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 手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『風味絶夏』

[解題]
mixi発、“もうすぐ夏休み。”から始まる1000文字小説を書けというお題。意識して下世話な感じにしたのは否めない。それが楡井の作風。
森真沙子女史の【転校生】という連作短篇集にインスパイアされている。ホラー読みには必読だと書いておこう。傑作だけれど、ベスト級、とは言わない。ホラーのヴァリエーションを知る上で必要という意味だ。



 もうすぐ夏休み。
 色々考えて、スライムでも作ろうかと思い付いた。科学部員なんて名ばかりで、二年になって転校してきた私は、科学部員の顧問でもある担任の須藤から、部活解消の危機を救うためだけに誘われただけだった。
 出会いはあった。クラスは別でもしかすると一生話もしなかったであろう長島という男子生徒と仲良くなった。そもそも同じクラスの男子とさえも、関わりを持つことすら好まない私だから、長島とも大して気持ちが通じ合わないまま、彼の家に招かれた。
 彼の両親は共働きで、家の中はとても静かだった。招かれた彼の部屋には図鑑や参考書が埋めつくし、独特な匂いが漂っていた。コロンのようなものだと思っていた私は眠ってしまって、気付けば長島の腕の中にいたという訳だ。目覚めてすぐ、彼が耳元で囁いた言葉は鳥肌が立つほど甘ったるく、体の熱りと痛みも相俟って殺意を覚えた。
 長島が媚薬と眠薬を独自に拵えて部屋に振りまいていたことを後で知った。すべて私を犯すためだそうだ。もちろん長島はそれを遠回しに表現したけれど。
 長島は私を恋人だと思い込み始めた。一度穢された体だから、ただ与えているだけ。それに長島は気付かない。
 同時期に、顧問の須藤が科学部員全員に夏期課題を出した。いわゆる自由研究めいたもの。長島はもっとすごい媚薬を調合すると胸を張っているが、実際に提出するかどうかは分からない。
 一応、私も何かしようと思って、スライムを選んだ。洗濯糊に水を混ぜ、掻き回しながらホウ砂を混ぜる。ナトリウムとかポリマー化合物とか詳しい話は知らない。小学生でも作れる代物だ。軟らかさは分量で調節できる。そんなスライムで顔を覆ったらどうなるだろう。呼吸を塞ぐことができるかもしれない。すべて飲み込んだら。大丈夫。ホウ砂には毒性がある。喉に詰まっても好都合。でも、これらはあくまで可能性の話。
 須藤は科学は可能性の追求から始まると説く。自分は科学部員として真っ当なことをしているだけ。名ばかりにしてはよくやると思う。実験室は長島の部屋で決まり。状況づくりも大丈夫。媚薬なんて毎日嗅いでいれば慣れるもの。
 私がしたことだってバレるかもしれない。それでもいいの。夏が来る度にきっと私は長島のことを思い出すに違いない。それならばいっそのこと……。
 手筈は調っている。あとは夏休みが来るのを待つだけ。私にとって最後の夏休みが、もうすぐやって来る。
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