手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『影を買う店』/皆川博子・前篇の1


影を買う店
究極の耽美「純粋幻想小説集」
これぞ幻想小説の極み!
いっさいの制約から解き放たれた皆川博子の真骨頂が堪能できる至極の21編
〈作家M・Mが常連の喫茶店に通う私が気付いた、この店の密やかな性戯とは?(「影を買う店」)〉他、皆川博子、最大の「偏愛幻想/奇想」小説集、ついに刊行!

そのとき、残してきた影を剝がされる感覚が体内を走った。店主の奇術師のように繊細な指の動きが、眼裏に視えた―。表題作をはじめ、幻想と奇想に満ちた至極の小説21編を収録。

「本書に収録されている作品は幻想、奇想----つまり私がもっとも偏愛する傾向のもの----がほとんどです。消えても仕方ないと思っていた、小さい野花のような、でも作者は気に入っている作品たち。幻想を愛する読者の手にとどきますように」----皆川博子

森茉莉から始まり矢川澄子に終わる――。“女流作家”がもつ呪縛を受け継ぎ、異端の先端を疾駆する〈女王〉の神槍。その作家人生は数多の創作者を導く〈影〉――〈死〉との交婚から始まったが、社会からの軛――〈生〉の強迫観念、〈倒立〉、〈近親憎悪〉の束縛というペルソナを剥ぎとり、世界――〈同性愛〉が結ぶ幻視者の域〈月蝕領〉――に対する官能への興味と童話の残酷性をたずさえて再び〈少女〉へと戻っていく。時を超え反復する〈弟〉の〈投身〉、自らの〈老い〉を受け容れさらに〈美的快樂〉のため彫琢された〈80歳のロマンチシズム〉。 http://book.akahoshitakuya.com/b/4309022316




【収録作】
「影を買う店」 『影を買う店』/皆川博子・前篇の1  
「使者」
「猫座流星群」
「陽はまた昇る」
「迷路」
「釘屋敷/水屋敷」 『影を買う店』/皆川博子・前篇の2
「沈鐘」
「柘榴」
「真珠」
「断章」
「こま」
「創世記」(写真=谷淳志) 『影を買う店』/皆川博子・後篇の1
「蜜猫」
「月蝕領彷徨」
「穴」
「夕陽が沈む」
「墓標」
「更紗眼鏡」
「魔王 遠い日の童話劇風に」 『影を買う店』/皆川博子・後篇の2
「青髭」
「連禱 清水邦夫&アントワーヌ・ヴィオロディーヌへのトリビュート






 まさに圧巻。
 誰なんだよ、見覚えのある作品ばかりで拍子抜けなぞと吐かしていたのは。そう口にしたくなるほどの切実な、暴力的な、倒錯した思いが分かっていただけるだろうか。
 この一週間、生きた心地がしなかったのは、なにも多忙極まりない本職のサービス残業に目を回していただけではあるまい。帰宅後、利き腕の下にノートを敷いて、ペンを掴み、左手で本書を開いて没頭する夜ふけどき、一篇一篇を噛みしめるように噛み砕くように、そして一篇読み終えるたびに、声なき声で頭上に吠える。なん、なんだっ、こ、れ、はっ!
 忿りと悦びと、哀しみを綯い交ぜにして懐きたる感覚。それはもう、ほんとうに久方ぶりに体感した次第。

 本書、あらゆる意味で曲者です。
 前回の『鳥少年』に引き続き、またしても駄文開陳のコーナー。
 今回も長々しくなること請け合いなので。というか過去最長になること請け合いなので。
 ネタバレとか平気でするので。忠告とかいちいちしませんので。

 解説によると本書は、90年代後半~2013年の約20年間に発表された単行本未収録作品をまとめた幻想小説集である、らしい。系譜としては85年に出版された『愛と髑髏と』や98年に出版されこのたび増補文庫化と相成った『結ぶ』から継ぐもの、らしい。
『たまご猫』や『猫舌男爵』を忘れてないかい、と言いたくなるがそれはそれ。もっとも「小説現代」所収のものを集めた『猫舌男爵』と並べるのはお門違いらしい、とか。『蝶』や『絵小説』、『少女外道』はまだしも『猫舌男爵』はまとまりないだろとか思うんだけど。てか、単行本未収録作品をまとめたって言ったら何にでも当てはま(やかましい
 さておき『愛と髑髏と』が70~80年代(つまり『鳥少年』収録作と同時期)、『結ぶ』は90年代ときて、そして本書という系譜。『たまご猫』(80年代後期)『猫舌男爵』(00年代初期)はそれぞれの間に割って入るような形。『鳥少年』が『たまご猫』を包括しながら『愛と髑髏と』~『結ぶ』間を繋いだように、『猫舌男爵』を包括しながら『結ぶ』以後を繋ぐのが本書であるというわけだ。
  • 70~80年代   『愛と髑髏と』(『鳥少年』)
  • 80年代後期   『たまご猫』
  • 90年代     『結ぶ』
  • 00年代初期   『猫舌男爵』
  • 90年代後半~13年『影を買う店』
 むろん、そう言い立てることにたいした意味は無い。カードの並べ替えを愉しむようなものだ。

