手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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3月鑑賞メーター

いまさらながら3月分。

4月以降はちょっと休止中です。
3月の鑑賞メーター
観たビデオの数:6本
観た鑑賞時間:689分

モールス [DVD]モールス [DVD]
『ぼくのエリ』と比較してなんぼ。『ヒューゴの不思議な発明』でしっかり牙の抜けてしまったクロエ・モレッツにまだ牙があった頃の作品? それはさておき『キックアス』から入ったにしろクロエ・モレッツ好きには垂涎もの、と言いたいところだけど、ないね、コレは。どうして吸血鬼ヴァージョンになる必要があるのか、どうしてあからさまなCGで動きをアニマル化してしまうのか、まったくもって意味不明。少女が怪物に変化することを恐怖の入口にしたいのか。だったら題材が間違っている。もしくはキャスティングを間違っている。
隠さず言うと、僕らが求めているのは吸血するクロエ・モレッツそのものだ! クロエ・モレッツになら血を吸われてもいいかな、って思いたいのだ! だろ!  ……違うのか。まあ、いい。結局、クロエ・モレッツとしての可愛らしさが機能していないってことは、話題性か手堅さかどちらを優先したのか分からないけ ど、ほんとに絵面が『ぼくのエリ』を脚色した学芸会にしか観えないのだ。登場シーンからしてもう笑ってしまう。とはいえ彼女、よく見ると言うほど可愛くな い。若干の男顔が雑じっている。そこだけは相応しい。いや、でもね、でも、彼女のチュウがもらえるなら暴行だろうが復讐だろうが、神にだって屁をかます自信はありますけどね! あと気になったのはやっぱ髪の色ですね。吸血 鬼と言ったらやっぱりルーマニアですよ。黒髪ですよ。東方への畏怖の象徴ですよ。ブロンドヘアーの吸血鬼なんて『スペースバンパイア』だけで充分な気がし ます。
閑話休題。『ぼくのエリ』では説明不足と捉えかねない諸々を補足しているきらいがあって、成功しているところもあれば明らかな説明過多を及ぼしているとこ ろ、また、それによって物語論理が破綻しているところもある。例えば少女の父親が犯す度々の殺人について、ある意味で突き当たりばったりとも観られた『ぼ くのエリ』とは異なり、とある法則を用いることで父親の行動が理に適う。その上、法則が命取りになってしまう顛末まで描くので、充分成功していると言える だろう。硫酸被りシーンの絵的には『ぼくのエリ』の方が好きだけど。
失敗の例、否、ハリウッドの特性上、許容範囲でもあるが、大きな違いが二点ある。刑事と隣に住む夫婦。第一に蛇足と思われるのは本作の冒頭に現れる搬送の シーン。『ぼくのエリ』も際どい時系列いじくりをしていたが、こちらはより明確なフックを仕掛けてくる。けれどもはっきり言って意味が無い。分かるのは、 実はそこに少女が隠れていた!?ってことだけで、この刑事が馬鹿だという証明しか出来ていない。必要なのは主人公たちが追い込まれるサスペンスであって、 もうこの時点で刑事用無し。
『ぼくのエリ』では被害者の友人が同じ立場の役を演ずることになるが、そちらの方がよりデキる男に見える。同じく友人の一人である女の不運を、本作では隣 に住む夫婦に変更されている。それ自体はまったく問題ないのだが、主人公が夫婦の営みを覗く習性があるという件は要るか? それプラス主人公の言動やとあ る行為などを踏まえ、より現代的にリメイクされているがそれについては後述。婦人の最期、起こることは一緒だがどうも巧くない。巻き添えになる看護婦 共々、キャラクターに対する愛が感じられない。
『ぼくのエリ』において吸血鬼と化した悲劇に対し生命を尊ぶ選択として神々しささえ感じられた焔の輝きも、本作では単なる事故でしかない。それから最も不 要な追加といえば『ロミオとジュリエット』だろう。主役二人の関係、物語の行く末などを暗示するを出したとしてもあまりに安直過ぎる。それでも二人の寄る 辺としてロミジュリを物語に添わせたいのであれば、読了した二人とロミジュリとを関連させる言及をする必要があるのではないか。
さて、現代的なリメイクについてぱっぱと。主人公の言動、それから母の財布から金を盗むなど『ぼくのエリ』では一切修飾されなかったもろもろは、並みの少 年時代を送った者としてはあまりにリアルでこっ恥ずかしい。荒んだ童貞少年の妄想物語という側面から言えば、主人公の造形を含め『ぼくのエリ』よりも病的 に描く努力が見える。前者では顕著だった主人公の狂気の表情が本作ではまるで見当たらないことも、現代の狂気とは決して表に出るものではなく至って普通の 男が普通の顔をして悪行に及ぶというリアルを描いたとすれば興味深い。
そもそも『ぼくのエリ』では少女と見紛うルックスの主人公だっただけに、本作の池畑慎之介と『スプライス』のドレンを足して割ったような少年像を較べる に、端から少年少女の美しいメルヒェンを描くつもりはなかったのかもしれない。単にもやしっ子が少女愛というプールに溺れていく様を描くのが主眼だったの かもしれない。少女の父親の昔の姿とを較べるとますます勘繰りが説得力を増してくる。
殺人事件の被害者が先輩だったという件が事後明らかにされるだけだったり、少女の壁登りが異様に遅かったりなど、気になることは多々あるものの、プールの シーンもまた改変の理由が分からない。目を開けるか開けないかの違いだけど、些細なことだけに絵的な魅力を削がれてしまった寂しさだけ残る。最後に一個だ け、汽車のシーン。『ぼくのエリ』では父親が汽車のなかで大事なアレをなくしたことに気がつくというバカウケのシーンの直前、ある種、この物語の男達の在り方を思わせる純情の溢れた、しかし疲弊しきった顔をする。だからこそ少年の旅立ちと重なってくる。ところが本作ではラストだ け踏襲しながら、この父親のカットがない。だから単に京極夏彦の『魍魎の匣』を想起してwktk!でしかなくなっている。それから邦題が『モールス』だけ にラストのラスト、棺越しにモールス信号を送るのだが、拳で叩くから音が大きい! 『ぼくのエリ』での指先のアクションと較べれば徹頭徹尾、本作ではささ やかさというものが欠如していることがよく分かる仕組みに、思わず嘆息。ほう。
鑑賞日:03月18日 監督:マット・リーヴス


