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 手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『とうにピシピシは壊れて』

[解題]
作者にとっての現実、最も重きは実母の病のことであろう。直視しなければならない現実であり、描くべき命題のひとつでもある。本作を執筆した当時はちょうど実母が数年ぶりに入院したこともあり、俺もナーバスになっていたのだろう。
いつか描くであろうこの苦しみを、磨き上げる前の原石。習作の域は出ず、いま読み返せば単に不謹慎な気もするが、熱量だけは感じる。『枝折の怪』では描けなかった俺の執筆動機、むしろ執筆の免罪符であるとも言えるが、この熱量は忘れてはいけないと自戒する。



 Pで始まる英単語を探していた。
 ベッド脇に椅子を持ってきて、座り込んで二時間ほど経つだろうか。夜の冷気が鋭さを増すばかりで、膝の上に乗せたピシピシの熱でさえ微かになってくる。ピシピシの調子が悪い。充電をしても一時間で切れてしまう。執筆してもその成果はバッテリー切れの深淵へと引きずりこまれるのが関の山で、そう思うと文章も忽ち浮かんでこなくなる。
 二十分おきに看護婦が様子を見に来る。母親の容態のこともあろうが、覗き込む女性達の顔には俺を迷惑そうに思う表情が感じ取れた。
 特例を、二つだけ認めてもらった。
 ひとつは面会時間外に病室に居残っていること。これは個室だったから割とすんなり受け入れられた。但し、夜中となってはナースステーションやら警備室に顔を出さなければならなくて、今さら出て行くのも億劫とさえ感じた。
 もうひとつは、ピシピシの持込み。Parsonal-Computer, Portable-Crab略してPCPC、通称ピシピシ。蟹を模した形状が特徴の、ネットブックもかくやという小型PCのことである。丸みを帯び、凹凸の目立つ外装といい、脇に突き出た八本の足(USBポートやらサブメモリやらを備えている)といい、見た目はコラージュされた蟹そのもので、甲羅を開くようにモニタを上げれば、メインディスプレイとキーボードが現れる。決して蟹味噌が溢れ出てくる訳ではない。誰が好き好んでこんなゲテモノめいたPCを造ろうと思ったのかは不明だが、何より本体価格の安さでこれを選んだ。けれど、安物は安いだけの理由がある。三年目を目前に、バッテリーがもたなくなってきた。

 ネットだってろくに漂流しないのに、どうしてPCなんか買ったかといえば、それは小説を書くためだ。何とか母親の息がある内に世に出るような作品を書きたい。その一心だった。けれど二年の猶予期間はあっという間に過ぎ去り、ろくに実績も残せないまま今夜を迎える。瀬戸際ですね、と医師は語った。
 peak,pain,pathos……ネガティブな単語しか思いつかない。
 P…… the Cancer。
 母親の癌をどうにかしてくれる手立ては、俺の手中にない。何度電源を入れなおそうが、ピシピシは起動しなかった。ベッドに横たわる母の手を握る。ピシピシが失ったものと同量の熱が辛うじて残る母の手だ。

 俺は今、失ったあの日の熱量を蘇らせたくて、これを書いている。
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