 手っ取り早く、今回も初出を発表順に並べてみる。
【90年代】
  「小説新潮」1995年3月号              「沈鐘」
  異形コレクション『水妖』1998年7月         「断章」
  「クロワッサン」1998年7月25日号          「真珠」
  「銀座百店」1999年5月号              「迷路」
  異形コレクション『時間怪談』1999年5月       「こま」
【2000年代】
  『絵本・新編グリム童話選』2001年7月       「青髭」
  異形コレクション『玩具館』2001年9月       「猫座流星群」
  「小説現代」2003年8月号※2004年3月は『エロチカ』の発行月 「柘榴」 
  異形コレクション『黒い遊園地』2004年4月      「使者」
  『凶鳥の黒影』2004年9月              「影を買う店」
  『黄昏ホテル』2004年12月              「陽はまた昇る」
  『稲生モノノケ大全 陽之巻』2005年5月         「魔王」
  異形コレクション『アート偏愛』2005年12月      「創世記」
  『猫路地』2006年5月                「蜜猫」
  異形コレクション『伯爵の血族』2007年4月      「月蝕領彷徨」
  「小説すばる」2007年11月号             「墓標」
  異形コレクション『ひとにぎりの異形』2007年12月   「穴」
  「小説すばる」2008年11月号             「更紗眼鏡」
  異形コレクション『怪物團』2009年8月          「夕陽が沈む」
【2010年代】
  『怪しき我が家』2011年2月             「釘屋敷/水屋敷」
  「ジャーロ」2013年4月                 「連禱」