ぼくのエリ 200歳の少女 [DVD]ぼくのエリ 200歳の少女 [DVD]
噂に違わぬ美しくも残酷な少女愛の寓話。少女が大して可愛くも無くなんだかなーと思っているうちに、徐々に綺麗に見えてくる不思議。説明の省略が目立つものの、落ち着いた筆致で描かれた悲劇惨劇の様はまさに藝術。プールのシーンにその血が集約されている。病院の窓から父親が落ちてゴツン!はまだしも、猫のシーンはサービスしすぎかと思ったりもしましたがリメイク版を観た後はまだかわいいものでした。一番の評価ポイントは“目覚めた”後の主人公の表情。少女に恋をした顛末には狂気を伴うこと、それが表現されてこそこの恋物語は意味がある。
初見時、少女がキャンディを吐いた後に抱きしめた主人公の感情がよく分からなかったんだけど、リメイク版を観て気がついた。愛する女が咳き込んだり、具合が悪そうにしていると、つい抱きしめたくなる。そうだ、男ってそういうものだ。
それはさておき、少女の比較はリメイク版での感想に書き起こすとして、平均的な観客には邦題副題である『200歳の少女』が気になるところだろうけど、本 作の少女はどこか老け顔で、中性的だ。ドアップなんて耐えられないぐらい。無論、中性的である必要性は大ネタに関わってくるわけで、『200歳』はともか く『少女』と入れるのは決してアンフェアではないように思う。むしろ『少女』と銘打たれたそうでないものという認識、あるいはそのまま本作の少女の佇み が、美しさと果敢なさを際立たせる緊張感を生み出している。
ちなみにモザイク云々は別にどうでもいいっす。前述のことと、作中しつこいほどに繰り返される「少女じゃないよ」の問答でネタは一目瞭然だから。あった ら、ほう、だけど、なくても別によい。余談ながら、列車に乗るラストシーンと【匣のなかの少女】という関係性から京極夏彦のアレを思い出した。ほう。
そういえばリメイク版て呼んでるけど『モールス』は本作の純粋なリメイクではないらしい。でも本作のいいとこ引き抜いた時点でリメイクなんだけど。もしく はオマージュ?トリビュート?インスパイア?リスペクト? ちなみに直近リメイク繋がりで、『ドラゴン・タトゥーの女』の元作品『ミレニアム三部作』の監督は本作の監督の兄らしい。ほう(しつこい)、因果なことが あるもんだ。
鑑賞日:03月18日 監督:トーマス・アルフレッドソン


失恋殺人 [DVD]失恋殺人 [DVD]
あは。何ぞコレ。絵面がコントみたい。濡れ場も全然エロくない。明智も全然明智じゃない。怪人明智文代(Ⓒ大槻ケンヂ)が大活躍、しかし星野真理か……。星野真理のガキっぽさがこんな事件に冷然として首を突っ込む理屈になってるからいいか。いいのか? にしても宮地真緒、ずっと帰マンに出てくるバルダック星人にそっくりだと思っていたけど、改めてみるとそうでもないなぁ。
鑑賞日:03月10日 監督:窪田将治


