かつての大噴水の噴出口は、鉄柵に阻まれ、苔や草におおわれたちっぽけな穴でしかない。閉園からしばらく経ち、肝試しにきた大学生の男女がすすり泣く女の声を聞いた。ウォーターフロントの賑わうここいらでもとりわけ人気のスポットだったかと思う。レイプまがいや盗撮の被害は後を立たず、出入口と中腹にちいさな交番を設けたりもした。バナナの皮のようにへろへろになって地面に横たわったBを発見したのも交番の巡査だった。
十代の頃のBは、ヤングアイドルあがりの若手女優だった。清純派が売りといってもいいだろう。一端の女優ですら浮世を流すも厭わなくなった世界だが、それでも偶像の責任を誰かが背負わなければならない。Bはその、数少ない犠牲者のひとりだった。
二十代半ばを迎え人気は下火になるどころか、色気もまじって益々のうなぎのぼり。しかし、ある頃から活躍に翳りが生じるようになった。どちらも噂の域を出ることはなかったが、ミュージシャンとの熱愛がささやかれ始めたことが幕開けだという声がある一方、青年実業家との交際に溺れ、しまいには乱交サークルに入り浸ったという話もある。どちらにしろテレビは彼女を見放した。アダルトヴィデオへの参入に至る経緯は割愛するが、同じ轍の女優たちと異なるのは、彼女の人気を開花させたのがいわゆるアブノーマルな分野だったということに他ならない。某濡れ場研究家は「清純派というイメージにすがってAVデビューまで数年はかかるのが普通だ。しかし逆手に取った。両極端に振れることで作品外のいきさつまでも作品化・ブランド化してみせた。これには敵わない。革命である」と評しているが慧眼であろう。
彼女の最期は、公園にいた三十人ほどが目撃した。うち十名足らずは関係者だったが、残りは老若男女問わぬ公園の利用者である。緊縛された格好のままガタイのいい男優に引きずり回され、彼女は大噴水の中央に置き去りにされた。「真空の檻」と表現したのは誰だったか。「彼女の芸能生活そのもの」と評したのは誰だったか。まだ演戯は続いていた。よろめくように彼女が一歩踏み出したとき、二百キロポンプで汲み上げられた水が一気に噴出した。地上十数メートルまで飛び上がった彼女の細い肢体はばらばらになることも血みどろになるわけでもなく、しぶきとともに宙を舞いコンクリートに落ちた。駆け寄る瞬間まで誰もが墜落死という認識だったようである。彼女の亡骸は放置された。惨劇と呼ぶにはあまりに静観な光景である。救急車が来る頃には野次馬ができていた。逃げた者が言いふらしたのかもしれない。何台かのスマートフォンが彼女の亡骸を写真に収めた。
撮影されたうちの数枚を見ては、私はたぎる怒りをこらえた。毎年、荒墟となった大噴水跡地に花を手向けにいく私である。何を恨むべくもない。ただすべてに憎悪する。彼女という一つの命はさながら鯉についばまれる魚粉だ。かつては凛々しく遊泳していた人魚を細切れにし、粉砕して固めた旨くもない魚粉。画像をプレヴューして愕くのは、亡骸に靭やかさや美しさがわずかながら感じられることである。ドラッグ漬けになったBは、とうに骨の浮きでた華奢な躰になってしまった。落ちた衝撃で腕と肩の角度がおかしく、傍目には分からないが彼女の商売道具であった肛門は裂傷し、内臓は噴水圧でかき回されてしまったことだろう。脳裏が幻影を重ねあわせているだけかもしれないが、私はオフィーリアもかくやと言わんばかりの美しき屍に、はっきりと胸が疼くのを感じるのである。
恨めしい恨めしい、一枚二枚と画像をめくり、ただならぬ嗚咽を噛みしめながら私は射精した。PCが濡れた。
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