寒さで筋肉が固まったか、この白昼に金縛りにあったか、僕の体はぴしりと動かなくなって、駅前のオブジェと化している。無人のバスターミナル。連なるLED。花の散った花時計。トゥリー。宿り木のアーチ。
そこにフレンドは現れた。黒塗のシルクハットにつるりとしたステッキ、三つ並びの釦がついて、黒曜石のような双眸しかパーツのない物言わぬ表情。丸々とした白い体は本当に雪で出来ているのか疑いたくなるほど整っていて、白い画用紙の上にコンパスで苦心しながら描ききったグラフィックアートのように思える。
僕とフレンドは微動だにせず対峙していて、如何なるアクションも起そうとしない。まるで景色の外側に全く別の視点を持った鑑賞者がいて、それは何処か著名な美術館の一角に飾られた一枚の絵画を嗜んでいる人々なのではないか、もしくは鑑賞者さえいない廃れた映画館の倉庫の奥でキネマスコープに取り付けられたまま、永遠なる一コマをレンズに映し出したフィルムの中なのかもしれない。僕たちはそんなこと気にせず、一秒の隙間に存在しているのだけれど、時間が失われた訳ではないと少なからず僕だけは感じている。
秒が増せば、フレンドはやがて溶けていってしまいあとには何も残らないだろうから、もしもこのフリージングタイムが僕らどちらかのために氷結しているのだとしたら、紛れもなくフレンドのためなのだろう。
皓い黄昏にジャックフロストの笑い声は聞こえない。腹の底にじわりと響く静寂のノイズは響くのだけど、それが声とは思えない。花時計は凍っていて、分針の刻む音すら生まれない。スクランブル交差点の喧騒も、聖夜の雑沓も、たとえば製氷皿の水面が冷凍庫から出された頃にはすっかり凍て付いて揺蕩いすら見せなくなるのと同じように不動の姿で或る一瞬の間にいる。
僕はこれからどうすればいいのか分からないけど、とりあえずワンスアポンアタイム、僕はフレンドを恋しくなるのだろうし、それは僕の記憶の中にだけ描かれるノスタルジアであるのかもしれない。それはそれで永続の時間の柵に取り込まれるようで少し憂鬱になるのだけれども、春が来るだけだと思い直せば、また何度だってフレンドはこの場所に現れるのだとささやかな愉しみ。そんな冬を面白くないと呟く無邪気なフレンドと一緒に見上げた空には、パールカラーの背景に幾千と降り積もっていたはずが、フリージングタイムに宙空で停まる淡雪。
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