時間は切り取られている。食事や睡眠、呼吸も三つに一つほどの割合で、時間はそれに没頭することに捧げられていて、大方、生活の基本の方こそが日常の断章となっている。
それは幼少時代から兆しはあって、突然の現実逃避や日常に嫌気が差した結果などではない。だが最愛の恋人との別れがそれを激しく急き立てたのも事実だ。
彼女と出会う以前から万華鏡の目眩く艶美あるいは魔夢なる画の変容には取り憑かれていて、きっとそこには普段垣間見えない幻視的な意味での光と影が現れるのだと思っていた。つまり此世に溢れているはずが、音や事象や言葉などの煩悩のお陰で鈍貧にされた色の在り様が見え、世界が内包する画素は実に幻惑で、原色そのものが持つタプを覗き見る行為こそ人が持つ本来の煌めきを視覚する方法なのだと。
勿論、そんな話を彼女が楽しく聞いてくれる訳がない。彼女が発した綺麗だという言葉は真髄を表しているとは思うが、彼女自身は真髄が何たるかを知らぬのだろう。細長い筒の端に鏡と透明な板と色砂やビーズ、原色の一片を持ったものたちが忍ばせてあるだけの玩具に、その真髄が余す処なく顕現していることなど彼女が知る由もなかった。
彼女が持つ色を感じたいと思ったのは事実だから、披露される神秘な色合いは眩く嘆息が出る。だが今こうして色めき合う光の雫が乱反射したキャンバスを覗き込んでいると、途端にこれが視姦じみていて猥雑な行動だと気付く。
八つの窓。紅と白。粉硝子の饗宴。物理学者ブリュースターを虜にさせた光と色の魔術。コロナもオーロラも斜陽のプリズムも全て封印された自然のミニアチュール。緻密なパレットは少しの傾きで絵を変え、静謐な変容を見せる。
だが、今見ているのはかつて最愛の恋人だった麗若き十九の女の色だ。
そろそろ潮時なのかもしれない。無限の絵画も見ようによってはどれも同じに見えた。真空の中で液体がゆったりと変わる動きにさえ既視感を覚えた。どの場面にも彼女がいる。微細なモザイク画を通して微笑んでいる。取り憑いたのは彼女の方か。
もう僕は万華鏡を覗くことはないだろう。部屋に陳列してある壜を解放して、誰かに秘密(タプ)を打ち明ける。
此の何たる余裕。万華鏡から目を逸す余裕と。かつて最愛の恋人の色で酔い痴れたいという魔夢に取り憑かれ、切裂いた彼女を壜に保管し夜毎取り出しては万華鏡で覗き見る悪魔的な行動を、冷静に悔いる――余裕と。
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