リゾート地の端の、稜線に広がる森の高台に家はあった。元は別荘として使っていたものである。十数年前に知人から譲り受けて、数年は休暇の際に使用していたが、最近はすっかり疎遠になっていた。入口にちょうど対峙する扉が寝室だ。今でも、二つのベッドが置かれている。シーツは二日前に交換した。室外はすでに黄昏ていて、室内の灯が窓の向こうに広がる薄紫の闇を浮き立たせている。
熱りが冷めぬ前にメイコが着いた。愛車のキューブが下の舗装道路に停まっている。着いて早々、メイコはスコップと寝袋とビニールシートを持ち出して来て、「準備はいいわ」と素っ気なく言った。「そっちは?」
「ああ、予定通りとはいかないが」
ふと、メイコの耳が何かを拾ったらしく、奥の扉を睨んで眉を顰めた。「まだ済んでないのね」
何を言っているのか分からなかった。私がすべきことはもう既に……。
「懐かしい。原田知世かしら」
『彼と彼女のエチュード』。メイコが言った。私が好きな曲だ。原曲はELSAの『TEN' VA PAS』。奥貫妙子が訳詞し最近では坂本美雨が、そして原田知世がカバーしている――。
「悲しい歌よね。父親に置き去りにされる女の子の歌」
メイコがこちらをチラっと見た。「皮肉よね」
何かがおかしい。一体彼女には何が聞こえるのか。扉の向こう。娘がいる。前の妻との子だ。メイコと生活するようになって、彼女に懐かず、徐々に邪魔になってきた娘。つい先程――。
「早く殺してきてよ」
メイコが声を押し殺した。聞かれるはずはない。さっき娘はこの手で――。
「もうあんな歌、歌わせないで。気味悪い。車で待ってるから」
メイコが踵を返し出て行く。歌――。自分には何も聞こえない。娘の亡骸とを隔てた扉に振り向いた瞬間、外で轟音が響いた。メイコの愛車から火柱が上がっていた。炎の中に人影が見えた。運転席でもがきながら、業火と悲痛に歪んでいるメイコらしき顔が見えた。それは炎の中に沈んで、すぐに影も形も見えなくなった。
その時、背後からか細い少女の歌声が聞こえた。『Ten' Va Pas』だ。娘の声。さっき首を締めた感触が掌に残っている。絶命は確認したはずだ。
“Ten' Va Pas,Si tu m'aimes ten' va pas~
Papa ne ten' va pas”
扉に歩み寄る。
私は何とも言えない悲哀と怖気に駆られながら、扉のノブに手をかけた。
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