手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。
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小人かわいいです。スポイトで応戦する、というのもなんか微笑ましい。
スポイトのくだりは紛れもないサド気質を感じさせる。が、一方で普遍的なペットとの接し方のようでもあり、なかなか味わい深い。まぁ、そっから思いついただけなんですが。
ありえないものにしがみつくような文章が良かったです。
この、しがみつく、という行為への意欲は慢性的な病でありつつ唯我な活力でもある。そういう人で永劫ありつづけたい。
小人かわいい。
(なゆらさんのブログ『リッスン・トゥ・ハー』より)
(投票より)美しい文章ですね。
詩的な感覚の文章がつらつらと並べられていて、読者はそれを追いかけている。
この文章はそんじょそこらの知識じゃ書けん。
読書量、執筆量、一定の量に達したものだけが書けるのです。
ですから、手放しで敬うべきなのであります。
大いなる知に対してぼくらはもうすこし寛容でありたい。
とても誇り高いんだけど、ここでいわれている《一定の量》とやらが俺の量りとは違う気がするという違和感。2バイトの全角と16ビットの半角はやっぱ違うんさ。
描かれているイメージがどれも好みでした。あと必然性が高いというか、文章が書かれるべくして書かれたみたいな説得力を持っていてすごいと思う。
最後の流れとか、なんで「勇敢なあの子」なんだろうとか掴みきれてないところもあるんですが。
創作に必然性なんて感じようたって感じない、昔一度だけ感じたけど失敗に終わった。同様に他人の作品に必然性を感じることはままある。恍惚の寸前みたいな感じで躍起とするんだけど、作者にとってはどうでもいいことだったりする。それに気づいたんだけど、別にいまそれに気づく必然性はなかったな。
神話的雰囲気がすごく良かった。よくわからない部分が多いけれど、震災がテーマだと思った。ただ現実の震災を思い浮かべると、この力強い文章さえ弱く思えてしまった。
俺の創作理念てのは現実逃避でしかない。だからこそ弱い世界に逃げ込んでどうするんだって話なんだけど、やっぱりフィクションは現実には敵わないよねなんて囀ってる輩がどれだけ多いことか。本作の場合は俺の爪の甘さが出ちゃってるからしょうがないとして、敵わないのは当然だって思ってるからこそフィクションは存在するとなぜわからないのだろう。だから人間を辞めずに済むというのに。
(投票より)『聖母へ』 7
うーぬ、むつかしいですね。読み慣れぬために時間がかかってしまいました。
言葉の量とか、質なんてのはもう文句が付けられないほど他を圧倒しているんです。
これを目指したってダメだな、と思わせるんです。
が、結局読み終わった後にあんまり残っていないことに気付きます。
不思議な感覚です、非常に危うい感覚です。
本作については別項で汗だくだくで書いている。だからこそ言えば本作のテーマはハリケーンサンディの奇行である(嘘)。カオスは混沌と訳されるけど、一般的な自意識の前では華麗なる消失に裏付けされたものだと思う。
よくわからなかったけれど、文章の雰囲気で。
雰囲気小説しか書きません。だってそれが好きだから。
(なゆらさんのブログ『リッスン・トゥ・ハー』より)この空気を崩さずに、もっと筋書きを分からせることはできないものかなと。
この彼はどの彼だとか。でも正直、じつは彼がどの彼を指し示しているかなどは、そんな重要じゃないんだな、って読んでて思った。
いやーでも、文章を読んでるだけで気持ちいいんだけど、二回目読み直して意味がはっきり分かった方が面白かったので、やっぱりもったいないな。
結末まで、じっと中心のことを避けて書いてるのが、忍耐力いりそうだな、と思った。
忍耐力というよりか記憶力と注意力が必要。総じて忍耐力と呼んでも差し支えないのだけれど。話としては、いかにも、誰がためなのかわからないってのが要です。
『誰がために潤う風』 8
それほど意味のあることは書いていないのですが、
高らかなる格調はすごいですね。
様々なモチーフがふわふわと漂ってきて、少しだけ頬をかすめて、どこかへ舞っていく。
その連続で成り立っている。本来、小説というのはそういうものなんでしょう。
原点を知る、と作者の文章を読むたびに思います。
よく格調がどうしたこうしたとかって言われるんですよ。僕の作風。それでドキッとして、格調なんて気にしたことなかったし格調って言葉の意味さえ知らなかったから、辞書引いたら、品格とか気品って似たような言葉に生まれ変わって、また遡れば、上品で気高い趣きとか出てくるから、下品で下賤な作風であるはずの俺にとっちゃ営業妨害です。でもなんかかっこいいから許します。
(霧野楢人さんのブログ『年平均気温6.2℃』より)ちょっと眠くなってきちゃったんでなんか分からなかった。
映画の予告編を見ているみたいな、ダイジェスト見た感じだった。
走馬燈って謂わば人生のダイジェストだ。
(同じく投票より)場面の切り替わり方が大きく、壮大な物語の断片を垣間見ているような気分になった。何がどうなっているのか分からず、読後感としては消化不良であるともいえるが、奇妙な世界観がこの消化不良感を丸め込んでしまうように感じられて、結局肯定した。場面同士は全然違うのに、それぞれの間の空隙にムラがない感じ、というか、虚構としての広がりを空隙の中にビシバシと感じた次第である。
(なゆらさんのブログ『リッスン・トゥ・ハー』より)なぞめく世界観に神経が刺激される。大きな物語の断片を垣間見ているような感じ。さらに断片のようでいて、結ばれる段落同士の間隔にムラがないようにも思える。場面の切り替わりと一緒に時空を旅しているような気分に浸る。モノリスで検索したら、どうやら宇宙の旅シリーズ関連のようだが、それとの関連はあるのだろうか。
モノリスってこれのことね。有名な石のヤツです。本作については、あんまり語りたくないけど後述。
『不機嫌なモノリス』 8
これも複雑ですね、しっかりと状況を把握しながら読まないと。
冒頭の猿山はなんだったのでしょう、つながっているのでしょうか。
聞いてみたいところですが、やや流れが悪かったとも感じるのですが、いや、
不気味さを演出する上でこのぐらいがちょうどいいのだよ、と言われそうです。
なんで猿なのっていうのは『2001年宇宙の旅』つながりとだけ、言っておきます。まぁ郷帰りみたいなものですよね。猿にとって。不気味さと言うよりか、神秘さ、ですかね。大事にしたかったのは神々しさってところです。