世界の何処かには、コウノトリがいる。
そう、赤ちゃんを運んでくるといわれる鳥……言い直せば、幸せをもたらす鳥だ。
私が妻と病院の帰りにそんなコウノトリの話を聞いたのは、埃っぽい夏の夕間暮れの事だった。
高速道路の走る陸橋の下で露天商が物売りをしていた。露天商が広げていたものをチラリと見た妻が、桐の箱に入れられた卵に惹きつけられた。
「《コウノトリの卵》だよ。飲めば子宝に恵まれます」
露天商の口車に乗って、妻は千円でそれを買った。胡散臭い話であったが、その時の私たちは藁にも縋る気持ちだったのだ。
妻はその場で卵に穴を開けると、中身を啜った。変哲のない卵の味だったらしい。
「一月待ちなさい」
露天商に言われ、その日は帰宅した。
一月後。妻のお腹の中に命が宿った。性交渉はあったし、避妊もしていない。だが、一月前に病院で私の精巣に問題があるらしく、着床は望めないと医師に言われたのだ。おかしな話だった。
腹の子はよく育ち、半年もすれば妻の腹は大きく膨れた。だが、異変はあった。音波検診の時だ。画面が黒く塗り潰されたように何も映らなかったのだ。医師も頭を抱え、触診やより精密なソナーで調べたが、やはり何も映らず原因は分からなかった。
そして、とある孟春の夜中のことだ。突然、ベッドから起き上がった妻がトイレに走り、この世のものとは思えない悲鳴を上げた。慌ててトイレに走ると、私はその血腥い光景に眩暈を感じた。
妻はすでに泡を噴いていて失神していた。便座の上に四つん這いになった妻の子宮から大きな黒いギザギザの翼のようなものが飛び出していて、ひらひらと血の粉を振り撒きながらそよいでいた。やがて黒い翼は粘膜を垂らしながら、徐々に妻の子宮から這い出してきた。その先に内臓を黒インクで染めたようなものがくっついていて、もう片方の翼がそれに続く。じゅくじゅくと重油のようなどす黒い液と妻の子宮の羊水がそのものから染み出してきて、びたんとそれは便器の傍に落ちた。内臓じみたものには小さな嘴のようなものがついていて、おぎゃあおぎゃあと産声には聞こえない鳴き声を発している。
私は逃げ出すように、家から飛び出した。すると玄関であの露天商と出くわした。
「ああ、やはり不良品でしたか。申し訳ございません。あれは《フコウノトリの卵》でした」
露天商は私に千円を握らせると、黒い内臓の足に捕まり、常闇の空に飛んでいった。
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