空が青い。その青さは日毎に深く、濃く、絵の具の青そのものに変わりつつある。気象庁が酸素濃度等に異常はないと発表してから三日経つ。つまり、気象学 的に言えば、空に異変は起きていないのだ。ただ、その色だけがじわりじわりと青さを増していっている。
白い雲は出来たそばから徐々に空に溶け始め、仄かに綿状の輪郭が見て取れるだけである。
下の娘が通う学校では、雲を目撃するのが幸運な前触れだとするジンクスが伝わり始めているそうだ。自分も学生時代、授業そっちのけで泳ぐ雲を眺めていた。あの取り残されたような虚脱感は何だったのだろうか。勉強だの恋愛だのに追い込まれている生活が急に嘘のように思えて、覇気を失ってしまうことが多々あった。それを超現実感と名づけられた瞬間にも同じものを感じた。
今泳ぐ雲は透明な形だけでしかない。やがて数機のジャンボジェットが消息を絶った。地上からその瞬間を目撃した者たちが、揃って青の浸蝕を証言した。雲を溶かすように、空を横切る白い機体が次第に色を抜かれていき姿を消したという。
無線は途絶え、墜落した様子もない。各テレビ局は特集を組んだ。夜九時からの連続ドラマが潰れ、楽しみにしていた妻と上の娘は残念がっている。
今夜も特集番組では長ったらしい肩書きの研究家や、有名大学の教授が自論をぶちまけている。食傷した上の娘はDVDを借りてきて見ていたが、レンタルショップはどこも盛況で、目当てのものが借りられなかったと口を尖らせていた。
下の娘から聞かされ、明日は父兄参観日だと思い出した。明日朝一で職場に連絡しなければならないなと思いながら、夕食を取る。ふと、閉め切ったはずのカーテンがいつもの朝のように束ねられていることに気付いた。
「電気代の節約よ」と妻が言った。確かにこれでは夕食も朝食に思えてしまう。
窓辺に広がっていたのは明るい朝の空の色だった。
「あら、雨」妻の言葉で再び窓に目を向けると、淑やかに天気雨が降り注いでいた。
妻が洗濯物を取りに席を離れ、DVDに飽きた上の娘がプレーヤーを停止させた。地上波に切り替わると、天気予報が明日は曇りのち雨だと告げている。おかしな話だ。味噌汁を啜り、学生時代のように空を眺めた。超現実感と名付けられた感情が甦ってくる。
きっと明日も今日と変わらない。空が青い、ただそれだけの違いで。隣家の屋根には上半分だけ浸食された鯉のぼりがそよいでいる。
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