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 手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『不屍祝祭日』

[解題]
bk1怪談大賞に投稿した際に800字に減じているが、これがオリジナル。
本作を少なからず"怪談"を募る企画に寄稿するというのも馬鹿げた話だが、オチは一応怪談の手法を取っているといいわけしよう。
その際、頂いた感想に、"死を忌み嫌う現代への皮肉"という指摘があった。
本作の場合、そこまでの意識はしていない。むしろ、死とは何か。死と生が逆転した世界において、生きるとは何か。そんなところの思考実験と呼べば箔はつくだろう。
 聖者の行進じゃない。生者の行進だよ。
この世は生者の行進に満ちている。摩天楼の立ち並ぶ先進国、飢餓人たちの溢れる荒野の国、高貴なティータイムで大寡を持て余す西洋の国、大統領に国民全員が忠誠を誓う現代の鎖国、古き伝統を重んじ独自に発展を遂げた島国……生者が溢れ、日夜、無駄な労力を使いながら行進を続けている。何故なら彼らにとってそれが生きている証だからだ。でも、こんな話を知っている。この世界の何処か……。
生者の行進ならぬ屍者の行進が起こる街の話だよ……。

その日は誰もが働かない。
その日は誰もが家を出ない。
家族と過ごして、仕事を忘れ、日頃の悩み、将来の不安、何も難しいことを考えずに、ソファーやベッドに腰かけて、何も口にせず、何も語らず、ただただぼんやりと目の前を見つめては生きているということを噛み締め、優雅で崇高な一時を過ごす。だからその日は誰もが死なない。殺人などの犯罪は起こらないし、事故も起きない。病床で心臓疾患を持つ男の心臓が止まっても、男は死なない。
では既に死んだ者たちはどうだろうか。
屍人は広場に集まり、笑い、踊り、大食になり、“死人のような”人々を小馬鹿にし、かけがえのない時を過ごし、明くる朝の光を浴びて、目を瞑り、硬くなった肌の色を見る見る変えて、ようやく床に倒れていく。そんな彼らの姿を見た人間は幸運で、それから一年は挫折に苦しまない。
でも、反対に。
ソファーに寝そべる母の子宮から、だらりと転がり落ちた嬰児の成れの果てを見たものは、一年のうちに至極の絶望を味わうだろう。
《不屍祝祭日》。
死なないことは生まれないこと。その日はたった一度、死が祝福され生が忌み嫌われる、オンリー・ホリデー。

そんな奇跡が起こる街の話。奇跡……と呼ぶにはあまり喜ばれるものではないけれど。ただし《不屍祝祭日》には大きな謎がある。
数百年間、奇跡は起こっているのにそれがいつやって来るかは誰にも分からない。だけど街の人々は恐怖に駆られることもなく、統計を取って予測することもない。街の人々が言うには……“死ってそんなもんだろう?”ってね。屍者の行進も祝祭日のパレードでしかないし、街の人々はそれを死そのものだと思ってるらしい。
それからどうしても分からないのは、僕が何処でその話を聞いたかなんだけどね。
ただ記録によれば……前回の祝祭日が僕の生まれた日なんだ。ねえ、君はどう思う?
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