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 手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『カンパネルラ』/長野まゆみ


カンパネルラ (河出文庫)



〈「兄さん、あの署名、……あれはどう云う意味。自分の名前を記せばいゝのに。」〉緑に深く埋もれた祖父の家で、ひとり療養する兄の夏織。気怠い夏の空気の中、弟の柊一は夏織の秘密の“隠れ処”を見つけ出そうと川を遡っていった……。


 誰がこの作品を透徹な水のよう、と比喩できようか。確かにその水質は清らかで、水面は目を瞠るほど透いているのかもしれない。しかし生い茂った草葉のせいで、陰った水面はさながら“黒冷水”。顔を浸してみれば、すべては覗けぬ沈鬱さが底を埋め尽くしているのだ。それでも冷ややかさが心地よく揚々と涼んでいれば、少年の手が引きずり込んでいく。過ぎ去る時の憂いとまばゆいばかりの自然の耀き、思春期の畏れが共生する一篇。……思い返せばその昔、自分もこんなひと夏を体験した。いまも忘れられない『銀河鉄道の夜』をはじめて読んだ黄昏時に。http://book.akahoshitakuya.com/b/4309403956




 皆川博子、津原泰水、井上雅彦、山尾悠子、安部公房、赤江瀑、中井英夫、島尾敏雄、川端康成……その文体、そのレトリックに虜となった、あるいは、目下すこしでもその片鱗に触れようと励んでいる天上の作家はいくらでも挙げられるのだが、意識とは異なる域において、もっとも影響を受けているのはこの作家ではないかと常々思う。
 書棚を眺めるだけだって河出文庫のいかにも繊細で柔和で無垢な背表紙の幅の薄い文庫はやけに浮いてみえるが、純文学がことさら少ない蔵書のなかで、文藝賞でデヴューしている作家というのもとりわけ異質なのだ。だが開いてみれば分かる。俺がいかに長野まゆみという作家の影響下にいるのかが。
 長野まゆみ作品は特に初期において、硬質な文学表現を特長としていた。
 せっかくなので、本書の冒頭分を引用してみよう。
 尽く草樹に蔽われた林を歩いている。緑という緑は、ひとつとして同じ色を持たず、柊一はそれを数え上げることに夢中だった。
 澄明な水のように、瞳の奥に沁みてゆく濃い碧もあれば、けさ萌えたったばかりの淡緑もある。葉むらの穹窿から洩れる淡い日や、草の中にひそむ影さえもが緑いろをしていた。すべて、ひと織りの絹のように波うつとき、柊一は心地のよい眩暈を覚えた。
 小径は緑と草の匂いに満ちている。ところどころ日溜まりをつくりながら、さらに奥深く烟る緑の苑へと続く。振り返れば緑、遙か彼方も緑である。途中で、枝分れする細い径を曲った。すると、緑はいっそう深く天を蔽い、影は濃くなる。柊一は外の世界との繋がりを完全に失うのだった。
 ルビがないので淋しいが、たとえば“碧”は“みどり”、“淡”は“うす”、“天”は“そら”と読む。PCでも洩れなく変換されるとおり決して字訓として間違ってはいないのだが、“緑”、“薄”、“空”と置き換えても語弊はなかろうし、むしろ“あお”、“あわ”、“てん” と読ませたって意味は通じる。だが、この語りの異質さが作品世界の造形に一役買っていることは云うまでもないだろう。
 異質さの源泉を更に遡れば、二人の作家に行き着くという。
 稲垣足穂、そして宮沢賢治その人らである……二人を追うように、作者もまた『天球儀文庫』シリーズ、『天体議会』、『三日月少年漂流記』、『テレヴィジョン・シティ』、『鉱石倶楽部』などで鉱石や宇宙、メカニックへの時めきを少年たちに投影した繊細なる美学で著してきた。それら愛着の種は、『宇宙百貨活劇』の巻末(というかページの1/3にも及ぶのだが)に収められた“著者自家製ことば辞典”『ことばのブリキ罐』に詳しい。『宇宙百貨活劇』は明らかにタルホの『一千一夜物語』を意識した連作短篇集であるが、取り分け他方の宮沢賢治への敬愛もまた深く、彼自身をモチーフとした『賢治先生』という作品を著している。宮沢賢治生誕100年記念作品でもあるそうだ。

