手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『エコーエコー』――《短編》第104期に関する覚書

http://tanpen.jp/104/

あ、あともらった感想に対する返信でございます。てか、そっちがメイン。
ちなみに『エコーエコー』。タイトルの元ネタはSOUL'd OUTの某曲だったりします。中身にゃ関係ないですよ。



はてさて。
まあ今期は決勝に進んだだけでもおやまあという心持ちで、ちょっと自分でも練りこみ不足かなと思う点もあったりしますので、結果優勝できなかったのは、別に悔しか……やっぱめちゃ悔しい!!なんつって。
んで、なんで言い訳がましく久々に返信書こうなんて思ったかといえば、感想を遡ってみて、なんだか何があったんだかそういう時勢なのかなんなんだか知らないけど、今期は感想が熱くて、むさ苦しいなあと思いつつも、おやおやまあまあと感心させられたこともあったからですね。

てことで、探りを入れて集めました。
拙作『エコーエコー』に対する感想よ、集え。



anonym_selfさんのツイートより
「エコーエコー」/これもイメージ先行なのかもしれないが、こちらは影絵のように感じる。「幸せ」と「不幸せ」が単なる白黒の違いで、そうであるが故に簡単に裏返ってしまうような危うさ。「H、A、TE」ってなんなんすかね。まあいいけど。
影絵。いや、唸りましたね。確かにイメージ先行(とはいえ、本作はイメージ自体があやふやな状態)だったわけだけれども、もし映像化するのであれば、こりゃもう影絵、緻密な風景に浮かぶキャラクターのみ影の状態で描いた手法でお願いございと思っていまして、まあそれが伝わるかどうか、伝わったところで誰得なんですが、まあ僕が書いてそのように思ったものは、伝わるのだなあと感じました。「幸せ」と「不幸せ」が白黒の違い、というのはまあ背反しているということだけど、そこまでは考えていなかったなあ。

《短編》掲示板にて読書Rさんより
19 『エコーエコー』 吉川楡井 1000
ときおり鼻につくところがあるんだけど、これも良かった。うそ を境にあっちとこっちがあるような前半部分が、ほら貝っていうツールを媒介してあっちとこっちの関係性を導き出す。ようするに、スタディボードとほら貝は類似のものだという構造か。「貝の表面はオイルを塗りたくったようにきらきらしているけど、実際は砂をまぶしたようにざらざらで、その触り心地は決していいものではない。」って、ずいぶんと哀調を感じる。
鼻につくというのは、わざわざカタカナを使って「ジツヨウセイ」って言葉を異化させようとしているところとか。カタカナを使うのは問題ではないんだけど、実用性という言葉に対してなにか不満を感じるようなところ。といっても、これはこちらが勝手に感じるだけで、書いているほうはそんな気などさらさらないのかもしれないけど、と、つまりそんな風にこちらが勝手に考え出したりすることが、小説の役目、役割なんだろうな、と思う。いい意味で、時間を忘れる。 エコーのエコーって意味なのかなタイトルは。離れているようで、関係し合う世界というか。
んー、ここまで言われるとなんだか照れますねえ。小説の役目、役割だなんて。それすら体現できていない作品があるってことですからね。まったくね。精進しなくちゃなりませんな。
てことでまあ色々考えてもらったみたいですけど、ちょっと僕の意図とは異なっているところもあり、これはこれで勉強になる。
スタディボードとほら貝は類似のものだという構造、とあるんだけれども、類似ではなく、なんでしょう、対比というか、真逆なものだと思ってます。いわば、時計仕掛けのほにゃらららではないけど、見た目としては似たようなものだけど中身が全然違う、みたいな。
いえ、ボードとほら貝は見た目こそ違いますけど、何かと何かを繋ぐツールという意味では同等。ただツールというのはあくまで道具であって、扱い方によって表にもなれば裏にもなるわけ。ま、その辺はテーマになるので、後述します。
ジツヨウセイという言葉ですが、これwikipediaに喩えると分かりやすいんですよ。wikipediaって嘘ばっか書かれているといわれるけど、便利じゃないですか。正しい情報こそ実用性のあるものだけど、もしかしたら正しくないんじゃないかという情報だってすぐに生活に取り入れられてしまう。
例えば放射能問題発生時の……いかんいかん、後述。