 まず何を差し置いても、《異形コレクション》への言及は欠いてはなるまい。解説にもあるとおり書き下ろしオリジナルアンソロジーの先駆け、SF・ホラー双方を呑み込むあわいのマンモスアンソロジーとして長いこと君臨して続けてきた《異形》。
 本書の惹句でもある「いっさいの制約から解き放たれた皆川博子の真骨頂」とはまさしく《異形》によって引き出されたと言っても過言ではないだろう。第1巻『ラヴ・フリーク』から10年目にして刊行された別冊『異形コレクション読本』の巻頭を飾るのは誰あろう、皆川女史の特別寄稿なのである。
 一部を引用すると、
 一巻ごとにテーマを定め、書き手を選び、書き下ろしのみでアンソロジーを編んでいくというのは、大変なお仕事です。
 書き手の方たちも、この舞台ではのびのびと、綺想のかぎりを発揮しておられます。
    ことわっておくが、《異形》は実験小説専門ではない。
 のにもかかわらず、本書解説いわく「活字を図形のように組むタイポグラフィの技法を駆使してみたり、自身が愛誦する詩歌や小説を下敷きに想像力の翼を広げてみたり」と綺想のかぎりを発揮しているのはまぎれもなく、女史自身なのだからおもしろい。
 さらに『異形コレクション読本』から拾ってしまおう。
『異形コレクション読本』は編者・井上雅彦氏の解説によれば評論だけの《異形コレクション》を目指したというだけあって、錚々たる評論家メンバーによる《異形》評が詰まっている。女史との関連も深い千街晶之氏はミステリ評論家の眼から、《異形》におけるミステリと怪奇幻想の融和性について論じている。
 皆川博子は、日本が真に世界に誇り得る幻想ミステリ界の女教皇である。『聖女の島』(1988年)、『死の泉』(1997年)、『薔薇密室』(2004年)といった傑作群で伸びやかに展開される悪魔的な美の世界は、読者に極上の陶酔を齎す。《異形コレクション》全収録作中でもベスト5に入るだろう絶品「砂嵐」(『ラヴ・フリーク』収録)をはじめ、「断章」(『水妖』収録)、「こま」(『時間怪談』収録)、「使者」(『黒い遊園地』収録)といった短篇は、真正の幻視者だけに可能な言語錬金術の貴重な成果である。
 自身も〈異形〉の執筆者であり、ショートショートの研究家としても活躍している高井信氏は、〈星新一ショートショート・コンテスト〉出身者が数多く参加している〈異形〉の重要なバックボーン、ショートショートの血脈について論じている。女史については〈コンテスト〉出身者以外の作家として触れている。
 もう一人、皆川博子の名も挙げておこう。《異形コレクション》寄稿作品のなかには、「砂嵐」(ラヴ・フリーク)、「こま」(時間怪談)といった短い短編、超掌編集とも言える「断章」(水妖)があるが、これらが果たしてショートショートの範疇に収まる作品なのか、いや、収めていい作品なのか、正直なところ判断に迷う。夢か現か幻か。その不可思議な幻想小説は、読者を悪夢の空間に誘い込む。いつの間にか虚と実の間で翻弄されている自分に気づくのだ。悪夢的ショートショートと言えばバリー・ユアグローが有名で、ほかにもマルセル・ベアリュ、リディア・デイヴィスといった作家が思い浮かぶが、やはり皆川博子の描く世界は独特のものだろう。ショートショートであるか否か、そんなことは関係なく、上質の幻想小説であることは間違いない。
 というように、諸作品は本書に集成されるずっと前から「純粋幻想小説」としての孤高の煌きを放っており、そのとおりに評価されていたわけだ。
 なお、絶品と謳われた「砂嵐」は『皆川博子作品精華 幻妖』に収録されている。よって本書には収録されなかったようす。
 長年、原書を介して愉しんできた者からしてみれば、「陽はまた昇る」「夕陽が沈む」のまるで双立するかのような綺想小説2篇には「砂嵐」と相通じるモチーフを感じるし、「沈鐘」で描かれるロマンスの鏡像として愉しんだり、「魔王」「連禱」と並べて語りの魔術をさらに堪能することもできたはずだ。つくづく残念である。
「砂嵐」についての筆者の読みは異形コレクションⅠ『ラヴ・フリーク』 も参照のこと。

 さて、前段すらこの冗長さでいったいどこまで行くのか。行けるとこまで行こう。
 各篇の解説に先立ち、本書に挑むにあたって念頭に置いた事柄がある。読む前は朧気な推測だったが、読了してさらに明確に皆川博子という作家の〈武器〉を確かめた。詳しくはそれぞれの出番がきたら触れることにするが、概略として列記しておきたい。
  1. 〈影〉
  2. 〈同性愛〉
  3. 〈きょうだい〉
  4. 〈大戦〉
  5. 〈上下の世界〉
 本書(特に前半)はこれらが縦横無尽に張り巡らされたものがほとんどである。これらいくつかのファクターに沿って読み解いていきたかったが、作品集は収録順に嗜むという作法を優先して、とりあえず頭から順に迫っていきたい。
(案の定、文字数オーバーとなってしまったため、今回は4分割することにした)



 表題作は黒鳥館主人・中井英夫の掌篇小説「影を売る店」のオマージュである。なので、まずは「影を売る店」について記しておこう。
「影を売る店」は『ショートショートランド』81年夏号に掲載されたのち、83年『夜翔ぶ女』に収録される。
 本作中でも説明されているとおり、オレンジ・菫・赤・緑、東西南北4つに区切られた空間――S**駅(下北沢)周辺が舞台。語り手は淡紫(菫)地区にある名もない店に入った北川雅人。店の中では、店員が歌手GNのものと思しき漆黒の布を客である女の子たちに披露しているところだった。話を聞いてみれば、GN本人に売って欲しいと頼まれたもので、GN曰く「表の人気より、裏でシルエットの自分を大事にしてくれるほうがいい」との希望によるものらしい。しかし、店員はなかなか売ろうとはしない。「百枚も売れるとあの人は生きていない」としまいにはそんなことを言い出して。
 店を後にした雅人は、表立って人に何かを売る者は裏で一枚ずつ影が売られているのではないかと思い始める。GNがますます売れ始めた頃、またあの店を探しに菫地区に来るが、そこはべつの店になっていた――。
 作中ではロマン派文学者アーデルベルト・フォン・シャミッソーの中篇小説「影を売った男(ペーター・シュレミールの不思議な物語)」、梶井基次郎の「Kの昇天」にも言及されている。どちらも影にまつわる話だが、片や自らの半身である影を悪魔に売りさばいてしまった男の物語、またひとつは肉体と分かれ実体を持った影に惹かれた男を描いた、自我分裂の話だ。作中では、前者のものとはまたべつの影であり、後者の美しさ・せつなさと較べると俗すぎるとして、明確な因果は逆に否定されている。

