「おや、またおる」
農道の先に目的の宿屋があると、案内に出向いた下女が突然足を止めて、傍らの畦道の方を覗き込む。下女の道草に私は苛立ちを覚えながら、背中ごし、畦道の中ほどに行き成り現れる杉の木立に目を移した。淫らに浴衣を羽織った三十半ばの女が草叢に膝を埋め、顔を手で覆っていた。
「泣いて、おるのですか」
口の中がひどく渇いていて、ぐにゃぐにゃと舌が縺れた。下女は自慢げに眉を上げて、「珍奇なことじゃねえです。あの女、いつもああやって一時間、長ければ二、三時間泣きっぱなしでおるんですよ」
「なにか理由でも」
「半月前、地蔵の前さ、赤んぼが捨てられとったんです」
目を凝らせば、確かに木立に囲まれたなかに、社はおろか前掛けも持たぬ地蔵が一体設えてある。けれども、それは地蔵というよりか道祖神を祀る石碑とも遠い、単なる黒石の塊に見える。だが、下女が地蔵と呼ぶのだから地蔵なのだろう。
「ははあ、その赤子を捨てたのが、あの女性という」
下女は、まあ気にしねえことです、と一度止めた足を進めた。農道を歩いて、ちょうど泣き噎ぶ女の背後を通り過ぎようとしたとき、ふと覗かれているような気がして、気配のする方を向こうとした。すると突然前を歩いていた下女が、「余所見はしねえで」と振り返りもせずに言い放ったのだ。面食らった私はその場に留まって「余所見したらどうなるんで」と問うてみた。
僅かに顎だけこちらへ向け、下女は呟いた。「嗤われる」
宿屋に着くなり、黒坊主には近付かんほうがええ、と念を押された。黒坊主とは例の地蔵だ。きっと地蔵は子守を担う菩薩であるから、あの女の罪は報われるだろう。そんなことをやんわり考えながら、夕餉をとり床に入った。
翌朝、道案内の下女に礼をいい、宿屋を離れた。下女は去り際まで私の顔を脅すように見据えては、昨日の話を忘れねえで、としつこいものだから、いい加減に私も不貞腐れて別の道を通るよと嘘を吐いた。
昨日通った農道に入り、あの畦道が見えてくると奥まったところの木立の陰、見覚えのある浴衣が目に付いた。砂地で跫音を立てぬように近付く。昨夜の下女の話を思い出す。
あの女、男を乞うて捕まえては孕んで、そのたんび、できた赤子を捨てとるんです。
声をかけると、女は振り返った。
黒坊主は子守なんかしてくりゃあせん。縁結びの仏ですから。
ああ、確かに。女の肩越しに、石くれの黒い顔が嗤った気がした。
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