 さて、その『賢治先生』から先んじることおよそ2年、文庫書き下ろしとして出版されたのが本書。原典を未読の方でもこの名前に聞き覚えはあるだろう。宮沢賢治の最大の代表作『銀河鉄道の夜』の人物名から引用した、『カンパネルラ』。
 その名付けの意図を、あとがきでは釈明と前置きしながらこう説いている。
誰にとっても自由であり、特定されることを拒む少年の名を、描くことのできない少年の代名詞として拝借したのである。
 このあとがきでおもしろいのは、原典の旧版・新版問題について触れている点だ。『銀河鉄道の夜』は未完である故に、幾つものヴァージョンがある。便宜上、旧版と呼ばれている第3稿、第3稿を更に改訂した新版と今日現在もっとも広く認知されている最終稿(第4稿)があり、その前段として宮澤賢治の草稿である2つのヴァージョン(第1稿・第2稿)と、大きく分けて4つに区別される。しかし実際は、出版の時期によって第3・4稿の改訂方針が混ざったものや、出版社の推敲の差異によって文脈が異なるものも存在する。(これらのことについてはこちらが詳しい)
 中でもひときわ問題視されるのが、長野まゆみ女史をして“頭が真っ白になるような衝撃を受けた。”と言わしめる、カムパネルラの水死の場面を主題とする章立ての順序であった。これについては前述のサイトにも詳しいのでそちらを参照してもらいたい。
 ちなみに説明が遅れたのだが、数ある長野まゆみ作品のなかでなぜ本書を真っ先に手に取ったのかといえば、それは紛れもなく俺自身が『銀河鉄道の夜』の洗礼を受け、いまに至っているからにほかならない。人生ではじめて読んだ小説はなにか、それが『銀河鉄道の夜』であり、人生でもっとも大事な作品も同様だ。
 であるからには、自然と『銀河鉄道の夜』に着想がある諸作品についての目は厳しくなるのがファンの性というもの。Wikipediaに載っているものだけでもすべてをチェックしているわけではないが、玉石混交なのは否めないだろう。
 原作と乖離してもなお傑作であり、原作と並列してもなお名作と呼べるのはアニメ版ぐらいだと思うし、アニメ版もまたベル・エポックな佇みが災いしてか、現代でも通用する“アニメ”かどうかは疑わしい。もちろんそれを加味しての名作なのだが。
 目からウロコだったのは、コントグループラーメンズの『銀河鉄道の夜のような夜』というコントだった。原典が持つペーソスと人間の業というものが笑いと、さらに云えば言語遊戯や叙述トリック(!)と両立できるとは思わなかった。
 ラーメンズは元々、嫁がファンで名前だけはうっすら聞いていたのだけど、なかなか食指が動かず敬遠していたコンビだった。云うなればたかがコントだろう、と。それでたまたまタイトルに目がとまり『銀河鉄道の夜のような夜』を鑑賞した結果、今では毎晩子守唄代わりにDVDを流し、しまいには夫婦そろって公演を見に行くまでになってしまった。
 ただ、これについては原典との距離感が功を奏したのだと思っている。『銀河鉄道の夜のような夜』は原典を知っていれば知っているほどニヤリとできる演出があるし、前述のとおり基調となっている物語は原典そのままだ。鐘村(≒カムパネルラ)の死についての説明不足を除けば、ひとつのコントとしてよくできていたし、何より笑いとの共生が新鮮でもろ好みだった。タイトルにも『……のような夜』とあるとおり、この微妙なベクトルの異なりによって違う世界を築くことが二次作品単独での成立を為しているのだろう。
 その点、他の作品はあまりに原典との距離が近く、表現を変えた意味にまで発想を及ばせることができていなさそうにも思えるのだ。もっともその手の作品のなかは、『銀河鉄道999』のように銀河鉄道というガジェットが持ちだされただけのものも大いに含まれている気もするのだが。『映画ドラえもん のび太の銀河超特急』は愛しておりますよ、主題歌込みで。
 そんなこんなで俺も『銀河鉄道の夜』が大好きだというわけです。KAGAYAが好きなのも、もちろんその影響ですしね。ちなみに、俺が所持しているのは昭和36年7月30日発行・昭和53年9月30日37刷の新潮文庫版で、前述した第3稿と第4稿が混ざった形のもの。(最終稿と同じくカムパネルラの死がラストに明かされるが、その直前にブルカムロ博士が登場する)
 なので、女史が熱弁をふるうような“畏れにも似た緊張感”とは無縁な子どものひとりだった。ただ旧新双方を読んだ限り、確かにテーマとしての重みは旧版には敵わないものの、新版のドラマティックさも卑下にはできないだろう。原作者が望んだ形ではなかったとしても、物語をよく知りよく考えた識者たちが整え尽くした形なのである。素人目ながら、後者の純粋な善き物語としての威風をぜひ選びたいところだ。
 もっとも仮名遣いの好みは別問題で、どうしてもカムパネルラをカンパネルラとは呼びたくない。だからこそ本書あとがきにて、しっかりと傍点付きでカムパネルラとカンパネルラとを使い分けているのに、題名が『カンパネルラ』である理由を明示しなかったのかが気になる所ではあるのだけれど。