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少女映画の一端としても語れるし、『ヒューゴの不思議な発明』にも通じる懐古趣味。というかスピルバーグ趣味。『E.T.』『未知との遭遇』は元より『ジョーズ』『宇宙戦争』『ジュラシック\パーク』あとは知らんが。+ゾンビ映画、『トランスフォーマー』、そして御存知『クローバーフィールド』でごった煮にした少年少女による少年少女のための映画。随所に鏤められたガキンチョジョークの8割が理解できなかったり、あんだけ予告で隠されてコレかいッていう怒りもお察しいたしますが、冒険って、SFっていいなあと思ったもん勝ちでしょう。
でまあ散々スピルバーグやら監督周辺の映画を並列してザ・トリビュートと語っておりますが、とんでもない。父親との確執といい、アレの造形といい、そしてアレが飛び立つラストシーンといい、どうしても石井竜也(監督)の『河童 KAPPA』が浮んで離れませんでしたね。とは言っても、本作が『河童』をも取り入れているとは考えられず、もっぱらスピルバーグや古きよきSF映画を鑑みれば、この方法論に行き着くのだろう。突っ込み満載なところも共通。ま、話の骨格はともかく贅肉は全然違うものですがね。どちらもスプーン一杯のノスタルジアを嗜んだ気分で俺は好き。あっさりとした喉越しのノスタルジア。こうしてみてみると『ヒューゴ』は大人が子どもの頃を思い返す懐古映画、本作は大きな子どもが小さい頃に戻る回顧映画とも言える。うん、どっちがどっちでもいいんだけど。
+ゾンビ映画、『トランスフォーマー』、そして御存知『クローバーフィールド』でごった煮にした少年少女による少年少女のための映画。 >>『グーニーズ』入れるの忘れてた。
鑑賞日:03月10日 監督:J.J.エイブラムス


劇場版“文学少女” スタンダード版 [DVD]劇場版“文学少女” スタンダード版 [DVD]
結構期待してました。『銀河鉄道の夜』を引用してるとあっちゃ観ずにはいられんだろうと。引用はそれだけに留まらず、宮沢賢治フェチ(もはやファンではない)には堪らないセレクションではありながらどうも摘み食い程度にしか思えず、肝心のカムパネルラ(敢えてこう銘記します)の望みとやらの解釈には唾棄では足らねー低俗の極み、噴飯もの。小生も物書き修行の端くれ、小説を書くこととはというテーマは切なくなるほど身にしみるのですが、ここまで美化されて描かれてしまうと遣る瀬なさすぎて、あぁあぁそうだね、メルヘンとメンヘラって字面似てるもんねって洒落ぐらいしか思いつかないほど、魂の逍遥を体験した次第。
まず主人公の節操の無さが目に余る。プラネタリウムを出た後のメンヘラ少女の扱い、四角関係の描き方……恋愛物としても教育に悪すぎるっしょ。演出自体が少女をとっかえひっかえしているようで、痴情の縺れなんて呼び方も似つかわしくない。男1:女3という状況なら、『少女たちの羅針盤』作中劇『光の射す方へ』の方がまだマシ。ジョバンニ……否、序盤に感じたものが好き感触だっただけにほんと残念。
あー、いま確認したら『光の射す方へ』じゃなくて『光の指す方へ』だった。それを気付かせてくれただけでもこの映画を観た価値がある。あと、絵は綺麗でしたよ。
鑑賞日:03月03日 監督:多田俊介


