一筆妖精って知ってるか。
何かこれだけは、っていう特別なものを書こうとしている人の前に現れて、書かれるべきセンテンスの最後に、〈了〉とだけ書き残して消えていくんだ。どこから現れてどこに消えていくかもわからない。けれどその最後の瞬間だけ、その姿が見える。その姿はいたって普通さ。ティンカーベルでもドイルが鑑賞した妖精写真のそれでもいいよ。
人の手首ぐらいの大きさで、ブロンドの髪の毛を後ろで留めて、半透明で斑の模様がうっすら浮きでた羽根が二枚。蝶のようでもあるし、蔓薔薇の花弁のようでもあるさ。でも整った顔立ちはまさしく人間の、少女の、それ。
その存在を教えてくれたのは、近所に住んでいた女の子だ。なんか難しい、けれどきれいな言葉をよく知っていて、本もよく読んだ。字もきれいで彼女のノートは手にするだけで心が奪われた。彼女が、いついつは来てくれたでも今日は来てくれなかったってその日その日でおかしなことを言うから、なんの話かって聞いたんだ。そしたら、調子のいい日はノートのうえで踊るんだって、もちろん妖精がだよ。でもその妖精は、しっぽが生えてる。しっぽの先は小筆なんだよ、墨がついた小筆。そして彼女が書いたものの最後にしっぽで印をつけていくんだって。物語の終わりを示す〈了〉って。
そんな女の子と接しているうち、僕ものめり込んでいったのは分かるだろう。けれど僕には彼女のような才能はなかったんだ。どんだけ書き狂っても、はためにはどうしようもなく、読みづらいし破綻してるし、何より彼女のと違って心にふれてこない。本を読んで感動するってことはおぼえた。僕にも書けるかもってその度に思う。一文字書き入れる直前までは完成してるのに、書き始めたとたんに手応えがなくなってしまう。あきらめるのは簡単だった。でも応援してくれた。だから約束したんだ。きっとこれだけは、ってのを僕も書き上げるって。どんなに短くてもいいから、彼女の心を動かすようなもの書いてみせるって。それからはみんなの知ってるとおりさ。もしかみんなには僕が自分で書き入れたものだと思われるかもしれない。でもそれでいい。彼女にさえ届いてくれれば、っていうか彼女なら妖精の最後のひと振りをしっかり見ていてくれるだろうから。
その女の子はとうの昔に病気で死んじゃったけど、今やっとお別れを言える気がする。
……きみのおかげさ。この物語が書けてよかった。
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