   *

「影を買う店」はこの「影を売る店」を下敷きにしながら、買う⇔売るの関係どおり、その逆しまを写しとった作品だ。
 ただし影を売られるキャラクター、すなわち「影を売る店」におけるGNのかわりに、M・Mという作家が現れる。少女のまま老いた唯一の人であり、元祖腐女子ともいわれる森鴎外の息女・森茉莉その人だ。
 話は語り手の弟の通夜にて、弟の同級生であるT**と再会することから始まる。ホモソーシャル系雑誌の出版社に勤務しているT**は生前の弟と装画の契約を取り交わしていたらしい。通夜の席、唐突にT**はある喫茶店の話をし出した。M・Mが常連だというその時代錯誤な喫茶店は、かつて弟とT**もよく通っていたという。実際に訪れたわたしは、元から顔を知っていたわけでもないのに、隅の椅子に腰かけた老女がM・Mだとひとめでわかって……。
 時間軸をおおまかに整理しよう。
  • 1951~74 森茉莉 代沢のアパートに住む
  • 1981ごろ 森茉莉 経堂に引っ越す
  • 1983/1/25『夜翔ぶ女』刊行
  • ―― 弟の通夜
  • 1984/12/20『金と泥の日々』刊行
  • 1987/6/6 M・M(森茉莉)逝去
『夜翔ぶ女』が最新刊であることと、M・Mの死が語られる事によって、話の出発点と終着点は明確である。 
 喫茶店のモデルは実在した。森茉莉が、毎朝9時過ぎに来て窓際の同じ席に座り、紅茶を頼んでいた「邪宗門」。経堂に引っ越してから足が遠のいたとも言われているので、本作で見かけたM・Mはその直前だったのかもしれない。ここで気になるのは、持ち込んでいたのはサンドイッチではなく、食パンだという話もあるようで、何より好みはミルクティだともいう。
 女史がたびたびインタヴューで言及する黙阿弥のことば「嘘を書くのは作者の特権。知らずに間違えるのは作者の恥」が頭を過ぎる。前者であるに違いない。
 語り手の足取りふくめて意図的に原典をなぞっていることは明白だが、なにゆえ「影を売る店」は消えてしまったのかという原典の謎に対するある解釈を込めている。
 そもそも中井英夫氏が〈鏡と影の世界〉を好むのは、その具象に〈同性愛〉という文学的なテーマを秘めているかららしい。とここまでくれば、『恋人たちの森』というBL・やおい耽美小説をものしている森茉莉、そして皆川女史もその筋の練達であることを連想せずにはいられないだろう。しかし、美少年耽美で本作を語るのは外道だ。
 描かれたるは同化意識であり、『夜翔ぶ女』に「影を売る店」と併せて収録された「影法師連盟」の一節「影と影は、どんなにでも愛し合える。男と女とでなくてもいい」をも彷彿とさせる。ともに医師の父をもった森茉莉・皆川博子の両者をも、向かい合わせの影と影、合わせ鏡のように思えるのは必然だろう。
 赤江瀑さんや中井英夫さんは、最初から御自分の世界を確立されて出ていらしたけど、私は何がなんだか分からないで、そういう場所(筆者註:作者がデビューした中間小説誌)に引っ張り込まれちゃったから、こっちが書きたくてじゃなくて、書けと言われて、やったような感じだったから。
 皆川博子は二重の意味で異端者だった、と思う。その志向/嗜好が、当時のエンターテインメントの主流から決定的に外れていただけでなく、中井英夫、赤江瀑、塚本邦雄、須永朝彦ら、いわゆる耽美系幻想文学の「男たちの昏い宴」からも疎外されざるをえないスタンスにあった。それでも彼女は、書いた。
(『ホラーを書く!』より。太字はインタビュアー・東雅夫氏)
 二重の意味での異端者という立場を、「影を買う店」「影を売る店」の奇怪な影たちを用いて言い表すのも可能かもしれない。だがここはひとまず、本作が耽美系幻想の継承者たる皆川女史の代表短篇として、満を持して世に出たことを素直に歓ぶべきだろう。かくして皆川博子「純粋幻想小説集」は幕を開けるのである。


