「人間にとって、想像とはなにかね」
知らないね。
知らないとは何事だ、と彼は怒鳴る。歯を剥き出しにして威嚇する。歯軋りと唾の咀嚼はリズミカルに。とても耳障りだ。
「空想とは、妄想とは、奇想、仮想、幻想、とはなにかね」
知らないね。
「紳士を気取るのが美徳か」
野太く雄叫びを上げるのが美徳なのかい。
莫迦莫迦しい、と彼は胸やら耳の裏を掻き毟る。
「死が怖いか」
怖くないね。
「しかし、来るのだろう。死は。お前も、死んだら堂々としていられまい」
死よりも蘇生を怖がるのだよ、人は。死は終わりだ。けれど死んだ人間が蘇ると慄く。
「それは摂理に反するから怖がるのだ。蘇生そのものが怖いわけではあるまい」
そうともいえるね。実際起こりえないから怖い。
「お前は、わたしが怖ろしくないのか」
ちっとも。
「こうして言葉を交わしているのも、今にも首をかき切られそうになっているのも、恐怖を感じないというのか」
恐怖じゃないんだ。どちらかというと怪奇、だからね。
「今わたしが爪をお前の首に食い込ませたら、お前は死ぬのだぞ。死の恐怖は、どこに行った」
君に殺されることなんて怖くない。ちっとも。
「終わりを迎えたら、お前はどこへ行く」
何もなくなるだろうね。君の頭のなかだけの存在になる。
「猿と人間はどう違う」
さあ。
「猿は、死を怖がる。恐怖を感じるのだ」
それはかわいそうだ。じゃあ君も、怖いのだね。
「……いや、」
じゃあその恐怖を取り除いてあげよう。
糜猿【びざる】
霊長目真猿亜目狭鼻下目ヒト上科ヒト科ビザル亜科ビザル属
(Primates-Simiiformes-Catarrhini-Hominoidea-Hominidae-Bizzarrenie-Bizzarre)
ヒト亜科とチンパンジー亜科の中間に位置する、脳の非常に発達した大型類人猿の総称。頭胴長一~二メートル、足に比べ腕が長い。五感を統括する機微中枢を持ち、人間でいう共感覚のように、五感のすべてを同時にひとつの感覚として感じ取る。特に恐怖に対して敏感。人語を話す。ただし……
彼の手から力が抜ける。黒い図体は矮小化し、やがて不可視となる。足許にシンバルを失った猿の玩具が転がっている。
「死を怖がりすぎなんだよ、君は。……僕は、怖くない」
糜猿【びざる】
ただし、実在しない。
人間の想像によって生み出されるものである。人間の想像は、感情や意識を反映する――。
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