「早く起きなよ」
頬が痛かった。ずっと組んだ腕の上に乗せていて、袖口の跡が頬に残っているようだ。頬を擦りながら起き上がると、棚に並んだアルコールの瓶が目に入ってきた。暗い店内にライトアップされたボトルたち。わたしはバーのカウンターに座っていた。頭が重い。
「飲みすぎた?」
隣には彼がいた。彼は眉を顰めながら、ロンググラスに入ったビールに口をつける。慌てて店内を見回すと、客はわたしたちだけになっていた。マスターの姿はない。
「いつから眠ってた?」
五分ぐらい前から、と彼は答えた。
「あんまり起きないから急性アル中になったのかと思ったよ」
彼が笑うと、タイミングよくマスターが戻ってきた。その手には二つのグラスが握られている。最後、マスターにとっておきのものを作ってもらうんだ、と彼が言った。
出されたカクテルは奇妙な色をしていた。都市の夜景のように、暗紺色にきらきらと白や黄色の光が煌いている。カクテルとは思えない。お連れのお客様から、とだけマスターは言って、再びカウンターの奥に消えてしまった。
「俺のオリジナルカクテル。マスターに作ってもらったんだ。名前は、銀座鉄道の夜。洒落てるだろ」
一口飲むと、爽やかなコーラの味。でも、それだけではない。もちろん、酒の味もする。
「作り方は企業秘密な」
バーを出て、夜の銀座を歩いた。時刻はもう真夜中を回っている。歩いている人はちらほらしかいない。彼と繋いだ手が汗ばんできた。酒の力もあるのだろう。それにしても、東京の夜は暑い。
「さっきのカクテル、どうやって思いついたの?」
足取りの軽い、彼に訊いても、教えてはくれない。いつもそう。大事なことははぐらかすのだ。
遠距離恋愛も半年になる。三ヶ月ぶりに、故郷から彼が遊びに来た。彼は普段どおりにしているつもりでも、どこか楽しそう。それはわたしと過ごせるからか、東京に遊びに来られたからかは分からない。そう、わたしにはどちらでも良かった。
ふと、彼が立ち止まった。視線の先には大きな時計塔がある。
「見て、何か気づかない?」
彼に言われて首を傾げる。そこではっと気がついた。腕時計の針はすでに十二時を回っているのに、時計塔の針は、止まっている。分針が、十二の数字を差す時針より、少し左にはみ出したまま。
「魔法はまだ解けてない」
彼の声に重なるように、汽笛に似たチャイムが何処からか響いてきた。
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