○構造解釈 ※【】内は筆者注釈
ページ数によると、
――【序】
1:5ページ
2:3ページ 計 8ページ(40%)
――【破:黒い玉登場】
3:2ページ
4:4ページ
5:5ページ 計 11ページ(50%)
――【離】
6:2ページ 計 2ページ(10%)
聊か変則的。
むしろ登場人物ごとに分けて、
――【序】
1:5ページ
2:3ページ
3:2ページ 計 10ページ(50%)
――【破】
4:4ページ
5:5ページ 計 9ページ(40%)
――【離】
6:2ページ 計 2ページ(10%)
としてもいいかもしれない。
短篇の場合、起承転結より三幕構成の方が相性がいいのですが、特別本作はそれをなぞっているわけではなさそう。むしろ、終章を除く各章が5ページで統一されているのが印象的。
○観点
夢と現実の境目、息子が見るカブトガニおよび黒い玉の正体
◎解説
さて、原稿用紙40枚弱という小品ながら、『夢魔の通り道』なる作品集の入口として効果的な作品です。もっとも作品集のために書き下ろされたものではなく、ミステリマガジン92年8月号に掲載されたものということで、本作ありきの題名であると窺える。
基盤としては、異世界から来るものどもが日常に介入してくるモンスターもの、侵略ものとして読むことが常套ではありますが、そうとも言い切れない理由としてはきちんと侵略の恐怖を描いていないことが挙げられます。
というのも、序盤に登場する異物はカブトガニな訳ですが、真の恐怖はそのあとになって登場する黒い玉ということで、範子のパートはその誕生シーン(というべきか)、いよいよ太田誠三のパートで黒い玉の凶暴性が描かれます。
次いで、ドライブ中のカップルのパートが始まり、この黒い玉が社会に登場し、世界を脅かしていく顛末が描かれると思えば、カップルが逃げきろうとする場面でこのパートは終わってしまうわけです。
で、もちろんこの部分だけでも、逃げ切れない絶望的な状況を想起することはできますし、乙一『神の言葉』(『
ZOO 2 (集英社文庫)』所収)や小林泰三『綺麗な子』(『
脳髄工場 (角川ホラー文庫)』所収)のラストシーンにも繋がる、最後の和彦のパートの、爽やかながら怖ろしい終末の朝の余韻を引き立てる効果ともなりえます。
ぶっちゃけ初読時の印象では、前述したものよりも藤子・F・不二雄のSF短篇『ヒョンヒョロ』(『
ミノタウロスの皿 (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)』所収)を髣髴とさせたのですが。
というような感じで、単に生き延びた男の子を描くにも、聊か小粒な印象が際立ち、作品単体としてはあまり楽しめないかなあと思っていました。
また問題となるのはなぜに、黒い玉、なのかという点で、冒頭に登場するカブトガニでいいじゃないかという疑念が出てくるのが読者の性というもの。
もっとも、このカブトガニもまた範子の踝を傷つけるなどちゃんと牙を向いてくれるわけで、なおさらこの黒い玉という存在の意義が分からない。
とはいえ、怪奇小説読みとしてここで屈するわけにはいかず、というより怪奇小説読みとして“黒い玉”といえば、アレを思い出さずに何を語ろうか!
そのアレ、というのが、ベルギーの幻想作家トーマス・オーウェンのまさしく『黒い玉』(『
黒い玉 (創元推理文庫) 』所収)。こちらは、人生に疲れた男が昼寝から覚めるとソファーの下に逃げ込む黒い玉を見つけ、黒い玉を捕まえたのも束の間、黒い玉に逆に取り込まれてしまう。すると、何者かがドアを開け、その拍子にかつて男だった黒い玉はソファーの下に逃げ込む……というメタモルフォーゼものであり、こちらも小品ながら息を呑む描写力で、変貌と輪廻を描ききった傑作です。
つまり本作『裂け目』は、この『黒い玉』を下敷きにしているのではないかと思います。
ラストにおいて、自分のいる世界が新しい世界だと思い込んだ和彦は、身を軽くしてはずむように駆けて行って終わります。はずむように、という描写は、太田誠三との邂逅シーンにおける黒い玉の描写と一致しており、まさしくラストの和彦は和彦でありながら黒い玉、つまり世界を破滅へと向かわせた黒い玉の正体は和彦であったと思われるのです。
だからこそ、この物語のオチは目に見える侵略ものというより、夢と現実の境界を跨ぐことで、人間の内部を脅かしていく侵略を描いたものといえます。
その点、黒い玉がカップルを襲う描写を強め、無人の世界を駆け回る和彦の描写が続くことで終末SFのヴィジョンを描くことよりも、黒い玉の描写を抑え、ラストに和彦の嬉々とした描写を続けることで、いま実際に現実世界で繰り広げられている地獄絵図を想像させようとしているのでしょう。
黒い玉の正体、否、ラストにおける和彦の正体を読者に気付かすことではじめて発動される、無垢な暴走。
では、逆に冒頭に登場したカブトガニは何か。
これは単にモンスターとしての昆虫を描いたに過ぎないと個人的には思うのですが、その源泉は山田正紀『タナトスカラベ』(『
超・博物誌 (集英社文庫)』所収)に登場する三種の昆虫にあるのではないかと勘繰ったりもします。
“タナトスカラベ”は、同作に登場する“砂生み(サンドロピー)”と”涅槃虫(ニルヴァーナ)”という異生物の境目を行き来する存在として描かれ、それは同時に無秩序度(エントロピー)増大と減少を繰り返す宇宙の橋渡し、いわば存在しえないはずのもの。
とすると、同作のなかでは夢の解釈として、頭脳は”夢”という形でエントロピーを解放しているのではないか、夢のとりとめのなさ、その飛躍と誇張……なにもかもが“エントロピー増大の法則”を指し示している、という風に語られており、作中であらゆる者の夢に登場すると言われている”タナトスカラベ”より、むしろ作中ではその姿をはっきり言及されない”砂生み”を下敷きにしているのではないか、とも思います。砂生みというところも繋がるような。
フンコロガシ型の”タナトスカラベ”、蚕型の”涅槃虫”とも異なる、カブトガニ型の生物。
もっともカブトガニは昆虫ではないので、せめて三葉虫だったら、なおよかったなあと。
【追記】
調べてみたらカブトガニは、蟹より昆虫に近いらしいですね。てっきり三葉虫が甲殻類に完全進化!したものかと思っていましたよ。
ということでたった21ページの掌編ですが、ありふれた日常描写……
あ、一個、これはちょっとなと思った部分がありまして、それがアイスクリームについてです。
冒頭から和彦が旨そうにアイスクリームを貪る様子が描かれ、さらには、お気に入りのものがあり、それでなければ嫌だという始末。ついには自分でコンビニに買いに行くんですね。
で、終盤、和彦はいつものコンビニに入り、腹ごしらえをすることになるのですが、アイスクリームに関する描写がまったく出てこないんですよ。停電して機能していないという設定なので、せめて溶けたアイスの描写を入れて欲しかった気もします。あえて、冒頭の和彦ではないよということにするのであっても、視界には入れるけど手はつけない、というような気配りが欲しかったです。
ということで、そのような確固たる日常が、SFホラーのアイディアによって崩れていく作品を集めた『夢魔の通り道』。
その門前に立つ、この一篇。
村田基『裂け目』。
以下と併せておすすめです。
というか、何が驚きって、『超・博物誌』のロープライスが700円!?
定価:533円(税別)ですよ!?
(ちなみに僕はブッコフにて100円で買いました)
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