手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『ドグマ=ドラマ』

[解題]
テーマは幻想探偵。1000文字のなかであまりミステリを追究している頃合ではなかったので、探偵小説の風味を髣髴とさせればそれでよかった。
『名探偵コナン』と『まじっく快斗』がイメージソースにあるなんて口が裂けてもいえない。無論、源泉は『堂廻目眩』……『戸惑面食』……『脳髄地獄』……なんと記しても構わないだろうが、日本が誇る幻魔怪奇探偵小説であると思いたい。


 摩天楼の屋上。黒装束の背後には満月。飛空したままの大凧。地上には警官隊。サーチライト。サイレン。大凧に縛り付けられた夢野財閥の麗嬢がいる為か、警官隊は身動きが取れない。遂に、僕は彼を追い詰めたのか……追い詰められたのか。
「もう観念するんだ、死の二十面相(タナトス)。逃げられないぞ」
 マスクの下、彼の唇が歪んだ。
「よく来たね、素人探偵くん。今宵の月は綺麗だ。そして御令嬢は尚も美しい。君はそう思わないかい」
 巫山戯てる――。馬鹿にされた。だが迂闊に行動出来ない。何をして来るか分からないのだ。
「お前は何者だ。どうして人の死を思いのままに出来るっ」
「何故ならTHANATOSだからだよ。私は死の神だ」
「お前は神じゃない。ただの殺人鬼だっ」
 ここ一ヵ月、死の二十面相の仕業と思われる殺人事件が数十件起きている。だがどの殺人も不可解だった。眠るように、否、元から死んでいたように静かに殺されているのだ。
「知りたいのか、君は本当に。私のことを」
「ああ、それが僕の役目だ」
「役目? くくくく。確かにそうだ」
 いちいち癪に触る奴だ。僕は拳銃を突き付けたまま、握り直した。
「この世は謎(ドグマ)、あるいは物語(ドラマ)だ。知らなくていいことだってある。たとえば死の真理なんて尚更だよ。素人探偵、くん」
「黙れ、死を弄ぶお前が言えたことか。死は飾りじゃない。この世は推理小説じゃないんだ」
「くくく、推理小説」
「何がおかしいっ」
 奴はマントを翻して、こちらに背を向けた。無防備だが何故か引き金が引けない。
「脳髄は物を考える処に非ず、だよ」
 奴がマントを開いた。次の瞬間、奴は僕の目の前を防ぎ、僕の身体はねじ伏せられる。
「心配することはない。私も君も死にはしない。元から君の言う現実とやらでは生きちゃいないのだからね」
「ど、どういうことだ」
「脳髄は物を考える処に非ず……、君は脳髄すら持たない。君はただのキャラクターだ」
「キャラクターだとっ」
「チャカポコチャカポコ……くくく、惜しかった。推理小説ではないが探偵小説なんだ。君の知っている現実はね。そして……」
 私が作者だ。
 奴はマントを再び翻し、空へ飛ぶ。何も遣わずに。有り得ない。
「私の筆先ひとつで、登場人物は死に至る。死の事実だけを受け入れるんだ。眠るように。それが真相だよ。さよなら、素人探偵」
 奴は闇に消えた。そして今、物語は終結を迎え、僕も……消える。
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