なに聴く? と訊いて、ほらあのCMの曲、とか答えてよこすぐらいの勢いで、冒険は事も無げに終わるのだ。ほらあの、っていうのは「ほら、あの」っていう寝言の端々みたいなもので、けっしてこの高速道路、灯りの消えた夜のダストシュートみたいな一本道に似合いの、恐ろしげなCMが流れているわけではない。もっともその曲が流れている奴の脳内では、身の毛のよだつ映像上映会なのかもしれないのだが、さっき県の研修センターの庭で首を絞めたからなのか、もしそうだとしたら残念だ。確実に息の根を止めたはずなのに。乱れた脈は転調を繰り返して、やがて沈黙していったというのに。
とにかく奴は早かった。後ろにぴたっとくっついているのが精一杯だったけれど、じきに俺の体力も尽きてくる、互いの距離はどんどん離れてくる。なに聴く? と訊き返される。BGMは不要だ。エンジンと奴の速度に切り裂かれる風の音で、交響曲もノイズにすらならない。おや、ビルの屋上から悲鳴。ご当地アイドルグループのひとりで、マネージャーの手帳に挟まっていた遺書が見つかった。書きなぐった五線譜。四歳からヴァイオリンを習っていたことはプロフィールにも載っていない。俺も知らない、けど今、本人が教えてくれたのさ。
奴はまだ走っている。まるでアレックス・デラージのようだと、思ったね。ベートーヴェンを引き連れて、暴風雨のようにやってくる。後ろに流れていく光。カーステの調子でも悪いのか、奴の聴くベートーヴェンがとたんにおとなしくなった。奴は知らない。俺が母親のいない子どもを育てているということも。俺以外に、身寄りがないということも。走り続けろ。
ボンネットが衝撃を受けて、奴は目を醒ました。おお、アマデウス。奴は呻いた。奴のヘッドライトが血の帯を切り裂いて、走り去っていく。ドップラー効果のベートーヴェン、……なんだって、奴に言わせりゃそれはモザートだとさ。そうか。弦楽器が嗚咽を奏で、三秒後にはケロッとしている、すぐに路上の冷たい静寂。闇に置き去りの、自損した俺の愛車のシルエット。そうだね、殺されたのは俺たちの方だったね。遮音板にぶつかり、アスファルトに崩れ落ちた。じゃあ俺たちも聴こうか。疾走する悲しみのモーツァルト。俺は奴を追いかける、だからきみは響かしてくれよ。昂揚するのさ、悲しみに。
もっとも俺たちゃモーツァルトなんて聴いたこともないのだが、まぁいいのさ。
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