《短編》掲示板 読者さんより #19
『エコーエコー』
よかった! がんばってここまで読んだ甲斐があった! ほら貝ってのがいい、デジタル世界に対するアナログ感、とか、嘘→法螺のことば遊びっぽいところとか、厚みのある文章。#18と比較するとよくわかる。
デジタル世界に対するアナログ感てのはまあよくあるパターン。まあ、ほら貝ひとつでアナログ感が出てるとは思わないんだけど。嘘⇒法螺については、常套なのであえて触れられないのかと思ったけど、もしや気がついてないとは言わせないぞ、読者諸君!!みたいな。
厚みのある文章かどうかは、よく分かりません。


ここまでがいわゆる感想。
実際に投票してもらったときのが、下記。
anonym_selfさんより
「『エコーエコー』」
さまざまなものが隠蔽される一方で、そうであるが故にそれ自体何かを暴露している。「放熱スモッグ」は何かを隠蔽し、だがその何かを「嘘」として暴露していく(無論、それを真実としてではなく)。
「ほら貝」も何かを隠蔽しつつ在る。主人公がそれに教えを乞う時、暴露の中に在る隠蔽をもまた知ることになる。「宇宙のハテ」と名付けられたその隠蔽だけが、主人公達の世界におけるあやふやな「幸せ」を保証してくれる唯一のものである。
これ以上ない解題だと思うので何も付け足すことはないんだ。隠蔽と暴露という表現は、直接的ではないけど、そういう風に二分化されたら嫌だという気持ちがあって、だからこそ本作では嘘が嘘なのか真実なのか曖昧にしたわけだ。
けれどこの社会――情報に嘘が混入していることを認知しながら、与えられた情報を鵜呑みにする社会では、真偽に関わらず情報提示・回答自体が意味を成す。それが念頭にありながら、隠蔽と暴露という簡潔な手段で言い表せなかった自分が恨めしい。ような、微笑ましいような。

http://tanpen.jp/vote/104/fin/19.html#date20110605-012415
『エコーエコー』はカタカナが気になった。語り手の年齢を下げるためかなと思ったけれど、そうすると冒頭(「枢軸気温」あたり)が硬い気がする。第一段落の途中で急に幼くなるように感じた。
後半の、ほら貝から宇宙へ広がるイメージが素晴らしい。螺旋を描くような形状のほら貝の奥には、確かに宇宙が覗きそうだ。少女がほら貝に口を当てて囁く、という絵も美しくて好みだった。
宇宙のハテは自己と他者の境界で、部屋でひとりほら貝に口を当ててハテと交信する行為はつまり自らの精神の奥深くへ潜ることに他ならないのではないか。絶対の孤独を感じながら、真摯に自らの本質と向き合う行為ではないか。そんなことを思った。 静かな闇の中で一つ星が光っているような、心地よい読後感があった。
anonym_selfさんのような本質を突いた感想も好みだが、読感をそのまま伝えてくれる感想もまた美味。
カタカナの使用は確かに年齢を下げる意味もある。ただ硬いといわれる「枢軸気温」についてはこちらもカタカナにしたかったのだが、それでは何のことかさっぱり分からない(「枢軸気温」自体が造語なため)だろうと思い、そのままにしたまで。というか、「実用性」をカタカナにしたのはテーマを分かりやすくしたためで、漢字のままでもよかった。「枢軸気温」、「実用性」という言葉は知っているけど、それが何たるかはまだ分かっていないということが伝わればそれでよかった。
宇宙へのイメージは、映画ドラえもんの『銀河超特急』にインスパイアされた。主題歌もセットで。
自らの本質と向き合う行為――これにもいや驚いた。ということで後述。


