「映画を主題とした映画って言えば、『ニューシネマパラダイス』で満場一致」
明かりがまだ落ちぬシネコンの三番F、E―十五席に腰かけ上映を待つ僕ら。隣の席の彼はそう言って、携帯電話をマナーモードに設定した。
「ドキュメンタリーは好きじゃない。創作だからこそ煌めく美しさ、感動もあるのだと思う。映画はシナリオだけじゃない。撮り方、演技、音楽、最近じゃ字幕を読むのだって面白い。映画によって映画について考えるっていうのは、深いよ」
決して囁き声でない彼。他の客に迷惑だと思った僕の心配は杞憂だった。百人ほど入るフロアは僕ら含めて、五、六人。それぞれの座席は頭も見えないほどにばらけている。
「『マジェスティック』は映画館をモチーフとしているけど、ジム・キャリーの出ている映画だったら『トゥルーマン・ショー』の方が深く考えさせられる。あれはドラマの話だけど」
彼の映画談義は尚も続いて、上映時間中も語られたらどうしようと不安になった。
「小説はね、一人で書けるけど映画は一人じゃ作れない。小説を主題とした小説と映画を主題とした映画の違いはそこさ。つまり観客に与えるものが違う。小説は作者の一私論だけど、映画はいくつもの要素のコンプレックスだから」
僕は居心地が悪くて、彼の独り口調に相槌を打つのも次第にぞんざいになってくる。
「小説と映画はどちらも人生の縮図さ。登場人物のね。でも、一つ大きな違いがある。何か分かるかい」
僕は首を傾げた。
「エンドロールがあるかないかだよ」
彼の瞳がくるりと輝くのが見えた。
「人形劇だろうとアニメ映画だろうと、必ずエンドロールが流れる。つまりそれって観客に対する警告なんだ。感情移入しても結局、現実に引き戻される。登場人物がただの俳優だと明かされるのさ。その順番も決まっている。誰が主役で、誰がちょい役かもね。……果たして君はエンドロールの何番目に来るだろう?」
そこで上映のブザーが鳴り、スクリーンの幅がカーテンで調整される。映写機の音がして、僕はふと考えた。これから観る映画は何という映画だったろう。それもこの世に生きる誰かの縮図なのだろうか。とすれば、誰の。
その中で僕はエンドロールの何番目に来るだろう。すると、隣の彼が囁いた。
「僕は決まっている。一番最後だよ。“Director”という肩書きの隣にね。だから僕にはこの言葉を言える権利があるんだ。――カット、OK」
――暗転。
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