廊下にたたずんでいる騎士の瞳は夜赤く光るよ。
真冬、外は雪が降りしきり、カーディガンを羽織ったうえから鋭い冷気がもたれかかってくる。足取りは重く、手探りで闇のなか、用を足しに屋敷を彷徨っている途中、無邪気な子どもの声を聞いた。薄暗がりに蝋燭が揺らいでいる。火はとうに落としたはずなのに、白い影のような炎が現れては消えるその場所は、いつだか手伝いの若い娘が拙い文字の落書きを見つけたところ。
騎士なんて、甲冑なんて、この廊下にありゃしないわよ。声はなく、白い息だけが出た。月の光が差し込んで硝子窓が軋む。それはあたかも逃げる子どもの笑い声のようで、憎たらしいわとわたしは感じた。とても大人気ない。
自身への活力のため、そして戒めのため、長いこと廊下の壁にポスターを貼ったままにしていた。出したアルバムは十二枚。獲った賞は幾つだろう。売れた枚数……途方もない数だと思う。ただそれらのお陰でこの屋敷は建ち、壁の手触りも花の香も、マスコミも近寄らぬ、噂を頼りに幾許かの好事家たちが集まるだけの見世物めいた住まいはある。
ひとりで住むなんて贅沢でしょうとからかわれることも少なくなった。意外と手狭なものよと答えていた。ひとりは楽なの、と返せば誰もが憐憫と憧憬の目をくれる。知った気でいるのはわたしも同じだろう。わたしは家族を持つことの辛みも愉しみも知らない。
昨夜、事務所から連絡があって、昔の曲を若い歌手がカバーするらしい。手伝いの娘に手話で承諾の意を伝えた。廊下の窓に目を背けながら、受話器が落ちる音を聞いた。偶々目に入ったポスターの自画像は、稚さも色気も、そして声も失う前のわたしで、まだそこにいたのと呆れてしまう。そろそろこれも外しましょう、必要ないから。広間から出てきた娘に伝え、自室に戻る。
喉の経過を尋ねて来る医師からの文や、事務所から来る収入明細に交じって、ファンレターが今でも届く。繙くことはしない。あの頃のわたしは別のわたし。若い頃、ゴシップが出回ったときなら少しは動揺も覚えたけど、悦ぶにはもう老いすぎた。
疲れたの、女として生きるのは。曲のために抱かれたり、子どもを孕む夢を見たり。磨り減らした女の魂はいま、痩せ細った抜け殻となる。
きっと廊下の外れに蹲っている坊やの影は、身寄りのない女への惑わしなんでしょう。下腹部の疼痛は何処へやら、きっとそれも何時かの夢。
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