 冒頭は〈幻視者〉あるいは〈美の祭司たち〉と呼べばいいのだろうか、先人への敬愛が詰まった作品が並ぶことになる。異形コレクション『黒い遊園地』収録の「使者」は、1912年のパリを舞台に詩人魂が交錯する一篇。
 語り手は詩人が原稿の売り込みをした編集者(私)。手紙の署名にイジドールとあったことから、40年前に夭折したロートレアモン(イジドール・リュシアン・デュカス)のことを思い出す。実はロートレアモン伯爵の最初の原稿を受け取ったのも私だった。伯爵の処女作『マルドロールの歌』が陽の目を浴びたのは彼が死んで20年ほど経った頃、詩人グールモンが注目したことで話題になったのだ。以後、シュールレアリスムのバイブルとなっていく同書の評価に、私は自身の眼識のなさを恥じた。
 届いた手紙の送り主に、私は原稿を見せてくれるよう返信をした。投書の帰り、広場に来ていた移動遊具を見物する私はボート滑りの船頭の若者に目が釘付けになった。若者はレールを滑降するボートを平衡に保つため、水に突っ込む間際に跳躍してみせる。べつの係員が「あいつは薬でいかれている」と教えてくれると、私は確証するのだった。誰も彼もコカインやクロロフォルムの常用者である。舳先の彼もまた、イジドールと私と同じ、神の幻を視ている者だと……。
 技巧的な叙述が薬物による幻覚を表明した作品というと、少女小説集『巫子』収録の「幻獄」がまず浮かぶ。「幻視者、天才、偉大な音楽家の棲んだ世界を平々凡々たるきみのような人間が訪れることができるのだ。」とは「幻獄」に登場する医師のことばだが、本作ではまさにその「世界」に踏み入ることでますますの混迷へと導かれる。
 ましてや史実を取り入れたものとなると、「世界」はなおさら複雑怪奇の様相をみせる。
  • 1868年『マルドロールの歌』出版  
  • 1870年 ロートレアモン伯爵逝去
  • 1888年 英国グラスゴー博覧会にて、ボート滑りが初めて設置
  • 1900年 パリ万博 開催
  • 1911年 第二次モロッコ事件
 そもシュールレアリスムとは、制約から解き放たれた純粋な思考を表現することにある。本書の惹句を思い出して欲しい。あるいは、跳躍した若者の身体が張り裂け、拡散する皮膚が光の破片となるヴィジョンを、シュールレアリスムの手法に則ればオートマティスム(自動記述)とも肉体のコラージュとも呼べそうだし、井上雅彦氏による解説の一節「言葉で拵えたシネオラマ」を引けば前衛映画も並べ立てできそうだ。印象としては残酷性を前面に出した『アンダルシアの犬』よりも、『去年マリエンバートで』のような迷宮チックなものにより近いとはいえるが。
 ちなみに、井上氏のことばは寺山修司氏がロートレアモンを指して述べた「言葉で絵を描いた」をなぞったものに過ぎないが、それすらも本作の、卓越した文章でありつつ一級の絵でもある熾烈な人体損壊、雑多とした広場の移動遊具、ウォーターシュートの躍動感への的確な評であるように思える。眩惑なる語り口は、さしずめトロンプ・ルイユだ。
 陽光を浴び宙で静止する若者の肉体だけを取り出してみれば、『ペガサスの挽歌』解説における七北数人氏の指摘を思い出す。「皆川作品には飛翔の夢、自由への憧れが狂おしいほどに祈り籠められている。」
 それはそうと肝腎なことに触れるのを忘れていた。
 中井英夫に引き続き、ロートレアモンも高等中学校時代に寄宿先で知り合ったジョルジュ・ダゼットという少年へ愛情を抱いていたらしい。〈幻視者〉の系譜は〈同性愛〉という共通点によって受け継がれていっている。言うまでもないが、本作に登場する倒錯者ならぬ〈幻視者〉もまた、史実を踏襲したものであろう。遡れば遡るほどにこの「世界」は混迷を究めていく。