さて、『エコーエコー』。作者なりの意図を書いたところで読者には得もなかろうが、書かなければ忘れてしまうので、書いておく。
本作のイメージソースはずばり、とあるツールを使った宇宙との交信であった。そのツールを人形にして、ふざけたホラーになったのが、『ネビュラの妹』という1000文字小説である。その段階ではテーマというテーマはなかった。
で、『ネビュラの妹』で失敗した名残を引きずったまま、最早何を語るにでも数年は引き合いに出さなければならないであろう東日本大震災に直面することになる。
震災対応に追われるなか、僕は自治体職員として昼夜問わず働いていたわけだけれども、復旧状況についての市民からの問い合わせが多く、一方で実際の情報を明かせないというザ・公務員的な立場も体験した。
放射能の問題が追い討ちをかけ、また自治体の確認もないままに、勝手な情報をニュース速報というそれっぽい欄で流すマスメディア。それらへのフラストレーションが溜まりに溜まった挙句、僕ら自身、福島県民、それこそ福島原発から60kmしか離れていないわけで、東京電力の対応に苛立ちを覚える始末。
なんだこれは、と思った。結局、僕は僕を苦しめている市民と同じ、むしろその逆で、市民だって僕と同じ感情を抱いているに過ぎない。そんな当然なことに気がついた。
だから僕は気にしなくなった。原発、放射能、東京電力、そして政府。彼らが発信する情報はどれも気まぐれで、信憑性のないものだと一目で分かる。だが、嘆かわしいことに市民はそれに縋って生きている。現に、3ヶ月経った今、僕の職場でも放射能測定器を購入するとかしないとかそんな話で持ちきりなのである。一台うん万もするものを家庭で買うか買わないか、これは確かに周囲の情報に左右されず、自分の目で確かめる意気があって、最良の策かもしれない。だが、よく考えれば分かる。測定して何になるのか。最早僕らは手遅れだと誰もが口にする。笑って誤魔化す。なのに、大枚はたいて測定しようとする。このずれは何なのか。
つまり、人は今、情報を欲しがっているだけではないのか。
昆布が効くといえば昆布をひたすら食う。イソジンを飲む。
ハレー彗星が地球に接近したとき、酸素が失われるという噂を信じて、自転車のチューブで生き永らえようとした頃と、何も変わっちゃいない。
何故、テレビ番組では毎日のように政治に対するバッシングをしているのに、軌道は変わらないのか。何故真実を言えば干されてしまうのか。むしろその真実も真実なのか。社会にあふれているインフォメーションという名のイミテーション。
『エコーエコー』。エコーとは谺(こだま)である。発すれば必ず返って来る。しかし、誰一人答えを返すことはない。真実を尋ねれば真実が返って来る、はずなのに実際はそうではない。それが真実でなくても、人は受け入れる。贋の情報だと勘繰りながらも余地がなければ、より身近に感じられれば、それは真実よりも強固な絆が生まれてしまう。実用性が生まれてしまう。
公務員とは秩序でなければならない。だから社会の均衡を破らぬために守秘義務が存在する。
だが傍から見れば、(子どもが宿題を見せないのと同じように)都合の悪いものを隠す行為にもなる。
作中、主人公は大人に対して幾つかの質問をする。けれども誰一人答えを返すことはない。真実かどうか以前にエコーすら成り立たない世界で、たったひとつ答えを返してくれるもの。それがほら貝だった。
このほら貝については、実は二通りの見方がある。
ひとつは間違いなくこのほら貝は宇宙のハテに通じていて、得たいの知れぬ何かが主人公の質問に答えているというラストに至る。宇宙のハテ、H、A、TE。これに惑わされた読者も多いと思う。HATE(憎しみ)――。つまり、消えた東の空の星星からの念が、主人公に対して憎悪を打ち明けるという風に受け取って欲しかった、まずは。主人公の住む星の幸せは、消された幾つもの星星の不幸のうえに成り立っているのだ。
だがあえてもうひとつ、実はこのほら貝がただのほら貝だった場合も考えられる。答えを求めた主人公は、老店主の奇妙な話に魅かれ、擬似的に宇宙と交信するのだ。その宇宙とは紛れもなく主人公の内宇宙である。
ほら貝の外装についての描写は、主人公はほら貝が変哲のない置き物であることを知っていることを仄めかした。ほら貝の返事は、父親が口を滑らした守秘義務の事項――東の空の星星に関するものであったとすれば、訊ねても詳細を教えてもらえなかった少女のフラストレーションが高まった結果、いわゆる自己完結に過ぎないのではないか。
だからこそ、ほら貝から聞こえてくる声は宙に浮いている。実際に声として描写されない。それは少女の内側から発せられ反響した答えでしかないからだ。
これが、作者が思い描いた『エコーエコー』である。