 閑話休題。本書の感想である。
 読書メーターの感想に“黒冷水”なる語を用いたのだが、これはお察しの通り第40回文藝賞受賞作『黒冷水』(羽田圭介)からパクったものだ。『黒冷水』といえば常軌を逸した兄弟喧嘩と、兄から弟への報復の顛末を作中作というギミックを取り入れて活写した作品であるが、ここでわざわざこの書名を出すのはもちろん、『カンパネルラ』もまた兄弟の確執を描いたものだからだ。
 呼吸器系疾病の療養のために人里離れた祖父の家で隠棲する兄・夏織と、夏季休暇の間、兄に会いに来た弟・柊一。柊一は兄の読んでいた本の隙間から、“カンパネルラ”なる署名のされた一枚の素描を見つける。素描の意味が気にかかる柊一だったが、一方で午后になるとボートを漕いでどこかへと行ってしまう兄の行き先を案じてもいた。草樹の茂みに隠された水路の奥、石壁に囲まれた兄の“隠れ処”を見つけて潜り込む柊一の様子は、まさしく兄の部屋に忍び込みそのプライベートを覗こうとする弟の心理そのものである。
 物語に勢いが増すのは、風雨や水の氾濫で孤立した弟を夏織が助けにくる場面からなのだが、果たしてこれは生暖かい兄弟愛に因るものだという見方には疑問である。助けた後、柊一が兄に渡せぬまま壊れてしまった硝子の小魚を披露する場面に至るが、ここで砕けた硝子が元はなんの形だったのか尋ねる。しかし、夏織は応えず川を泳いだ疲労もあってか口をつぐんでしまうのだ。柊一が助けだされたのも、穿った考えを試せば己の聖域から異分子を排除しようとする行動にも受け取れよう。結局、明かされなかった硝子細工は、そのまま前述した作者のことばにも当てはまりそうだ。
誰にとっても自由で、特定されることを拒む少年
 夏織は水に侵される“隠れ処”に植わる銀木犀の枝の隙間で丸まった弟の姿に、日頃の自分の姿を重ねたのかもしれない。元の形を特定されずに終わった小魚は、脆弱な夏織の精神の象徴であり、夏織はそれを直視することを拒んだ。
 この場合、“隠れ処”への没入を胎内回帰と結びつけるのは安直にすぎるかもしれないのだが、俗世から離れて夏織が“兄”という居場所から脱し、絵画で云えば荒削りな“素描(エスキース)”に戻ることが出来た、唯一の場所だったのだろう。
 物語の鍵となる“素描”は、はじめ“隠れ処”の銀木犀を描いたものだと推察される。しかし、終盤になってその輪郭線が少年の顔を象っていることが明かされる。夏織は、カンパネルラであり、またそれ以外のものに特定されることを拒否した。“素描”は、毀れた硝子細工と同体のものであって、それらに嘗て備わっていた存在感の結合はなく、何かしらの意匠が漂っているだけなのである。
 柊一による“隠れ処”への侵入は、夏織の精神を踏み荒らすことでもあり、それにより夏織もまた自らに再び日常の存在感=“兄”という立場が蘇ってくることを感じてしまった。よって彼は謎の少年に連れ去られたわけではない。さらなる非実在感・不特定の象徴である“カンパネルラ”として、自ら“隠れ処”--心理の深層に、身を投じていくのだ。
 逃避者の心理として夏織が存在するとすれば、柊一は追跡者のそれである。
 弟は無邪気なのだ。
 病理が表されるとすれば、兄の方ではなく弟の方なのかもしれない。ラスト、柊一が消えた兄を探しに行く直前の場面である。
衣類を脱ぎ重ねた椅子、電燈や書見台、そんな中で祖父はいつものように睡っていた。長椅子に横たわっている。このまゝ、午后になってもまだ睡っているだろうか。そうなれば柊一は一日じゅうでも夏織を追いかけているだろう。
「ずっと睡っていてくれたらいゝのに。」
 居間の扉口で、柊一はそんなことを考えた。
 この物語中、兄弟を除いてただひとりの人物、祖父は実在していながら存在感は無に等しい。柊一にとってその言葉はそれ以上の意味を持たないだろう。しかし、このことで彼の心中から肉親に対する興味が失していること以外の何が説けるだろう。そもそも物語を動かしているのは、兄に対する敬いやあこがれや、兄弟愛の類ではない。夏織という存在に対しての、柊一の烈しい好奇がすべての動力なのである。
 影を生みだしてまで、聖域を創りだしてまで、己という存在の曖昧さを求めたがった夏織の意に反し、柊一は端から己の世界で生きているのだ。
 ここに至るまでになぜ本書が“カムパネルラ”ではなく、『カンパネルラ』と名乗るかが判じた気がする。
 作者にとって、カンパネルラという少年は存在しないのである。
 この作品が描き出すのは非実在少年の誕生のプロセスである。実在しない彼を、『銀河鉄道の夜』に登場するあの少年が演じるわけにはいかない。何しろ作者は“カンパネルラ”という少年が登場する『銀河鉄道の夜』は目を通したこともないともいう。
 物語中には登場せずあとがきに触れることによって立ち現れる署名に関する今ひとつの謎、……それは原典への愛から派生した、実在と非実在の明確な基準に因るものだ。


 なお、本書は文庫書き下ろしだが、のちに対となる『銀木犀』とのカップリングで単行本になっている。あまり作中の描写をそのままイラストにした表紙は好みではないのだが、鬱蒼とした茂み、閉塞的な夏の雰囲気を醸し出すのに絶妙なものだと思うので載せておこう。


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年齢:36
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