「なんです、幽霊を見たような顔をして」
「いや、このくそ暑いのに黒いシルクハットにマントって、あんた頭おかしいんですか」
ほほほ、と男は笑う。なんだその笑い方は。
「時期を間違えましたかな」
「まぁ時期というかセンスの問題……」
ぐいっと首根っこを掴み上げ囁きかけてくる。昔の葉巻の匂いがした。
「二百年の時が経ったのです。間違いだって、あるっ。そうでしょう」
そうこの男、魔法使いを名乗って俺の目の前に現れた。仕事帰りに自動販売機に立ち寄ったとき隣でううむううむ唸っていたのがこの男で、タスポの使い方を知らなかったらしく声をかけたのが運のつき、こうして俺は連れ去られてしまった。
煉瓦を無造作に積み上げた門の先には、衝立とも思えない幾枚もの壁が立ちはだかっていて、確かに迷宮と言われれば迷宮だと思えてしまう。黄昏の自販機からここまで一切の記憶がないのだから、魔法の仕業と勘繰る余地こそあるものの、男の説明は少しおかしい。
「嘗てあなたは魔法界のルーキーだった。このなんとも言えないリジェクティヴな迷宮に挑んでいた私、そうまだ駆け出しだったこの私が、あの日この迷宮を突破できたのは、あなたが助けてくれたからです。ああぁ懐かしい、あの頃みんな若かったっ」
「人違いだと思う」
「なんとっ覚えてらっしゃらない。これは困った困ったぞ」
つまる話、男は迷宮の道筋を忘れてしまったらしい。というか俺を探し出せるぐらいなら記憶を呼び覚ます魔法とか使えないのか。
「記憶を扱う魔法はディフィカルツッ! だからまだ勉強中。でもあなたなら使えるっ」
「使えないんだよ。だって俺、人間だもの」
「それは仮の姿でしょうがっ」
「違うっちゅーに」
埒があかない。突っ撥ねるように踵を返して道を探す。どこだ、ここは。辺りは深そうな森に囲まれていて、歩いて帰るには時間がかかりそうだ。
「待ってっ、待ってくださいよ」
「詐欺まがいにゃ付き合ってられねぇの」
男は地べたをのた打ち回っている。すがってもらっても困るんだ、こっちは。
「詐欺ではございませんて。お助けぇ、お助けぇ……」
険しい森に進み入り迷宮が覗けなくなったところで立ち止まる。
少し可哀相な気もするが仕方ないよな。こんな時は見知らぬふりをして、さっさと話を切り上げるのが一番。詐欺師も、魔法使いも。それに……。
「頼ってばかりじゃ一人前にはなれないぜ」
俺は久々に呪文を唱え、自宅へと、飛んだ。
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