回答自体が意味を成すことについて、は触れられた。
自らへの没入についても、触れられた。
本作に込めた二つの意味合いをそれぞれに指摘した感想に出会えるとは思えなかった。
これぞ感想を書くという行為。うん、はー満足。


ちなみに、批評ももらったので一応あげとく。
http://tanpen.jp/vote/104/fin/0.html#date20110607-223224
19 『エコーエコー』 吉川楡井 2
いいと思うんだけど、ほんと「そうだね……H、A、TEだね。」ってとこが目が覚めるほどのかっこわるさなんだよな。いちゃもんをつけてるみたいだけど、ほんとにこういうとこがだめなんだ。
http://tanpen.jp/vote/104/fin/18.html#date20110608-184259
『エコーエコー』
舞台設定もカタカナの使い方も、なんだか一昔前の流行物のようで気になる。 今時これでいいのか。

いや、それはいちゃもんじゃない。たぶん作者でなくて、読者だったら俺も即座に言ってる。S、A、G、A、佐賀みたいだねって。Y、M、C、A? いやいやそこはP、T、S、Dだろう。 
常に後ろ向きの俺に最先端求めないでくれよ(笑)一昔前の流行物っていうのがどのあたりを指しているのかが問題なんだけど、きっとそれは僕好みのあの時代を指しているのではないか。最近のSFも読むんだけれど妙に満腹になれないのは、きっと僕の感覚が今時ではないからなのだろう。とはいえ、『エコーエコー』の世界観は、影絵というイメージからして、幼少時代にNHKで見た何かしらのオマージュである。最早それが何たるかは思い出せないし、検索することも出来ないほどに情報が欠けているわけで、こんな言い訳がましい返答もすなわちイミテーション。

[追記]
ハードロールさんより
○『エコーエコー』/吉川楡井
煙に巻くよな造語と小道具で近未来感を演出しているが、要はパソコンやケータイなのである。逆に仏教の経典なんかに、こういう話はいくらでもある。
パソコンやケータイ……まあ、何に喩えられてもいい。情報ツールを他の何かに置き換えたところで、本作の何が変わるわけではないし、重要なのは情報を受け取る行為、発信する責任の是非であって、時代感うんぬんの問題ではない。
仏教の経典には明るくないのでなんともいえないけれど、確かにこの物語の真髄はありふれているものだ。だから上述の感想にも繋がるのだけど、本作に目新しさを求めてもらってもお門違いだし、古き物語の骨格やテーマを採用したことのみで作品を語るのは野暮というものだろう。
何せつまらない物語はそれすら出来ていないし、しようともしていないのだから。
なのにも関わらず、日常性の会得、親近感の強調さえあれば読者の共感が得られるという物語力の希釈こそ問題だと思う。いや別に特定の作品について言っているわけじゃありませんがね。


まあ、長々と書いてきましたが、
これもね、返書とはいえ自分のために書いているわけだから、そのものずばり『エコーエコー』なわけだ。

はい、おあとがよろしいようで。
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