南宋に劉洪托という獄司空がいて、早朝に東京開封府(河南省)を出て杭州の沿岸にある銅の採掘場に向かっていた。連れ立った刑徒は、汚職の下級役人やら暴力を働いた丈夫がほとんどで、採掘したあとの銅を運ぶ、小火車を渡す軌条敷きの工事に遣わすのだ。
もとは沼の底だと謂れの採掘場に着くと、そこは黄砂の積もる窪んだ土地で「史記」に伝わる悪名高き妲己の伝承を想起した。「酒を以て池と為し、肉を懸けて林と為し、男女をして裸にしてその間に相逐はしめ、長夜の飲を為す」との謂れのあれである。刑徒を場に放つと、劉洪托は監視にいそしむ。群がる者の差異はあれどその廖郭たる様、紂王がつくらせた石造りの池苑さながらであった。
身震いをおぼえ小用に立った劉洪托は、岩の狭間の枯れ草のなかに腰かける道士を見つけた。口を聢とむすんだ道士もまた、虫螻のように採掘坑に集る者共を見下ろしていた。
「明帝のゆるし得ず立ち入ってはならぬ」
劉洪托の一喝で、おもむろに立つと道士は懐から符を取り出した。
「昔日にここで親を没めたことがおありか」
「侮るか。この手で人を殺めたこともない。まして故郷に健在なるぞ」
劉洪托が短刀を引き抜くと、道士は「沙羅紗々紗、更沙羅更紗」と軽妙に小筆でなぞり、掌で符を包む。つかの間に呪詛を唱えたかもしれず、符は空を舞い、劉洪托の目先をそよいだ。
「生き死にの母ぞ乾屍。泥の王都を穢してはならぬ」
切りつける間際、道士は陽炎然として消えてしまった。劉洪托は空を泳ぐ符を掴んだ。
採掘場では刑徒が散って作業をしていた。降りていくと、符は劉洪托の手からひとりでに離れ、ひとりの肩にとまったではないか。刑徒は目下を夢中で掘り始め、やがて踝あたりの深さまで掘った穴から水が湧きでた。水は乾いて固まり、世に見事な黄金と化したのである。水を呑んだ刑徒たちは錯乱の態。同じく眩さに正気を逸しそうになった劉洪托は、自らの肩を掴み痙攣する半裸の背中を見て慄然とした。頸から腰にかけた背骨が隆起し、破竹めく音を立てまくり上がったのだ。背骨だと思しきは骸骨魚の幾枚もの背びれであり、骸骨魚は抜け殻になった刑徒の骸を飛び立つと黄砂の地に落ち、掘削機さながら地中へと没んでいった。
劉洪托はやみくもに黄金を拾うと、逃げるように帰郷した。職こそ失ったが劉家は孫の代まで栄えた。劉洪托は孫が生まれてほどなく、漁場の魚を食らい毒にあたり死んでしまった。
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