伝形塚というところに屋敷がある。武家屋敷というよりか洋館に近い佇みは、独逸帰りの外交官が築いたもので、没後十四年、今ではその息子がひとりひっそり暮らしている。日に一、二度、坂を下りて来ては大層な鞄に食物を詰め帰って、近所づきあいもある訳なく、両親が健在の頃、二ヶ月ほど大使館通信員の職に就いていたが、それきり仕事もしていないのだ、この腑抜けは。最近なにに夢中かといえば、父親から再三覚えるようにと叱られていた通信員時代のことなど引き合いにも出さず、一念発起で独逸語を学んでいる。独学ながら熱心な姿勢が功を奏し、上達はしているようだが。
屋敷には蒐集家だった母親の形見の西洋人形が、広間や廊下に飾られたままで、五十を目前にした今なお嫁も取らず、屋敷に閉じこもっていられるのも彼らのお陰だろう。外出時、持ち出す鞄に日替わりで二体ほどの人形が仕舞われているのを、近所の者は見つけている。他の者に聞こえない程度の声で、人形達に話しかけるのも聴いている。
屋敷のダイニングには、背の高い姿見が設えてある。斜向かいの壁に埋め込まれた本棚には、人形が並んでいるだけで書物の一冊きりない。陳列された人形達に見下ろされるように姿見の前に、華奢な少女の人形が置かれている。仏蘭西生まれの彼女は苛められているそうだ。道理で少女の衣服は破れかけていて、手足首や腿の付け根などの可動部位はおかしな方向に捻じ曲げられている。傍らに小熊の縫ぐるみがいた。どうやら彼は少女を助ける気でいたらしい。少女を苛めているのは書棚のなかの人形達だ。どれもこれも彼女と同じ仏蘭西人形なのに、どうして苛めなんかするのかと小熊が訊ねても、少女達は馬鹿にしたように聞こえないふりをする。
小熊がどうにか援助を求めて屋敷内を彷徨っている間に悲劇は起こった。収穫がないまま戻った彼は、姿見の前にぽつんと置かれた少女の首を見た。身包みを剥された胴体部分は隅っこのほうに転がっていたらしい。小熊が一歩、ダイニングに足を踏み入れようとすると、書棚の人形達が一斉に睨んで来て、仕方なく彼は逃げ出したのである。
異国語の嘲りを聞きながら、独逸生まれの小熊は屋敷を歩き回る。そして、わたしは見つけられた。
これが我が良き友人から聞いた話の顛末である。
ダイニングに赴くと確かに少女は無残な姿でそこにあった。少女の首の青い瞳から視線を反らすと、背後の姿見には男がぽつんと佇んでいるのである。壁際の人形達がけらけらと笑った気がした。頭に血が上り、彼女達が少女にしたようにドレスを剥ぎ、首を引っこ抜いて回った。深夜に響く彼女らの断末魔。仏蘭西語を学んでいなくてよかった、と心底思った。
気も収まり、静まったダイニングの中央、喜べと抱きしめたが小熊もまた返事をしなかった。ぼんやりと姿見に視線を投げれば、男が古ぼけた縫ぐるみを携えて、やはり闇のなかにぽつんとしてあるのだ。
PR