手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『影を買う店』/皆川博子・補遺

『影を買う店』/皆川博子・前篇の1
『影を買う店』/皆川博子・前篇の2
『影を買う店』/皆川博子・後篇の1
『影を買う店』/皆川博子・後篇の2



 さて、事実上ひと月ほどかかってしまった『影を買う店』の感想も、こうして終いを迎えることができた。
 実は頭の隅にひっかかり、補遺という形で後付けしようとしていたことが諸々あるのだが、考えなおしてやめることにした。どうしてもこれだけは、というのだけ【追記】あるいは予告なく加筆することにする。
 今回このような引用遊戯を前面に押し出した格好となっているのは、本書に収録されているものがさながら皆川博子という作家の自室の書架ともいうべき、先行作品あってのものばかりだったからに他ならない。つまり、リスペクトに富んだ作品集をさらにリスペクトで上塗りするかのごとき趣向を目指したのだ。いささか関連性のないもの、特に末端部分の詩篇などが散見されるのだが、そこは調子に乗った飾り付け程度に思っていただければ。

 書き残した部分については、概ね「影を買う店」関連になる。作中登場するT**という出版社社長のモデルと皆川女史の弟君については、それぞれのブログを引用することもできた。ついでには皆川女史の父上が大往生なさったことを引き合いにだし、長寿の遺伝にならって是非ますますのご活躍を……などと戯けるつもりでもいたが、そこまで行くとこれはもうストーカーである。デリカシーに欠けている。いまさら言うなという話だが。
 それから、重要なモチーフである〈弟〉についてはさらっと一筆しておきたい。
 実は再三ほのめかすように〈弟〉と〈投身〉の組み合せを語ったのは、塩谷隆志氏に関しての妄執による。
 塩谷隆志氏はSF同人誌『宇宙塵』で活躍後(短篇14篇を掲載)、ソノラマ文庫で《エスパー・オートバイ》シリーズ、『妖怪流刑宇宙』、《ゴースト・ハンター》シリーズなど9冊を発表。青梅浩のペンネームでミステリ短篇集『ヴィーナスの犯罪』、企業小説『企業内棄民』を上梓。本職は高島屋百貨店美術部の課長ということだったが、1984年に亡くなっている。1984年1月には《ゴースト・ハンター》シリーズの一篇『サブウェイ・ファンタム』が刊行されていることから、あまりにも突然の死だったようだ。(以上『日本幻想作家事典』および『日本SF・原点への招待 (3) 「宇宙塵」傑作選』編者解説を参考とした)
 ちなみに「影を買う店」のT**のモデル、伊藤文學氏と実際に同級生だったのは長兄の方であり、塩谷隆志氏は次兄である。
 さておき、誠に不謹慎ながら、目下の疑問は塩谷隆志氏の死因にあった。不謹慎な上に無礼ながら、ソノラマ文庫をはじめとする著作は目を通していないがゆえ、調査の幅もたかが知れているようなものではあるが、いくら調べど探せど見つからない。もしや皆が皆にして意図的に口をつぐんでいるのではないかと思えるほどに。矢川澄子女史のような縊死とするにはあまりに〈投身〉のイメージが横溢する作品が多く、妄執が募ってしまったことをお許し頂いたうえで、どなたか情報お持ちの方がいたらそっと教えてもらいたいものである。塩谷隆志氏が姉である皆川博子女史に与えた影響は本書収録作にとどまらない。しかし本書には特に顕著である。ただそれを明かしたいだけだった。
 とまあ、補遺に仕上げようとしていたのはそこら辺のことだ。
 他には「影を買う店」でM・Mという表記(「影を売る店」ではGN)になっているのは、むしろ矢川澄子「失われた庭」のオマージュではないか、とか。それこそ矢川澄子と森茉莉の関係性とか。
 やめることにした、と言いつつ、ほぼ書いてしまうところがなんともはや。他にも二、三あるがそれは控えておこう。

