手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『くさり』

[解題]
【千文字の饗宴】猟奇の章、いよいよ怒涛のクライマックスである。
「吐きだす」ことに気負いを感じさせないための作品として「ましまろ」「巨人のレイプ」等があったが、いつでもどこでも自嘲の視点を挿入しなければ気が済まなくなってきた。本作では内包する時間の幅などからエログロの章の総括としての器量はあるものの、興味のある人間の自嘲を垣間見せ幕引きとなった「貌」以上に、創作者としての自嘲の極致である本作の方が罪は重いだろう。
時間は連綿と続いていく、思い出も、妄想も、しかし不変とは限らない。そして最果てまで行くとそこには何も残らなくなる。たとえば、原稿用紙の上で死んでいった女たちのように。



〈メスのもとあばかれてゆく過去があり わが胎児らは闇に蹴り合ふ〉

 騒騒しくこすれ合う梢もかくせぬ仲春の陽気が降りそそぐ病葉にしづむ縞の羽織に紗綾の帯。只顔のままの娘が裾をはだけさせ横臥する森、盗人も狐狸も脱衣婆さえも通らぬ深き山の中腹である。地から這いでる埋葬虫、飛んで啄ばむ田長鳥。娘の腹から血と臓物のきれはし見え、小蠅群がり、皮を嘗め、肉を噛み、産毛を摘みとっていく。ああら、気の毒、つつじ花香少女、桜花栄え少女。野武士か悪鬼か、誰に殺められたかも知らず、霊験でも蓮の台でもなき此処いらでは魂も去り、張りや肌理だけ残る躯取り残された、さながら沙羅林の妙。俄かに腐り、繊維と液と骨とに分かれ、袖は泥、髪は蔓と散らばっていく。橘の枝やしない、蝶の餌とし、さらに次の季の落葉ふりつもり、山肌はなだらか、乾いた山砂敷きつめられ転圧され、都から直でつづく街道ができた。

〈病葉や葉守の神もおはさぬか〉

 飛脚や山伏あししげく通り、文車の轍ができる。些事の遠出を襲われし徒人の妻の市女笠とむしの垂れ衣、破瓜の血浴びた玉かずら、朝露が拭う。

〈朝露に汚れて涼し瓜の泥〉

 草履は布靴、軍靴に変じ、つらなる疎開のあし並みが索道を渡っていく。背後に傷痍をもち、片手足をうしなった気狂い先導者、慰安婦同然の町のおなごを、子らの眼の前で服を剥いで揉みしだく。抵抗されてつき飛ばしゃ崖を転がり悲鳴は谷底、針葉樹に刺さる。負け戦を讃えよと言ったそばから男児の投げつけた小石で眉間切る親仁。怒り心頭、南下する爆撃機の光と炎で、一行、貨物や土砂と一緒に爆ぜる。

〈黒峠とふ峠にありにし あるひは日本の地図にはあらぬ〉

 高度経済成長が流血をアスファルトで覆って、本土の山脈を貫く高速道を敷く。パーキングエリアで停車したワンボックスカー、隣県から拉致された女子高校生のパンツ切り裂き、スマートフォンで撮影する若人。ぶん殴り、金まき上げ、鉄管挿しては捏ね繰り遊び、リアシートから垂れるしずく、駐車場から追い越し車線を紅くむすぶ、そのしるしはくさり。速度超過で衝突炎上、救出されし少女、髪ふり乱して後続車に轢かれる。

〈廃車の窓に朱きゆふぐも流れたり喪ひしものを限りなく所有す〉

 高速道囲う山の頂に聳えし白堊のビル。遺伝子工学の粋あつまりし、震災第三世界高原産婦人科、午前四時。
 裸んぼうの赤んぼが母を呼ぶ、母を呼ぶ、されど声は聞こゆることなし。


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