手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『酔っぱらい』

[解題]




小学生の頃、仲間内でこんな遊びが流行った。遊びと言ってもただその場でぐるぐる回るだけの話で、目的は回ることよりもそのあとの酷い眩暈だった。吐き気さえ催すほどの、それこそ泥酔感を先取りした気分だったのか、「酔っ払い」と名付けたその遊びは担任から禁止令が出るほどに広まった。
 ただ目を回すだけなら大事には至らないのだが、友人のKが、あるとき妙なことを言い出したのが大勢を惹きつけた契機だったのだろう。
 掃除の時間、机を後ろに下げて出来た空間に屯って、ぐるぐるぐるぐる回転してはしゃいでいると、床にくずおれたKが頭をぶらぶら揺らしながら、あれれなんだ今、なんか見えた、と言い出した。天地が傾き、波打つような視界の隅に、あるはずの無いものを見たというのだった。誰かの顔がぶれて見間違えたんだろうと疑ってかかっても、Kは、髪の長い女の人の首から上だけが天窓のそばに浮いていたと言い張ってきかなかった。
 ちょうどホラー映画が一世を風靡した時期でもあり、クラスの大半が好奇心で「酔っ払い」を体験した。何人か生首を見たという級友はいたが、後々調子に乗って吐いた嘘だと明らかにした者もあれば、そんな気がすると錯視の域を出ない者もあり、はっきりそれを見たと言えるのは結局Kだけだった。
 次第にKは女を異常なまでに求め始めた。
 流行は去り、眩暈と、Kのあまりの執着に恐れを抱いた私たちは、Kと「酔っ払い」を避けるようになった。次の年の春、Kは下校途中に車道にはみ出し、タクシーに轢かれて死んでしまった。直前のKは、私たちの知らないところでも「酔っ払い」に耽溺していたらしく、普段も足取りが覚束なくなっていた。それが原因だというのが周囲の察するところなのだが、大人になった今、「呑んでも呑まれるな」という箴言の確かさを感じ得る一方で、そこまでKを虜にした女の生首とやらを一度でいいから目にしたかったという羨望もなくはない。

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