夜が瑠璃色だと教えてくれたのが父で、天鵞絨色だと教えてくれたのが、母だ。
鋪道を抜けて、煉瓦造りの門を抜けて、色とりどりの人の首……違う、諷刺画に描かれるような人間の顔を挿絵された風船だ。垂れる凧糸を道化師に束ねられて、ぽんぽんと互いの護謨を弾ませている。ムゥンパァクに一夜だけ曲馬団が訪れる、《翡翠夜》が今夜だという噂は、友人のバルと菓子屋に並んでいるときに耳にした。
バルは駆けていった。僕は柘榴石のジュエリを二人分買わなければいけなくなった。バルは僕が一緒に行けないことを知っていた。バルだけではない。この町に住む大半の人々が、ムゥンパァクは自動人形の体によくないと知っている。電磁波を放つ月の石が地下にたくさん埋まっているからだ。
バルを待たずに家に帰ると、玄関先で母が待っていた。毛布ごと母の懐に抱かれて、妙だなと思いつつも、今夜はしょうがないと自答する。翡翠夜に部屋の窓からムゥンパァクを眺めるのが癖だった。墓標の連なったような街並みの真ん中に、そこだけ燈し火が集まったような、ほんのり眩い夜景をみると、夜が瑠璃色だという父の言葉も納得できた。けれども少し目を背けば、薄闇に閉ざされた町は健在で、曲馬団の照明が届かない町の果ては、東を囲む山稜も、南に広がる湾景も、母の云う様に天鵞絨を思わせる深い青緑の闇で満ちている。
一階に下りると、食卓の上の燭台だけが灯っていて、母が頬杖をつきそれをじっと見つめていた。焔が表面の膜にしっとり水が宿っている母の瞳を照らし出す。こちらを向いた母と目が合った。「アシル。ごめんね」
アシルというのは両親がつけてくれた名前だ。本当の名前はクリアプラス。個体識別名ともいう。この世に一つきりしかない、自動人形の名前。アシルという名前は父も知っている。けれどクリアプラスという名前を父は知らない。前回、曲馬団がこの町を訪れたとき、エリクシルという名前だった僕はムゥンパァクを訪ねた。団長を務める父に会いに。敷地に踏み込んですぐ全身が痺れ出し、頭のなかが燃え滾った。エリクシルは二度と目覚めなかった。彼の記憶と感情は新しい個体に移され、僕が生まれた。
ごめんね、母さん。呟いて門を潜る。
「アシルっ」
燕尾服に身を包んだ紳士が、卒倒した僕を受け止めた。
妙だ。姿形が変わっているはずなのに、父はどうして……。
僕だけの天幕が下りる。瞼の下、暗闇を翡翠が満たした。
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