おおきな国の小さな城に住むお姫様は真夜中に部屋を抜け出して、
母上のベッドに潜り込むの。押入れのなかからおそろしい声が聞こえてくるから。
さけび声のような、うなり声のような、猛獣の声。
んぐー、んぐーんんー、んぐー、んぐんぐんぐぐぐぐー。
おそろしい声は、悪い夢のせいだと母上はいいました。
「じゃあ夢はなぜ見るの」とお姫様は聞き返します。
「さぁ、分からないわ。でも、いいものを教えてあげる」
んぐー、んぐーんんー、……。おそろしい声はまだ聞こえていました。
「もうずいぶん昔のこと。わたしがあなたぐらいの年頃にもらったもの」
うつくしく、どこかさびしげな水晶を眺めながら母上は言います。
悪魔のうぶごえを封印した、夜想の水晶、と母上は呼びました。
「いつもにぎりながら眠るの。すると辺りはたちまちまぶしくなって、……
こすると泡のワタリガラス、銀貨の飛び魚、箒に跨った三角帽の魔女、……
とおくから古い子守歌をかなでて進んでくる楽団たち、……
しらない歌、でもどこか懐かしい。らんら、らーるらら、るーららるる、……
なかないで、なみだは悪魔のえさになる、って妖精さんが教えてくれた……
いまのわたしにはもう必要ないもの。だからあなたが使いなさい」
かかえこむようにしてお姫様は水晶をうけとりました。
らんら、らーるらら、……。聴こえてくる音色に、耳を澄ませました。
ぶどうの樹に、ふくろうの形のふさがぶら下がっていたり……。
たなびく煙が、ブランコや回転木馬をえがいたり……。
なにもかも、水晶が吐きだすイメージはおとぎ話のような光景ばかりでした。
いつまでも、朝が来ても目覚めても、夢を見ている気分でした。
でも、お姫様は水晶を手ばなすことができませんでした。
お姫様は大人になるにつれ、毎晩お願いをするようになりました。
願いは水晶のなかで共鳴して、かがやくのです。
(いつか子どもができたら、悪い夢を見ずにすみますように)
いつまでも、朝が来ても目覚めても……。
いまはまだ、お姫様の手のなか。
子どもができたら、ようやく手ばなすことができるのでしょう。
にぎった手のなかで、夢を吐きだす夜想の水晶。
すきとおった水晶から光がはなたれ、押入れのなかを照らしました。
るーららるる、……
かわいらしい、見知らぬおんなの子がなきながら口ずさんでいます。
らーるらら……、押入れのなかは知らない国でした。
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