手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『生首流星群』

[解題]
俺のショートショート初体験は『トワイライトゾーン』でもなく星新一でもなく、えんどコイチ『END ZONE』だ。『アウターゾーン』や『笑ゥせぇるすまん』などいくらでも先行作品はあるはずなのに、『ついでにとんちんかん』からの流れで読んだのが出逢いだったというのは今思えば情けなくもある。それだけこの世界と無縁な幼少時代を送ってきたのです……。
1000文字のなかでも『END ZONE』のエピソードを踏襲したのは他に『代わりに、小鳩を』『君が猫ろぶ前に』あたりか。もちろん『END ZONE』自体どこからか持ってきたネタのリサイクルなので孫パクにあたる。
本作は直接的な踏襲にはあたらないが、終末世界に好みでない相手と残されるというネタを持ちだしている。本作ではそれを受容したのちに『爛夜花』を彷彿とさせる世紀末ヴィジョンでもって、なし崩しに俺流のファンタスマゴリアに化けさせてみた。とはいえ言葉足らずは否めない。




 新時代のために用意されたアベックがわたしとこの男ならば、世界は終末を迎えた意味などない。

 ――この男が、嫌いだ。姓を木谷、と云う。
 見かけだけ公務員よろしく、耳の縁、襟元まで至らぬように切り揃えた髪の毛と、太い蔓の眼鏡、デザイン性のないスーツに、よれよれの革靴。寂れたとも萎れたとも云い難い、疲弊が垣間見える風貌こそ、生理的に受け付けなかったが、重要なのはそこではない。
 この男が内に秘めている感情、思考は想像よりも混沌としていて、つまるところ、粗暴をひた隠しにしつつ、社会に溶け込みながら生きているようで、実は内部から食い散らかす気でいた寄生虫ではないか。レンズ越しに覗く眼は、とにかく澄んでいない。瞳孔が濁っている。肌の荒れ、唇のかさつき、無精髭、黄ばんだ前歯すら大人しくさせる眼が、先ず嫌いだ。
 篠田さん、ここからだとよく見渡せるでしょ。
 磐城港の近くにいる。左手にアクアマリンが見える。親潮と黒潮の境目に建つ環境水族館。見た目は鼠捕りの籠のようだが、近代的なフォルムには違いなく、漁港の湾景に比べると聊か芸術的にさえ見える。繋がれた手の温もりを想起させるほど、父と出向いた思い出は充ちるが、景色自体は古物の風格が拭えない。
 水平線に防波堤。観測棟。背中に、突き出た崖。一角に年代物の灯台。
 今夜もあれは来る。何をしに来るのかは解せぬけど、とりあえず来る。
 湾景は黄昏て、海は凪いだ。重層の混ざる空に、浮かび上がる点星を数えながら、午前のことを考えている。潮風に燻されに来る必要はなかった。泊まったブティックホテルの窓辺から眺望できたのだ、この海も。会えますよ、お父さんに。それが口説き文句だと本気で思っているのか、木谷は嘯き、自前の手品でも披露するかのように海へと視線を誘う。
 あれが甥、あれは大叔母。鰯雲を突き抜けるように現れた数多の流星群のなかに、見知った顔を見つけるのは容易かった。血縁者ばかりか、かつての恋人や友人たちもいる。空の涯てより来て無尽蔵に殖える生首衆は、アクアマリンの網目を撫でる間もなく、燃え尽きる。今さら父の眼差しが恋しくなるなんて……。
 現れませんか。木谷が赤子のそれを包むように握るのは、三十路手前の女の手で――

 幻影にすら見放されて、どう生きよう。
 けれども諦めが運命を支配するなら、わたしは男の手を握り返す。大嫌いだった父のそれによく似た毛深い手を、優しく。
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