 少年時代、ロートレアモン伯爵の書を読んだ寺山修司氏は、それを世界でいちばん美しい自叙伝だと思ったらしい。代表作『田園に死す』は私家版『マルドロールの歌』をつくりたいという思いが結実したものだとも振り返っている。「これは、私の「記憶」である。(中略)もしかしたら、私は憎むほど故郷を愛してゐたのかもしれない。」
『田園に死す』の跋にて書かれたその自白を受けて、塚本邦雄氏はこう解説している。
「故郷とは単に“生れた”土地を意味するものではない。ロートレアモンの故郷が、モンテ・ヴィデオとパリのいづれをさすのか、私は断言を憚る。」(『寺山修司全歌集』より)
 皆川女史に照合すれば、女史の故郷はプロフィール上の出生地・旧朝鮮京城か、探偵小説の洗礼を受けた自宅兼診療所の所在地・渋谷か、爆発的に読書量が増えたという転居地・世田谷か……なぞと詮索したくなるのもファンのさがということで。
 さておき、『猫座流星群』の話である。本作のみにとどまらないが、ある意味で本書は皆川博子版『田園に死す』でもあるのではないかと思ったわけである。
(かつて自らの生い立ちに着想をもった作品の発端、長篇『巫子の棲む家』を指して〈精神的自伝〉と述べた作者。だがここではあえて、そう呼んでみる趣向だ。中井英夫の言う「のすたるじあ」でも構わないのだが)
 2階の子供部屋には屋内シーソーと滑り台があった。わたしと弟は父からは嘘をついてはならないときつく言いつけられ、母からは〈教育的な玩具〉のみ宛てがわれ、倦んだ日々を過ごしていた。子守をしてくれていたのはもっぱらねえやで、一人目のねえやは優しかったが、百貨店に連れて行ってもらった帰りにわたしとはぐれてしまったのを咎められ、辞めさせられた。私は見知らぬ男に悪戯をされていたためか、はっきりとは覚えていない。二人目のねえやは言うことを聞かないわたしを叩いたり、わたしが怖れを抱いていることを知りつつ便所に閉じ込めたりするので便所に落としてやった。けれども彼女が面倒がって鎧戸を閉めてくれなかったおかげで、わたしと弟は生まれてはじめて夜の空を見ることが出来た。
 そして次に来たのが勝男だった。父の運転手の息子で、小5の男の子だった。母が持ち出してきたちいさな映写機を3人で組み立てて鑑賞したが、とても他愛ないもので落胆させられた。すると次の朝、勝男は畳二枚分の枠に黒い厚紙を貼ったものを持ってきた。前日、夜空を見せてやると彼は言ったのだった……。
 内科の開業医(作中では玩具との接点を加えるためか、小児科も兼任)の父の厳しい躾が、抑圧された少女を生みだす。皆川作品ではおなじみのネタながら、目を引くのは何より耳に馴染みのない星座。〈猫〉については『蜜猫』の項で記すとして、作中ただ一匹はっきりと死に様をさらす鼠を、年端もいかない少年少女が狩る場面、その丁々発止はさながら猫が憑依したような鬼気を感じる。
 アンファンテリブル物ももはや皆川作品の典型のひとつだが、玩具箱のような部屋で暮らす姉弟と介入してくるひとりの男という構図はコクトー『恐るべき子どもたち』からの引用である。もはや言うには及ばないがコクトーも〈同性愛〉者だ。
 満ち足りない精神の唯一の解放を宿しているといえば高尚に聞こえるが、無知なのか諦観なのか、性的な物事に対してことばを持たない少女がはじめて官能を得た相手がギロチンというのも意味深である。ねえや、母、そして弟……身内に対する冷酷さが、苦痛を伴わない処刑装置として発明されたギロチンの無感情な出で立ちに呼応するようだ。はじめて見る綺羅がいかほどに心を虜にさせるか想像も難くないが、星々の代替とはいえ、生命の残滓に魅せられるというのはあまりに惨憺たる刹那の快楽である。
 勝男の罪、母親の不在など詮索の域を脱せない謎は多いが、もっとも理由なき、罪なき者への処刑執行が確定してしまっているラストは、他愛なく、他愛ないからこそ怖ろしい伏線回収ともども鮮烈のひとことだ。


