手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『脳髄妖』

[解題]
複雑化に対する認識を改めなければならないと思う。本作を見るとそれが特に感じられる。作者なりの言い訳も決して負け惜しみではないのだが、にしても混沌ばかりでは喉が渇くというものだ。
そうでなくても1000文字を超えているわけだから、もう少しコンパクトにする努力は必要だったろう。轆轤首だけに首が余ってしまったようだな。



 この女のことをよろしく頼む。中学時代、おなじ剣道部で鍔を競り合った男から、俺はその人物を預かった。期待の半分は裏切られ、もう半分は騙されたという怒りだった。
 部屋に来たのは、男だった。俺から見れば少年と呼んで差し支えない風貌で、確かに端整な顔つきはどことなく女の色気を孕んではいるが、印象の一線は越えていない。俺にそのケがなければ肌に触れるのも躊躇う、紛れもない男だった。

 煙草を勧めても、何があったと問い質しても、一向に無言を貫く彼にはじめは沈黙を切り抜けるための色々な策を演じてみせたが、三十分もすれば飽きてしまった。
 六時間だけ、預かって欲しいとのことだった。時間が来たら迎えに行くから、と半ば一方的に電話を切ったあいつ。最初から怪しいと思っていたが、詮索はしない方が良さそうだ。目の前にいる彼、この少年の目つきがおかしい。心ここにあらずで、まるで自我の力を感じない。

 一時間経った。少年を尻目にDVDを観ながら、昼飯を食べた。流石に訊いた方がいいだろうと思って、腹は減ってないかと訊いてみたが例に漏れず無回答、俺はそのまま自分の世界に入った。腹も充たされベッドのうえで横になっていると、隙間風のように眠気が近寄ってきた。涅槃のポーズをとりながら、頭の重みで何度も。
 シァ……ァァ……。
 耳の後ろで布を裂くような音がする。睡魔が弾け、振り返ろうとすると「そのままで」と聞き慣れぬ声に静止された。見かけ以上に若々しい声だった。
「女のひとが欲しかったんでしょう。ごめんなさい、男で。でも実は僕、飼ってるんです」
 シャ…ァ…ァァァ……。蛇の威嚇音のような、鳴き声だ。いくらでも振り返るのは簡単だったのに、俺は心のうちから金縛りにあった様に動けなくなっていた。
「背骨のなかはどうなっていると思いますか。骨髄が走っている。じゃあそのなかは」
 何の話かさっぱり分からない。シャー、シャー……だが、痛いほどに身の危険を感じる。
「骨盤のなかはどうなっているか。考えたことがありますか。僕はそこに女のひとを飼ってるんです。分かりますよね。身篭った経験のある貴女なら」
 シャー、……何かが入ってくる。俺の、私の、体の、なかに。
「お願いされたんです。貴女のご友人に。貴女に男が感じるすべてを知ってもらいたくて。あの人、貴女のこと、好きらしいですよ」
 知っている。何度か抱かれた。
「貴女の体は女性の体だから、もしかしたら嫌がるかもしれない。でも、大丈夫です。そのときは僕がまた来ますよ。僕、女のひと大好きなんで」
 下腹部から、シャーッというあの耳障りな音が入ってくる。蠢く感触。少年は妊娠と似ていると言いたそうだったが、まるで違う。怖気が……。
「どうだい、居心地は。どれ、ちょっと動いてごらん」
 骨盤のなかから骨髄を伝ってせり上がってくる感触、快感と怖気の両性具有。脳に響く女の哄笑が、ひとつのイメージを描き出す。骨盤のなかに胡坐をかいた女の姿だった。

 ベッドのうえで痙攣する私を、少年が覗き込む。口を尖らせつつ、とろりとした眼に生気はない。腐臭を漂わせた少年の、稚い接吻が近づいてくる。唇と唇が触れ合った瞬間、私の喉を突き破って出てきたそれは、濡れそぼつ長い髪、青褪めた柔肌、切り裂かれた眦、血管に縛された首筋……骨髄のなかを通ってきたであろう、……轆轤首が、少年と熱烈な接吻を交わした後で、自慢げに俺を覗き込む。
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