「銀座ステーション、銀座ステーション」
ホームは忙しい人の波。ベンチに腰掛けて、ただ魔法が解けるのを待つ。握った手はとうに汗ばんでいて、どちらとも離そうとはしなかった。故郷行きの最終電車――もとい最終の新幹線が、ホームに滑ってくる。屯っていた人々が名残も惜しまず車内に乗り込み、たちまち閑散とする銀座駅のホームで、わたしは彼と二人きりになった。
「明日からまた俺も仕事だよ」と彼はため息を吐くが、それは再び離れる落胆よりも、日常が蘇ることへの失意のせいに違いない。なぜなら、わたしも同じ気持ちだから。彼と過ごした二日間。寂しさは紛れるどころか膨張する。最初は我慢できると思っていた。少しぐらいの寂しさならば、二ヶ月に一度、帰郷して慰めてもらえば堪えられる気がした。浅はかな期待だった。わたしには彼が不足していたのではない。ひとりの生活に耐え切れなかっただけだったのだ。彼以外にいないのだけれど、彼に代わるなら他の誰でも良かったのかもしれない。ひとりの生活を埋めてくれさえすれば。
彼が立ち上がってベンチを離れる。乗り口の傍までわたしは歩み寄り、見つめ合った。
「また遊びに来る」
彼は云う。でも、何故だろう。わたしはそれが叶わない事を知っている。
ベルが震えた。ホームに事務的な緊張感が走って、わたしと彼は、一枚の扉で隔たれようとしている。このまま乗り込んでしまいたい。わたしの頭はそんな願望が満たしていて、彼もそれを望んでいるのだと都合よく想像する。けれども体が動かなかった。
彼の顔が窓ガラスに隔たれ、更に涙のヴェールで隔たれた。淀みの中で、彼は遠ざかっていく。わたしの前から風に吹き飛ばされるように、故郷へ帰っていく。魔法は消えてしまう。シンデレラ・エキスプレスは今夜だけ、今さっきの瞬間だけだった。新幹線の最後尾に点ったランプが夜闇に消えかかる頃、わたしはしばらくベンチに座って休もうとしたけれど、色んな思いが綯い交ぜになって結局アパートに帰る事にした。酔いが冷めた上に涙に濡れた視界は透き通っている。東京の街並みはわたしには眩しすぎた。気がついて、じっと目を瞑る。
軟らかいシーツの上で目が覚めた。掌が温かい。誰かに握られてる感触。頭上から聞こえた声は誰のものだろう。夜通しつけたままだったテレビでは朝の情報番組。煙草の匂い。つけすぎていて、彼の下着を離れない香水の匂い。手を離すと、彼は裸のまま窓辺に歩いて行った。
「デート日和だ」と背伸びをして、彼は振り返った。その背景には故郷の山並み。藍より青し、ほんとうの空。金色の朝陽と果樹園の木々。
「早く起きなよ。どっか行こう」
わたしは今、魔法のない幸福を生きている。
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