 とにかく本書『影を買う店』に対する思いはこれですべて駄文に書き起こせたかと思う。あまりにも苦しく、あまりにも狂おしく、濃密で、悪夢的でありながら堕落するほど虜にさせる幻想小説の極み。読者を選ぶだろう。分かる。本書は物語の豊かさや深さはあるが、俗世間的な意味でのヴァラエティさとは別次元の領域にある。しかし、どうか「分からない」や「なんとなく愉しめた」や「とりあえず嫌い」なんてことばで片づけては欲しくないのだ。
 あまりに素早い刊行で賑わっている『アルモニア・ディアボリカ』。あの銘作の風情もある前作を読了したとき、自分が如何様なテンションになったかを思い出せば気持ちは分からないでもない。しかし、長篇小説よりも短篇小説をこよなく愛し、表立った市民権を持たない幻想小説の領域にどっぷりと浸かってしまっている身からいえば、娯しんだり楽しんだりするだけが小説ではない、いやむしろ娯楽を奪われることこそが愉しみとなるようなものが小説であるべきではないのか。世には娯楽があふれているなぞと嘯く意味はないが、それだけ切実である思いをご理解いただけたもう。

 といったところで、体力も尽きてきた。改めて2013年中に完結できてほっとしている。しかし、まだまだ文章にはアラがある。少しずつ研鑽して仕上げていこう。それまで多少の誤字やことばの用法などのミスは読み飛ばしてもらいたい。
 それから序盤に挙げた〈武器〉。〈影〉、〈同性愛〉、〈きょうだい〉、〈大戦〉、〈上下の世界〉……実際、本書を構成するものはこの5つじゃおさまらなかった。いずれ形を整えて再考再掲したい。たとえば本書が文庫落ちしたときなどに。

 また、本来であれば文庫化記念として『少女外道』の感想もあげるつもりだった。しかし、ご覧のとおりそんな余裕はないのだ。メモは出来上がっているんだけど。現在『オール読物』でおよそ2月と8月をめどに掲載されている短篇も、じきに単行本化されるだろう。こちらもそれまで取っておく。

 最後になるが、本書の一大テーマたる「影」をまんま模倣するように、明示せずにたびたび参照した本がある。
 河合隼雄氏の著作、『影の現象学』と『昔話の深層 ユング心理学とグリム童話』だ。
 この2冊、特に『影の現象学』にはとても救われた。と同時に怯えてもいる。まるで最初からそうなるよう設計されていたかのように、『影の現象学』に記されている事柄が各篇に適合していく不思議――さながら〈影〉との交婚――を目撃してしまった。となれば、あとは死ぬしかないだろう。
 これでほんとうに〆になる。ほら、すでに服毒は済んでいる。
 創造過程に不可欠な影とはいったい何であろうか。影とはそもそも自我によって受け容れられなかったものである。それは悪と同義語ではない。特に個人的な問題にすると、それはその本人にとっては受け容れるのが辛いので、ほとんど悪と同等なほどに感じられているが、他人の目から見るとむしろ望ましいと感じられるものさえある。しかし、創造性の次元が深くなるにつれて、それに相応して影も深くなり、それは普遍的な影に近接し、悪の様相をおびてくる。かくて、「悪の体験なくしては自己実現はあり得ない」とさえいわねばならなくなってくる。少量の毒薬は良薬になり得るという。だから、「医療の場合と同じく、心理療法の場合も、毒の『投薬量』に対する注意が肝要である」ということになる。」
(河合隼雄『影の現象学』「影と創造性」より)


【参考文献】






UNCHARTED SPACE 国産ミステリ小説レビュー
皆川博子 著作リスト BOOK LIST OF MINAGAWA HIROKO

ひとでなしの猫 塚本邦雄

オスカー・ワイルド『サロメ』論 - 駿河台大学









国枝史郎 レモンの花の咲く丘へ





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