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 手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『天使はそこにいるのか』

[解題]
テーマは心霊理論。冒頭の一文、それが作品のすべてを物語る典型。思索小説の類になるのは書く手前から気がついていたが、思ったほどではなかった。幽霊を脳の幻影と解く赴きはエセ科学界、残留思念とする赴きもまたトンデモ科学界にはあるものの、心霊理論として用いるには力不足かもしれない。主人公の精神の浄化(カタルシス)は、理論を手放した瞬間であり、苦悶の果てに行き着いた作者の諦観に因るものである。






 殊に、心霊というものは神出鬼没で何を目的に、何を考えているのか分からない。
 目の前のタイプライターが勝手に短い文章を叩き出しているのも心霊の仕業だろうか。霊感筆記と呼ぶ現象であることは確かだ。
 “箱の中に子猫が一匹”
 そんな飾り気のない文を書いて何が楽しいのだろう。
 元々心霊なんてものは脳が生み出す幻でしかないし、多少の怨念や何かの力が働いても、それは実際に存在しているとは言い難い。怨念ですら、遺された人々がそれに結び付けるためのマクガフィンでしかない。
 天使や悪魔と同義である。つまり心霊なんてものは概念でしかないのだ。
 とまあ、それが昨日までの私の見解だった。

 “箱の中の子猫”。これほどあからさまなヒントはないだろう。不確定性原理だ。観測されて初めて実存性が確かになる分子。心霊も、それだと思う。
 何故、心霊スポットがスポットと成り得るか。何故、実話怪談が怪談と成り得るか。簡単である。それらは観測者がいたからだ。観測者の意識や脳による幻影の形成などとは全く別の話。観測者の存在そのものが、心霊の存在に関わる。
 “彼ら”は観測されて、目撃されて、干渉されて、初めて存在するのだ。

 目の前のタイプライター。黙々と弾いている彼は心霊だろうか、天使だろうか。
 君はそこにいるのか。
 薄暗い部屋には“誰も”いない。そう、“私”も含めて誰もいないのだ。その意味が君には分かるか。
 さきほど、扉が開いた気がする。遺した妻子の声が聞こえた気がする。だが、私には見えない。きっと、妻子も私が見えていないのだろう。
 閑散とした部屋の中、仕事道具であるタイプライターだけは手入れをされてそのままにしてある。だが、それも最早私のものではなく、姿の見えない誰かのものだ。
 何故、見えないのか。君の姿が。
 何故、見えないのか。妻子の姿が。
 理論はまだまだ不足している。だが、実証するための時間はもうない。
 それとも君は知っているのだろうか。理論の全てを。羨ましい。だが私は、皆まで聞くつもりはない。死人に口なしとはよく言ったものだ。冥土の土産にそんな理論を持って行っても、あちらの住人は興味も持たないだろう。
 タイプライターの主よ。君はそこにいるのか。もし、君がよければ、私も連れて行ってはくれないだろうか。
 もし君が、私を迎えに来た天使だったならばでいい……君たちの住まう、夢の楽園に……私も連れて行って欲しいのだ。
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