「黄昏どきに、そのホテルへ行くと、とても美しい。この世のものとは思えないほどに」所在地の判然としないホテルで起こった出来事。それが『黄昏ホテル』のコンセプトだった。「陽はまた昇る」はそのトリを務めた、余韻嫋々のメルヒェンである。
 沈んでいくホテルはやさしく居心地のいいホテルだと、〈風〉はわたしに語った。ホテルという言葉でわたしが想起するのは絵本の〈お城〉。〈お城〉には騎士ベルトラン殿が住んでいる。そう教えてくれたのはおんなのひとだった。高台にあった家でおんなのひとはいろいろな話を教えてくれた。ある時、部屋が真っ赤になって、わたしは盲目になった。
 沈みつつあるホテルが居心地がいいのはフロントのおかげらしい。〈風〉が若いころにホテルへ行ったとき、まだそこはパンパン宿だった。国に殉じ損ない、傷心のまま女を買いに入った〈風〉の眼の奥に、フロントの初老の男は復員兵の悲嘆・絶望を感じ取ってくれ、涙をにじませたのである。最後に訪れたのは天皇崩御が報じられた日。
 胴で断ち切られ異国を縫いつけられた昭和時代はもはや私の国ではなかった。〈風〉は1945年8月になすべきだった死を、半世紀近く遅れて行う。人の生の黄昏ともいうべき時に、己も他者もひとしい深さで視ることができるフロントマンは〈風〉を小部屋に導き、布の包みを寄越した。包まれていた拳銃を口につっこみ、引き金を引けば空無になるとばかり思っていたが成り損なった。一瞬にして空無になるもの、ならざるもの。おまえと私の共通点……。
〈お城〉に住む騎士とは、青い騎士か白い騎士か、否、百年戦争前期に活躍したベルトラン・デュ・ゲクランかもしれない。作中で描かれるむごたらしい武勇伝は、むしろその血を継いだ子孫にこそ流れていそうだが、それは別の機会に書くとしよう。
「陽はまた昇る」という題は、〈黄昏ホテル〉という舞台装置、語り合う2人までも、日没が地球の裏側では日の出であり、斜陽の向きもまた逆であることと同様の関係性をもつことを表している一方で、日の本の国の隠喩であるのも確かだろう。
「水色の煙」、「心臓売り」(ともに『結ぶ』所収)など寓話テイストの短篇が特に気に入っている筆者にとって、幕引き含めて心の琴線に触れる逸品。「あのフロントはそのくらいの力はあるかもしれないよ」というさりげない一行は、優しさや温もりを強調する一方で、容易には手の届かない人の精神の深淵を感じさせる。「水色の煙」の情念が浮力を持ったと思しきかの末行を思い出させるが、やはりこちらは黄昏の明かりのように暖かく柔らかい。なんと紳士的な呪詛だろうか。誰そ彼と、誰そ我と……。


