殊に、心霊というものは神出鬼没で何を目的に、何を考えているのか分からない。
目の前のタイプライターが勝手に短い文章を叩き出しているのも心霊の仕業だろうか。霊感筆記と呼ぶ現象であることは確かだ。
“箱の中に子猫が一匹”
そんな飾り気のない文を書いて何が楽しいのだろう。
元々心霊なんてものは脳が生み出す幻でしかないし、多少の怨念や何かの力が働いても、それは実際に存在しているとは言い難い。怨念ですら、遺された人々がそれに結び付けるためのマクガフィンでしかない。
天使や悪魔と同義である。つまり心霊なんてものは概念でしかないのだ。
とまあ、それが昨日までの私の見解だった。
“箱の中の子猫”。これほどあからさまなヒントはないだろう。不確定性原理だ。観測されて初めて実存性が確かになる分子。心霊も、それだと思う。
何故、心霊スポットがスポットと成り得るか。何故、実話怪談が怪談と成り得るか。簡単である。それらは観測者がいたからだ。観測者の意識や脳による幻影の形成などとは全く別の話。観測者の存在そのものが、心霊の存在に関わる。
“彼ら”は観測されて、目撃されて、干渉されて、初めて存在するのだ。
目の前のタイプライター。黙々と弾いている彼は心霊だろうか、天使だろうか。
君はそこにいるのか。
薄暗い部屋には“誰も”いない。そう、“私”も含めて誰もいないのだ。その意味が君には分かるか。
さきほど、扉が開いた気がする。遺した妻子の声が聞こえた気がする。だが、私には見えない。きっと、妻子も私が見えていないのだろう。
閑散とした部屋の中、仕事道具であるタイプライターだけは手入れをされてそのままにしてある。だが、それも最早私のものではなく、姿の見えない誰かのものだ。
何故、見えないのか。君の姿が。
何故、見えないのか。妻子の姿が。
理論はまだまだ不足している。だが、実証するための時間はもうない。
それとも君は知っているのだろうか。理論の全てを。羨ましい。だが私は、皆まで聞くつもりはない。死人に口なしとはよく言ったものだ。冥土の土産にそんな理論を持って行っても、あちらの住人は興味も持たないだろう。
タイプライターの主よ。君はそこにいるのか。もし、君がよければ、私も連れて行ってはくれないだろうか。
もし君が、私を迎えに来た天使だったならばでいい……君たちの住まう、夢の楽園に……私も連れて行って欲しいのだ。
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