少女たちの羅針盤 [DVD]少女たちの羅針盤 [DVD]
『七つまでは神のうち』『死者の学園祭』に続いて、複数の少女が事件に絡んでてんやわんやシリーズ。これはよいですよ。原作は島田荘司氏でおなじみの第1回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞優秀作というだけあって、ミステリとしての出来栄えはお墨付き。ただしそれを映像化するとあっては別問題というものの、その点、画面としてはチープながら端整につくられた佳品でありました。本作の特徴は被害者・加害者両面でのフーダニットということですが、ミスディレクションとなる各人と人間関係の描写については役者の魅力もあって及第点でしょう。
少女四人の描き方が殊更巧く、特に感心したのはバタの扱いでしょうか。取り巻く諸問題とは裏腹に、四人中最も性的魅力のある撮り方がされたバタと、彼女にあることをされてしまった瑠美との対比が印象的。ぶっちゃけ、バタの隠し持つ諸問題とやらは物語の真相に一切無関係ながら、作品全体に只ならぬ緊張を齎します。物語構造を《羅針盤》に重ね合わせてみると、瑠美とバタの交流を描くことで前半から中盤にかけて南北を貫いていた指針が、かなめと蘭のオーディションをきっかけとして東西を貫く指針に転換する(ように思わせる)構図が生まれることになります。南北パートが性自認の錯誤や同性愛を描き、東西パートは一緒にオーディション行ったら付き添いが受かっちゃったというあるあるネタを用いて双方異質の不和を予兆させ、後々に明かされるだろう誰かが誰かを殺したというカラクリの(誤った)動機部分が仄めかされるところが巧妙。さて、本作の特徴は現在・過去・作中劇の三つのパートで描かれる。この作中劇の部分、演劇を通じて事件を解き明かすという構図こそ『死者の学園祭』に通じながら『死者……』のように上演中に犯人を名指しするなんて暴挙に至るわけはないのですが、作中劇『生死のサカイ』は青春パートのクライマックスであり、メインとなる殺人事件にもトレースされるという結構。更にその外側には現在のパートがあります。マリアという名の女優がとある廃墟に撮影に訪れるのですが、台本は書き換えられスタッフの様子がおかしい、おまけに脅迫状は届くわと過去パートとは全く趣きの異なるシーンの連続は、前田健や石井正則のもさったいウザったい演技もあってかなりチープ。小聡明いまでにマリアの顔を隠して、マリアは誰なのかという謎を前面に出してはいますが、その正体と過去パートとの繋がりはそれこそ火サスや土ワイ向けのひと捻りした程度のものであり、もっとも真犯人を演じる女優が、昨今似たような役しか目につかないなんてこともあっては鑑賞前から予想が可能かもしれません。そして何より、過去パートにおける悲劇のシーン。オーディション後の暴行事件の直後、一同に集った四人+一人のシーンにおいて伏線回収とはいえぬ雑さでとあるギミックが再登場するところから、真相なんてものは容易に想像がつく。
いよいよ殺人事件が起きるわけですが、保冷剤のトリックなんかはアリバイ工作でもないのに必要あんの?とか、暴行事件の解明ではさらっと男性の体液があればいいなどとマクガフィンとしての青酸カリ的な扱いで済まされているとか、ミステリらしさや用意周到さが逆に魅力を殺いでいるような気がしないでもない。殺人事件に関しては表面上自殺という見方がされているとは言え、場所やら状況やらがはっきりと描かれない、言ってみれば文学調の死の描き方でしかなく、ミスディレクションは施されていながらミステリとして不格好かなと思ったり。では青春物としては完璧なのかというとそうでもない。過去パートの要となるストリートライブ(『光の射す方へ』)やコンテストでの演技(『生死のサカイ』)に対しての外部の評価が実に甘ったるいんですね。四人は四人とも演劇部に入っているという設定で、一念発起した瑠美が劇団を立ち上げるというのがそもそもの取っ掛かりなんですが、最初のライブからワンサカ人が集って拍手までしてくれるという潔さには少々困惑。正直、少女たちが演じる劇というのがいまいち楽しめなかったというのが本音です。
『生死のサカイ』は舞台設計が興味深いものであったからまだよしとして、『光の射す方へ』は三人の女が手を組んで浮気性の男に一泡吹かせる話なのですが、その掛け合いが非常にコントっぽいんですね。演技力では『死者の学園祭』の百倍巧いんですが、内容的にちょっと稚さすぎるかなあと。作中における演劇の水準が分からなかったためで、冒頭には演劇部の演劇風景を入れるべきでしたね。
さて、役者陣。少女四人については『死者の学園祭』同様、全く文句なし。成海璃子嬢と忽那汐里嬢は眉がくっきりしているなという感想ばかりでなく、それぞれに天才肌の気質を持っているという風にしっかり見える。璃子嬢のドアップなんておおうと唸るほどに迫力があるんですが、それでもどこか零れ落ちぬ可愛らしさを孕んでいる印象がある。汐里嬢は滑舌悪いなぁと思いつつも、やっぱり誰がどう見たって四人中最も凛々しくオーラがある。作中ではスターの立場にありながら影が薄いかなと思う役回りながら、印象に残っているから万事OK。森田彩華嬢はまずエロさを何とかして欲しい。というのは冗談ですし特段半端ないエロじゃありませんが、サービスショットを見逃すほど俺の目は衰えていない!と言ったところ。さておき内面の強さと弱さの対比はしかと感じられる演技であった。TVの印象ではパッとしない娘だなぁと思っていましたが見方が変わりましたね。いい。そして草刈麻有嬢! 演技も去ることながら仏蘭西人形に吉高由里子を憑依させたようなルックスと雰囲気で、他を食うほどの魅力がありました。検索したら、草刈正雄の娘!? 2世芸能人も捨てたもんじゃないっすね。
鑑賞日:03月03日 監督:長崎俊一


鑑賞メーター
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プロフィール

HN:r0bot21th
年齢:37
性別:男性
職業:虚無員



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