摩天楼の屋上。黒装束の背後には満月。飛空したままの大凧。地上には警官隊。サーチライト。サイレン。大凧に縛り付けられた夢野財閥の麗嬢がいる為か、警官隊は身動きが取れない。遂に、僕は彼を追い詰めたのか……追い詰められたのか。
「もう観念するんだ、死の二十面相(タナトス)。逃げられないぞ」
マスクの下、彼の唇が歪んだ。
「よく来たね、素人探偵くん。今宵の月は綺麗だ。そして御令嬢は尚も美しい。君はそう思わないかい」
巫山戯てる――。馬鹿にされた。だが迂闊に行動出来ない。何をして来るか分からないのだ。
「お前は何者だ。どうして人の死を思いのままに出来るっ」
「何故ならTHANATOSだからだよ。私は死の神だ」
「お前は神じゃない。ただの殺人鬼だっ」
ここ一ヵ月、死の二十面相の仕業と思われる殺人事件が数十件起きている。だがどの殺人も不可解だった。眠るように、否、元から死んでいたように静かに殺されているのだ。
「知りたいのか、君は本当に。私のことを」
「ああ、それが僕の役目だ」
「役目? くくくく。確かにそうだ」
いちいち癪に触る奴だ。僕は拳銃を突き付けたまま、握り直した。
「この世は謎(ドグマ)、あるいは物語(ドラマ)だ。知らなくていいことだってある。たとえば死の真理なんて尚更だよ。素人探偵、くん」
「黙れ、死を弄ぶお前が言えたことか。死は飾りじゃない。この世は推理小説じゃないんだ」
「くくく、推理小説」
「何がおかしいっ」
奴はマントを翻して、こちらに背を向けた。無防備だが何故か引き金が引けない。
「脳髄は物を考える処に非ず、だよ」
奴がマントを開いた。次の瞬間、奴は僕の目の前を防ぎ、僕の身体はねじ伏せられる。
「心配することはない。私も君も死にはしない。元から君の言う現実とやらでは生きちゃいないのだからね」
「ど、どういうことだ」
「脳髄は物を考える処に非ず……、君は脳髄すら持たない。君はただのキャラクターだ」
「キャラクターだとっ」
「チャカポコチャカポコ……くくく、惜しかった。推理小説ではないが探偵小説なんだ。君の知っている現実はね。そして……」
私が作者だ。
奴はマントを再び翻し、空へ飛ぶ。何も遣わずに。有り得ない。
「私の筆先ひとつで、登場人物は死に至る。死の事実だけを受け入れるんだ。眠るように。それが真相だよ。さよなら、素人探偵」
奴は闇に消えた。そして今、物語は終結を迎え、僕も……消える。
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