晴れているだけならまだいい。雲ひとつないから余計に厭になる。
藍染を陽にさらしたようなぼんやりとした蒼空に、いま、飛行具の尻から漏れる煙幕が弧を描いていったところだ。時は八月。透過の度合いが強いのは台風が去った後だからか。天も発射に味方したとは考えられないか。
技術も特許もすべて奪われ、家から金品は消えた。大きな家でさえ家族に与えることが出来なかった。莫迦な父親だと罵る気力さえ、私は家族、否、妻から、両親から、そして息子から奪ってしまった。思い残しの悔恨は夏宵に降り頻って尽きぬ屑星の数ほどあれど、遣り残したことはないのだよ。『星迅』の飛翔が私の夢であった。それを地上から眺めることさえ出来ぬとも、誰あろう私自身が搭乗し、酸素のない空間『宇』あるいは『宙』。宙返りなどと言葉にすればちっぽけで、四畳半ほどもない空間を思い起こすだろうよ。然れども『宙』とは本来、時間を表す。空間の『宇』、時間の『宙』。我々の生ける世界は立体の三次元に時間の一次元を足したもの。つまり『宇宙』ということばそのものがこの世界であり、地の球などという閉鎖された座標のうえに立っていることが愚かだと、学生時分のことばあそびが己の末路を決めてしまうことすら予測出来ぬ、喜劇さながらの終幕と嘲えば良い。
今し方、太陽より十度ほど南に傾いた空をのぼっていったのは、父が『星迅』と名付けた単独搭乗用の星間飛行具である。革命的であったと、父の同胞は語る。空を越えて、高みを目指そうとする望みは、文明が芽生えた頃からあったものだろう。しかしそれは夢想に過ぎなかった。長い間、実現とは程遠い計算と推量の日々。そこに一匙、父という才能が加わり、未来は現実に帰した。誰もが宇宙への憧れを抱き、『星迅』に乗って、飛んだ。だが所詮、机上で拵えられた設計図を組み立てたものに過ぎなかった。誰一人として戻ってくるものはいなかったのだ。あるものは空中で爆発し、あるものは太陽に焼き焦がされた。犠牲の数は、十二人。搭乗前、失敗を危惧し誓約書が交わされたが、破棄された。十二人は乗ることを強要され、無残に芥塵へ化したと誰もが思い込んでいる。
『星迅』は兵器と同等に、人の命を脅かす社会の敵とされた。やがてそれは、兵器より相応の使途を見つけられたのである。
《飛行処刑具『星迅』発射。開発者石川烏京の処刑、愈々執行》
宇宙よ受け止めて給う。父と、その玩具を。
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