「打ち出して 銀座は香る 月の道」とは、『銀座24の物語』の解説(というか随筆?)で松たか子が明かした自作の句。関わりはないがまずは銀座の雰囲気を感じよう。『銀座百点』は昭和30年に日本ではじめてのタウン誌として出版された。情報だけでなく文化を表現することをスタンスとしている。
 簡略な地図しか書いていない案内状を手に、わたしは銀座を歩いている。元から方向感覚が鈍かった。渋谷から世田谷に越して間もない頃だったか、小学校からの帰途、道に迷った。運良く同級生の男の子に拾われて帰ると、4歳下の弟は泣きじゃくっていた。わたしは弟をぶった。目隠しをしてぐるぐる回らせた。他人の前では仲の良い所をみせない約束だった。
 銀座に来るのはこれが3度目。1度目は弟が赤ん坊の頃に、銀ブラをしようと言い出した父に強引に連れだされた。2度目は弟と、バイクに乗って。到着したビルを指しながら、ここの画廊で同人をやっている、弟は言ったはずだがさだかではない。案内状の目指す先は、画廊のあるビルだ。道に迷ったわたしは元の十字路に戻ってくる。やり直してようやく、見覚えのあるビルが現れる……。
 実家、弟の境遇、記憶、趣味など本作「迷路」もまた「影を買う店」「猫座流星群」とたもとを分かつ、作者にとっての「田園に死す」に属すのだろう。倒立する――天地をひっくり返された――塔は言わずもがな長篇『倒立する塔の殺人』を連想する。〈倒立〉が何を意味するかは『倒立』を読んだ者は承知の上だろうが、たとえば長篇『薔薇密室』と短篇『薔薇密室』のように、「聞き覚えがないのに、その響きに魅せられてしまう言葉というのがある。皆川さんの場合、まず、その言葉が頭の中に現われ、物語をつくりだしていくことがあるという」(長篇『薔薇密室』あとがき:掲載時の編集部コメントより)を起点にして、描き出されたイメージにすぎないのだろう。もっとも短篇『巫子』と『巫子の棲む家』という近似題の意味合いが異なる作品もあるにはあるのだが。
 とはいったものの、〈倒立〉する〈塔〉というイメージに関しての推察は無用ではないだろう。〈塔〉――タロットカードでは最悪のカードだ。上下の向きによって解釈が反転するはずのタロットカードのなかで唯一どちらにしても救われないカードでもある。そして明察すべきはその絵柄だ。〈塔〉に落雷(と思しき神の力)が降り注ぎ、崩落するイメージが有名だが、その衝撃でまっさかさまに落ちる男の絵が描かれることもある。そう、「影を買う店」や本作に留まらず、この手のテーマの真髄とも言うべき「をぐり」(『巫子』所収)においてもそうだが、登場する〈弟〉はいつもどこかの屋上から投身するのである。
 しかし、単にタロット占いでいうところの、ひっくり返された〈塔〉を意味するとは思いたくないのだ。むしろ、視点のみが〈倒立〉する〈塔〉を確認しているような、つまり、物の見え方として〈倒立〉しているように見える、そんな意味合いが相応しいように思う。謂わば、どこかしらタロットカードの正位置に対するアンチテーゼが潜んでいると思われるのだ。たとえば、『倒立する塔の殺人』における作中作で主要人物として登場するキャラクターの名前を借りれば――確かあの子は、ミナモ、というのではなかったか。つまり、〈倒立〉する〈塔〉は現象として実在するわけではなく、水面という鏡のなかでのみ発生する幻影のようなものなのである。
 だからこそ、〈弟〉の投身はリアルとして描かれ、それ自体が〈倒立〉することはないのだ。しかし、幻視の力でもって〈倒立〉した〈塔〉を描きみることで、〈塔〉が頂上を地に向ければ落下する男は天に頭を向け、さながら「使者」の若者のように〈飛翔の夢〉を演じるわけである。
「もう、いいんじゃない、こっちにきても」思いあぐねるうちに、この弟のセリフが聴こえる頃にはもう涙がにじんでくる。
 私事ながら数年前、妻が銀座で働いていたことがあった。画廊のオーナーと自称する人物から名刺をもらったこともあった。以来、銀座という場所は筆者にとって少しだけ特別な場所になってしまった(というのは大げさだが)。だからなのだろうか、この雰囲気にとても弱い。情緒が蘇って俺を離さない。
『銀座24の物語』が出版される20年ほど前。『銀座百点』に80~84年にかけて掲載された掌篇小説をまとめた『銀座ショートショート ―銀座百点―』が出版されている。収録作のひとつ、中井英夫「天蓋」は夜の銀座に迷い込んだ女がドッペルゲンガーと出くわすショートショートであった。終盤、唐突に登場するシルエット屋(影絵売り)の青年と「影を売る店」の店員をダブらせてもおもしろいが、それ以上に本作とのコラージュをおすすめしよう。
  影絵売りと、その客である男女。       ……その片割れは、若かりし語り手。
  弟が描いた稚拙な絵と、観にきた若い女と学生。……その片割れは、若かりし語り手。
 対比の成立するこれらを踏まえて、掌篇小説のドッペルゲンガーと呼ばずしてなんと呼ぼうか。「天蓋」が書かれたのは「影を売る店」の翌年82年4月。『夜翔ぶ女』には「影を売る店」「影法師連盟」「天蓋」の順で収録もされている。切っては切れない関係なのだろう。
 皆川女史が知らないはずもなかろうし、銀座百店から執筆依頼が来た際には『銀座ショートショート』を見返した可能性も大いにある。やがて、同誌に皆川博子「迷路」が掲載される。しばらくすると中井英夫オマージュだけで一冊の本が出来、「天蓋」にとっては姉妹作である「影を売る店」のトリビュート短篇「影を買う店」が収録される。そして時を経て、それらが『影を買う店』という本に併録されたという事実。世田谷に移り住んで10年だと独白する「天蓋」の語り手・水上とも子を、皆川女史に重ねるのは時空を度外視した深すぎる読みではあるが。
 作家と、本と、作品と、そのあわいに組み敷かれる因果を濃厚に感じるだろう。それもまた切っては切れない関係なのだ。



『影を買う店』/皆川博子・前篇の2 に続く





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