際限なきただひとつの時空は手のひらの中にあると、おちゃめな時空そのものが語っている。ここにあるボウリング球ほどの大きさのキューブ――窓も取っ手も溝すらもない立方体のなかにすべてが詰まっているのだそうだ。語っている、とはいっても私達と同じように唇や舌を持ち、饒舌なことばで、というわけではない。如実に表している、いわば物語っているということなのだ。
この匣の起源を遡ることも可能だ。なに、旅行鞄のいらない小旅行である。すう、っと縁をなぞるだけでまっさらだった表面が次第に凹凸をみせはじめる。上方の四辺はそれぞれ一辺ごとごとに分離してさながら卍のごとき形象をなす。下方は細切れになっている。それ以上の説明はいらないだろう。ある人は宇宙と呼んだ。匣に仕込まれた時空のことを、である。宇宙には暗黒物質というものがあるが、分解されていく匣から溢れだしたのはまさにそれに代替するものなのかもしれない。夥しい、どす黒い、液体。宇宙がひとつの工業製品だったならば蓄えられたオイルとも呼べる。しかし思うに、人間にとって血液とは注入されるものではなく(例外はあるが)、自ら精製するものだ。永久機関とはこういうものを呼ぶのかもしれないが、知っての通り、人間の活動とはそれそのものが永久ではない。まさに寿命の途中で緊急停止を施され、使い道のなくなったオイルは死したのちに熟成されてコールタールと化すのだろう。密閉されていた匣から流れだした血の残滓は、おおよそコップ一つ分。
どうせ切り分けたときに大半は流れでてしまっているのであるからもっともだ。いま消えていったのは細胞と細胞の隙間に潜んでいたものだろう。
まるで自動でパズルを解く機械だ。自然に組み上がっていくピースは、胴体を、腰のくびれを、肩の歪みを、背骨の反りを、臍の窪みを、やがては乳房の張りまで復元してみせた。元は手作りで皮膚と筋と贅肉と骨とに分けて、それぞれ折り重ねて出来上がった肉片だ。複雑怪奇とはこのことをいうのだが、さほど効果のあるものではないらしい。さらに咀嚼の拒否を促すような、手の施しようもない、簡単にいえばドロドログチャグチャに封じられていたのが頭であり臓器であり、性器であり、心……ばかな、とは思うが、確かに。彼女の心がいつ消えたのかという疑問ほど意味のないものはない。
出来上がった人型の、なにか、にそっと指を這わせる。体毛や皺までそっくりだ。私が突き立てた刃がにわかに滑った腋の下、ナイフの柄まで呑みこんだ深いみぞおち、がま口のように開いた瞬間が忘れられない下腹部のあたり……「……」女の口が開いて、なにかを言った。断末魔だ。声と呼吸のあわいの音。なんの再現なのだろう。一糸まとわぬ姿の彼女にナイフを突き立てた頃、ようやくこの〈封印BOX〉というアイテムに唆されていることに気がついた。Who In Boxであるなんて、うそっぱちなのだ。匣のなかに誰かがいるわけではない。匣そのものが、私にとっての誰かなのだ。誰なのだ、さっきまではあんなに思い当たらなかったその姿が、いまはもう、まざまざと、些細な事まで思い出してくる。いや、思い出すというよりも蘇ってくる。同じだろうか。同じか。あのとき、私は彼女に右手を掴まれて、強引に股間を押しつけられた。そうだ、私の指が押しつけたのではない。逆なのである。彼女の陰部が私の指を犯したのだ……そんなことはどうでもいい。まだ、そこまで遡っては、いないのだから。そして私が匣に封じ込め、今しがた蘇らせた……私の指こそ封印を解く鍵だと嘲った女は、さらに語り始める……「際限なきただひとつの時空は手のひらの、」
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