小学五年の時だ。
家と学校を繋ぐ、住宅街の中に四方を緑色のフェンスで囲まれた公園があった。遊具も揃っていたが、長い休みでも、何故かあまり賑わうことはない。子どもたちにとってはすでにTVゲームが日常の遊びとなっていたこともあるが、実は、フェンスの脇に立ち並んだ桜の木が不気味だったからだと思っている。
公園を取り囲み、優雅でありながら異界の門を思わせる様相。朝露も白光も黄昏も面紗でしかなく、まして桜は燦然とする。手招きをするかのように風に揺れる枝垂れた枝先。僕も当時は、怖かった。
“桜の下には死体が埋まってる”。
歳の離れた兄が、夜話に持ち出したのがそもそもの発端。でも、それだけではない。
始業式の日だ。学校帰り、二時頃だったか、一人とぼとぼ歩いていた。ザクッと音がしたのは公園の方からだった。桜の木の根元を男がシャベルで掘っている。不思議なことに男の風貌はよく覚えていない。ただ黙々と地面を掘り続ける姿ばかりが印象に残っている。途端に気味悪くなって、その日は引き返し、遠回りをして帰った。
明くる日。
事件はさも初雪が降り積もった時のように静かに、唐突に、街に訪れた。
その公園で死体が発見されたという。通学途中に、現場を見た。ニュースを聞いて、死体は根元に埋まっていると思っていた。きっと男が埋めたのだと。とあるファンタジーの主人公にでもなった気分だった。だが、違った。
白い朝の光景の中で、淡いピンクの花をつかせた太い枝幹に縄を食い込ませ、開く花びらに半身を覆い隠されながら、あの男が首を吊っていた。
後にも先にも赤の他人の死体を見るのはそれっきりだが、死とは――いや、それを含めた数多の出来事は、幻想的でありながら、明瞭と現実を感じさせる力があるのだと思い知った。
男が何故地面を掘っていたのか、結局解明出来ぬまま、毎年こうして思い出す。小学五年の放課後と、死体を隠す桜の樹々。
幼い頃に住んでいた小さな街に、ある日舞い降りた一大センセーションは今でも語り継がれていることだろう。
謎が謎を生み、やがて新たな伝承となる。
誰か真実を知る者が、それを明かすことなく埋葬されたとしても、上澄みだけは人々の記憶に刻み込まれていく。たとえば、僕がそうだったように。
でも、あの時どうして誰も気付かなかったのだろう。
事件が起こった日は、まだ一月。季節は冬――。
桜の花など咲くわけがないのに。
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