蝉が鳴いている。そして、次第にそれは止み、生命果てた蝉の亡骸が地に落ちる。無数の小蠅が舞い上がり、見えない柱を作っている。アスファルトの上では潰れた雨蛙。干からびた蝸牛。半身の兜虫。巣を拡げる足長蜘蛛。身構えている蟷螂。事切れた紋白蝶を運ぶ数十疋の蟻の群れ。飛び回る蜜蜂。揺蕩う水瓶の中に逃げ込んだ家鼠。喉を枯らし水溜りに口づける野良犬。屍肉を狙う鴉たち。
通りには砂埃が舞っていた。スモッグが立ち込めていて、呼吸をすることさえままならない。無情にも精悍な蒼穹と、太陽の照射が、地面を熱して煙霧を一層膨張させている。
遠方から派遣された男たちが、早朝から汚泥に満ちた溝をさらい、屍をとうに超えた犠牲者を乗せたトラックがひっきりなしに国道をすれ違う。私も派遣された一人だった。確かこの町には大学の級友たちが数人住んでいたはずだった。犠牲者名簿には未だその名前が確認出来ないが、この惨状を見る限り、トラックに乗せられた亡骸の中に彼らが含まれていると思うしかない。
おぞけが掻き立てる冷や汗混じりの塩辛い雫が額から垂れ、目に入ると沁みて痛い。溝はすっかり茹っていて、その湯気もまた目頭を燻る。溝に積もり重なった丸焦げの屍体から上る蒸気もまた然りだ。荒廃したビルを解体する重機の音が谺する。現場の責任者が唐突に作業を中断させて、休憩の指示を出した。齢六十前後の操縦士がブルドーザーから降りて来て、私の隣で冷えた珈琲を飲み出した。
「あっという間の出来事だったなあ」
男の目尻に汗だか涙だかの水滴が溜っていて、流れ落ちぬ寸前で堪えている。手渡された珈琲に私も口をつけた。口内に広がる苦味は後味が悪く、舌先に粘りとざらつきだけが残る。
「かみさんの実家があったんだ」
男が呟く。その喉仏が上下して、その後の言葉さえも飲み込んだようだった。その瞬間、警笛が鳴った。ラジオが、海を挟んだ隣国からの三度の核弾頭発射を伝えた。隣の男の肩が微かに震えているように見えた。耳を劈く音がして、ふと上空を見上げると、白く細長い二本のミサイルが横切るところだ。風が震動して、思わず目を瞑る。汗水が瞳に沁みた。
「忌まわしき夏がまたやって来たということだ。時代は繰り返されるんだよ」
核弾頭の飛空音にかき消されながら、男の声と蝉時雨が耳に残った。夏は終わらない。それは至極確かなことだと立ち上ぼる異臭と熱気は訴えている。
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