訪れて驚いたのは、この能力をもつのが私一人ではないということ。そして同じ景色を眺めた同士たちが、今なお沈黙しつづけているということ。
「心理相談のようなものだと思ってください」
出迎えた館長は親切に案内してくれた。『光あれ』――通路の入り口に展示名が掲げられている。数枚の絵画が語り継ぐ、この地の神話。
「無理はなさらずに」
私は頷いた。一枚目、舞台は海のうえ。鉱石の肌をもつ半裸の女――ガラテアが雲をかき分けてくる。背中には純白の羽。後光。
「その昔、女の天使が降臨した。凍えた彼女は、港の少女に服はないかと訊ねた。靴下しかあげられないと少女が言う。仕方なく彼女は、近海を分厚く覆う深緑の布を纏う……いかにも、港湾の製紙工場が吐きだした廃棄物です」
傍らの台には毒々しい赤のオブジェが備えつけてあった。雫型の歪んだ造形。プレートには『赤い靴下 タゴノーラ港・紀元前71年』との彫琢。色味こそ赤だが馴染みある靴下型には程遠い。
「ふつうの人には、靴下に見えるんでしょうか」
私は尋ねた。ええ。館長は頷いた。
それからガラテアの絵物語は、ガスや汚物を吸収しながら各地を巡る様を描き出す。人々の歓喜。「水銀、コバルト、カドミウム」と喚くデモ行進の頭上を通り、スモッグを晴らしていく。しかし場所を選ばぬ飛翔は、汚染物質を無関係の土地にばらまくことにもなった。北上した先で、ガラテアは討ち滅ぼされた。気鋭の発電所が雷電で灰泥を乾燥させたのだ。絶縁体であるはずの本体も動きを封じられ、石棺に幽閉された。それから五千年。人は、電気を神と崇めた。
絵画の傍らには、笑う少女の面。一般人には目覚まし時計に見えるらしい。ガラテアの覚めぬ眠りを示す、壊れた時計……。
美術館を出、外気を吸う。無味無臭、しかし胸はすいた。
「皆さん授かりものだと悦んで帰られます」館長は言った。清浄なものが汚穢に見え、またその逆に見える能力。私のも神の賜り……そう思ったとき、高台の発電所が目に入った。この湾岸は少女の笑みのように潔白な輝きをもつ。しかし私には酷く汚れて見える。発電所から垂れ流された無色透明の水が、光も通さぬヘドロに見える。ただし同士が口を噤むのも分かる気がした。穢れを暴く……それすら創作された美談であるように思えたからだ。
耳の底でシュプレヒコールが響く。
水銀、コバルト、カドミウム、クロム、カリウム、ストロンチウム……。
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