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 手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『書物と真空の海』

[解題]
パッケージ化なる技術は、安直だったかもしれない。これを読書媒体の変遷、いわゆる電子書籍への懸念と受け取る向きは否定しないものの、単に恋愛の真髄は個人の尊重が要であるといいたいだけだったのかも。読書とは文章を読むことだけではなく、内容を理解することが重要であり、それはまた恋愛の作法にも言えることだ。大事なのは、心を読むことではなく、心を理解すること、ただし、あくまで他者であることを忘れてはならない。恋人は他者であり、恋人の人生は自分の物語とは別の物語なのである。
また、少女を小物のなかに閉じ込めたい願望があるのか、『“魔美ちゃん”のビー玉』にも相通じるイメージ。
なお地震による本棚の倒壊、図書館という舞台は、かつて着想していたミステリ小説からの引用であることを、自身への備忘録のために書き添えておく。




 彼女が死んだとき、そこは大量の書物で埋もれていた。震度六弱の地震でどっしり構えていた本棚は崩れ、安穏して虫食いだけを気にし、後世に引き継がれるのを待っていた古書たちは予期せずして人をひとり殺めてしまった。
 彼女が常飲していた薬剤は半透明のカプセルに入っていた。ひと昔前まではいくつもの錠剤を三食に分けて服用したというが、彼女の時代には一個のカプセルで代用できるようになった。愛しそうに、恥ずかしそうに彼女が一度きり見せてくれたあのカプセルには、色々なものが詰まっていたに違いない。
 書物に圧された亡骸のそばにケースが落ちていた。散らばったカプセル。分厚い古書の表紙に潰され、毀れていた。もう少し早ければ……半壊したカプセルから薬剤ではない何か、充満していた病者の念のようなものが揮発するのを見られたかもしれない。
 
 母校から図書室が消えた。大量の書物がパッケージされればかなりの省スペースになるからだ。かつて彼女と出逢い、彼女を失った場所……図書室。その跡地に出来たトレーニングルームを訪れた。気圧が調整可能なカプセル型の部屋……。リーダーに彼女の好きだった本のカプセルを入れる。モニターに彼女の愛した物語が映し出される。

 死ぬのが怖くなくなった。パッケージを望む人間は往々にしてそう語る。
《私はまだ私の物語にいるの。君は君の物語……どちらかがどちらかの物語になるのは幸せなことだと思うけど、少し怖いわ……》
 いくら音楽プレーヤーのラウンジ音楽で誤魔化そうとも、彼女の声にかき消されてしまう。
《広々としているのに息苦しい、なんだか宇宙みたい、目に見えない何かが充満しているようで、でも温かいわ、不思議と……》
 透き通ったカプセルに入れられた彼女と同じ視野を、パッケージされていない僕は共有できずにいる。死ぬ一週間前にパッケージ化を選んだ彼女は、死を怖れず幸福を怖れるようになった。
《私はまだ私の物語にいるの。この真空の海は、まだ私の物語……》

 最近、僕は日常に息苦しさを感じるようになった。彼女が去ったからか、同じ病気に罹ったか、それとも彼女という物語を孕むことになったからか。
 ……殺風景なメンタルトレーニングルーム。充満している病者の念、真空の海、拡がっていく僕の物語……。或いは、僕も誰かの物語になってしまったのかもしれない。彼女の声が繰り返される。
《幸せなことだと思うけど、少し怖いわ……》
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