手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『悲し火幻想』

[解題]
『浸蝕』と同じくmixiでの企画、同じ書き出しによる1000文字小説に寄稿したもの。
「雨なんて嫌いだ。」の一語から乱歩のパノラマ島奇談を連想するのは我ながらどうかしていると思う。特に石井輝夫監督のミステリー映画『恐怖奇形人間』大好きな自分としては、原作の影響が色濃いのは意外だったりもする。
とは言え、戦争の赤紙を意識しているのは時節ながら、書くきっかけになったのは別のものの影響で、加藤元浩氏の推理漫画『Q.E.D.』の28巻にまさしく『人間花火』という話があって、それに感銘を受けたからである。内容は拙作と全く異なるのだが、お気に入り漫画『Q.E.D.』の中でも五指に入るお気に入り。ミステリーが好きで怪奇物、サイコ物が好きな方はチェックされたし。




 雨なんて嫌いだ。せっかく夏宵の空に咲いた打ち上げ花火の迸りでさえ、雨が降れば霞みで隠れてしまうからだ。
 夕餉のあと、傍らに西瓜の乗った盆を置き、垣根の臨める板張りの縁側に腰をかけていた。
 昨日からの一昼夜、頑なに降り続いていた雨はぴたりと止んでくれた。蒼い空には白と黄色の星がちらほら点り、銭湯の煙突から棚引く煙でさえ夜に映える。西瓜の、一番甘い、先端の身の崩れた部分を囓った。汁が唇の隙間から垂れた。膝頭に冷たさを感じ、赤い染みが出来た。水気のある赤――。
 どぉーーん、どぉーーん、と音が河原の方から響いた。空に虹色の百花が咲いた。みっちゃんと花火大会に行くと約束していたのに、それは叶わなかった。一年前、みっちゃんの家に赤紙が届いたのだ。みっちゃん宛てだった。先々月、みっちゃんは漸く十六になった。赤紙の規定にぎりぎり該当する。そうか、もうみっちゃんとは花火を見に行けないのか。うちは河原には行かずに縁側で済ませることにした。縁側でも充分、花火は見える。今年は三十発。夕刊に挟んであった次第によれば、うちの目当ての花火は最後の方。とりあえず、先の花火を横目で見ながら西瓜にしゃぶりついた。
 どぉーーん、どぉーーん、という音は止まなかった。五発、十発。それぞれがそれぞれの歓声のようにも聞こえる。歓声――いや、そんな生易しいものではないのだけれど。 間隔の隙間に実況の前言と合いの手が入る。地元の局アナ。快濶な声が、告げる。
「続いては、今年一番の若花火。御年十六の四尺玉だぁ」
 一発が打ち揚がった。白い紐が空をうねって昇る。次の瞬間、紅の煙火の花が夜空に咲いた。今度こそ屋根の向こうから観客の黄色い声が聞こえてきた。花びらは空に円を描き、周囲に伸びた火の枝は垂れ、次第に崩れていく。その時、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。見る見る空に暗雲が広がってくる。雨霞が夜を遮る間際、空に咲いた菊物の花びらがくるんと滑り落ちるのを見た。
 雨なんて嫌いだ。だが、降る頃合には感謝したい。みっちゃんの花火。その勢いは強烈だった。みっちゃんは虹色の火花になり、紅の雨となって地上に降り注いだ。火であり血でもある雫は、夜空の端にも存在しない。
 花火の音は雨音に消され、雨に閉ざされた縁側で、うちは先週届いた赤紙を見つめていた。この町名物、人間花火の通達状。汗ばんだ掌で握る湿気た赤紙。指でなぞったのは――うちの名前。
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