窓の上のガーゴイル。鍛冶屋が打ち鳴らす鉄鎚の音。下水道から耳障りな声を上げて這い出してくる溝鼠の群れ。夜の街角に響く、拐われた女の子が口遊んでいたハミング。火に灼かれる程の熱を呼ぶ、死に至る病。
思えば、小さい頃から僕は数多くのものに怯えながら生活してきた。母親が聞かせてくれたベッドタイムストーリーのせいかもしれない。特に『醜いアルラウネ』。
『親指姫』は聞いたことがあった。花びらの中に棲む小さな女の子の妖精。でも、母親が語ったのはもっと別な話で……。
ヴィヴィ、君と出会ったのは、それから随分後のことになる。互いに十六歳の春だ。僕は君と出会って怖いものが無くなった。毎日が楽しい日々。……白い花のブーケと君が被ったヴェール。あの時の約束は決して飯事ではなかったと信じたい。
出会って十年が経ち、君が僕の元を離れて、錠前屋の息子と婚約したと聞いた時から一年。
そして、君が最後に僕の部屋を訪れてから一時間が経つ。
《アルラウネ》。処刑台の下に咲く一輪の花。人の顔を持ち、死刑囚の最期に微笑みかける魅惑の妖精。でも母から聞いた。女性を辱めた者の下に咲く花は、魔女のように醜く、その薄ら笑いは下卑ていて、罪人は戦慄し懺悔も忘れて首を狩られる。
思えば、それは女性を大事にするようにという母の創り話なのかもしれない。何故なら僕の足元に咲いている、君という花はこんなにも美しいじゃないか。
媚薬と毒薬。調合する為に用意した花は何だっただろう。眠る君が横たわるベッドは薔薇のベッド。棘が君を優しく抱き、白い肌に聖痕を刻み込んでいる。そんな君を瞰(みおろ)しながら僕は立っている。手作りのギロチン。天井から吊り下げられた大きな刃。繋がったロープの先は柱を伝い、僕の手の中にある。手を離せば……。
僕の足元で微笑むアルラウネは君以外に考えられない。結婚出来ないならそれでいい。代わりに僕のアルラウネになって欲しかった。……これでもう何も怖くない。
台座に身体を固定し、ロープを握った手の力を緩めた。
ロープが踊る。頭上から刃が落ちてくる。眼前にはアルラウネ。麗しき僕だけの……。
刃は僕の首を刎ねた。その瞬間まで、僕は君の顔を見ていた。先刻までの安らかな寝顔は、僕の頸椎を通過した刃に腰骨を折られ、悲痛に歪んだ顔になる。僕の切り離された首が、君の醜い顔と接吻をする。それはとても苦い、血と後悔と、悪魔の味がした。
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