったことになるってのは間違っていて、主人公が接するすべてのものとその行動・会話から滲み出てこなけりゃそれは人物を描いたことにならない。にしたって主演俳優はそこまで演技がうまいわけではないのだから、学芸会で今こういう場面ですこういう台詞を喋りましたよみたいな感じにしか映らないのです。
つまりこの主人公が怪奇に遭遇し、少女の侵略者と同調した起因としては、幼少時代に娼婦をやってたんだかなんだか分からない(ここはもうちょっと描く必要があったでしょ)母親と客の営みを目撃して、ついでにぞんざいに扱われた結果、心に表出しない悲壮がありますよってことは分かるんだけど、本当にこの主人公傷ついてんのかって思うわけ。その癖、娘に売春させてる女のところにインタビューしにいって、いかにもああそうだ僕も彼女の気持ちが何となく……的な表情で結局何もしないまま帰ってくる訳で、結局トラウマってのがすごく薄っぺらく見えちゃうんです。
もちろんそのインタビューが行動の引き金になるし、現代の病巣を描いてはいるんだろうけど、そもそも問題提起としか機能していないし、主人公も脚本も基本『見ている』だけに留まってる。解決がないのね。だったら最初から書かなければいいし、怪奇と対立させる意味もない。
それもこれも、成海嬢演じる侵略者との邂逅を対比させるためのものに過ぎないし、言ってみればそれ自体蛇足でしかない。だって原作では、親にとって子供が何たるかを逆手に取った上で侵略されることの恐怖を描いている訳だから、本来子供視点はあってはならないもの。犠牲になった同族意識みたいなもの植えつけるから、しょうもないストーリーになってしまうんですよ。何を考えているか分からないから怖い。もちろんこの時代に『光る眼』みたいな単なるアンファンテリブルの作品を作ったところでPTAが黙っちゃいないだろうけど、余計なことしすぎだよなあと思う。
ラストだって、いつの間にか主人公が出張先で出会っただけの真木よう子嬢といきなり同棲してるし、二人が同棲しているマンション(愛の巣)に成海嬢襲撃と思いきや、手中からどんぐりッで仲良くしたかっただけなのって、おいおいオチが『ごんぎつね』ってどういうことだよおいッてな感じになる。
その後、街ですれちがった子供が……みたいな不安の描写とかもさ、後味悪しでいいんだけど、そこだけなんか原作のものを拝借しました感があって嫌。だってこの映画の侵略はあの町だけに限定されているものだって作中で言及されてんじゃん。侵略者の目的が不明なのね。あまんじゃくっていう仮初の正体をほのめかしといて、結局それが何のかは明かさずじまい。だから怖がるところがどこか分からない。もちろんすべてを明かさないところが怖いっていう手法もあるけど、それはいることは分かるけど何なのか、むしろ本当はいないんじゃないかっていう、不安のはけ口がないから怖いのであって。
あまんじゃくっていう正体を明かしときながら、それは何かが分からないのとはちょっと違う。だったら無理にあまんじゃくなんて使って土俗的にしなくてもいいでしょう。広く考えれば、実は別の何かがあまんじゃくの枠組みを借りて侵略してきたっていう風にも取れるけど、その予感は皆無。あれは何なのか、じゃなくて、あまんじゃくとは何なのかって疑問を持たせることしか出来ていない。
それに、あたかも侵略は日本中で行われていて、作中の町の場合、あまんじゃくって物の怪が原因だとされているということならよしとして、でも失踪事件はこの町でしか起きてない訳だから、どうしても町を起点と考えなければいけない。じゃあ、なぜその町から侵略者は侵略を始めたのか。そこが一切不明。
原作ではそことか正体とかの一切を曖昧にして世界全体に危機が忍び寄ってるって分かるからいいものを、町に伝わる物の怪がどうのこうのって言っちゃったら元も子もない。極めてローカルネタなのにさ、最後の最後で日本中が……、なあんて言われてもねえ。被害妄想でヤリチンの主人公がひと夏の経験を引きずってますって具合にしか思えません。襲撃する気のない成海嬢を撲殺しといて、真木よう子とちゃっかりデキていて、よく言うよ的なね。
もちろんそれというのは子供が大人へと成長し、分かり合えたはずの主人公が自らその機会を逃す。そうして大人は子供を遠ざけていくんだみたいな良心的な解釈もできるけど、そもそも侵略者が本来の子供たちと取って代わったのは大人のせいじゃないので、単なる逆恨みじゃないですかという具合。まあ、総じて単なるゴーストストーリーの派生にしか物語が構築されていないので、そういうものだと割り切ったほうが無難でしょうか。
そもそも『雨の町』っていう題名ながら、主人公が来た時しか雨が降ってないってどういうことよ。晴れ男を主人公にすな。でも、じめじめ感は出ていたのでいいとしようか。雨を降らさなくても湿り気を出せていたというところが評価できるのかもしれないね。
ということでボロクソ言っとりますが、ある程度映像として楽しむことは出来たので、真に酷くはない映画ということでとりあえずの50点。役者陣が違っていたら30点でしたね。ちなみに原作者とその実弟も出ています。まあ、寛大な作者さんで良かったねというところ。
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