肉体が三つに分離する心地を忘れたことがない。それはあたかもあの夏のカルタ遊戯が前線に置いた三枚のカルタを使って仕掛けるルールだったのと同じように。
逃げても空腹は影のように追いついてくる。先の震災にかまけた食糧難と三文字で片付ければ役人は喜ぶだろうが、腹の足しにもならぬ少年時代の私は土手を歩いていた。汗のしみた瞼をこすると、堤防にできた穴のなかから同い年ぐらいの少年が手招いているのを見つけた。粥でもくれるのか、芋でもいい。白昼夢、頓狂という言葉も知らぬ年頃である。目に入るものすべてを信じきった。
薄暗い穴のなかに立つ半裸の少年の足元には手のひら大の紙片がばらまかれ、細筆で緻密に描きこんだものから、乱暴に絵具を塗りたくったものまで様々な絵が描かれていた。
三枚選んで並べる。整えたら一枚選び、前に出す。勝ち、負け、と少年がつぶやくままにカルタを弾いていく。カルタはいやに軟らかかった。紙にしては滑りがあった。負けたカルタは奪われる。そもそも勝敗は少年のつぶやき一つでしか決まらない。私はあっさり敗けたが、それでも甘美な時間を過ごした気分だった。
回数を経るごとにカルタは穴の暗部に吸い込まれて消えてしまう。
補充しなきゃ、と言って少年は私の指をとった。さらに自らの首筋にあて、切り取ってと耳朶に塗りたくるような声で言う。そこには確かに切り取り線に囲まれて、カルタそっくりの模様が浮き出ていた。はがされた皮膚はたちまち束の一部になった。肌をすりよせるうち私も脱いでいた。肩幅は広がり、背丈は伸び、体毛は濃くなって声も太くなった。私の肉体だけが成長してしまっていたのである。愛撫してはシャッフルし、接吻しては対戦をした。もとから闇の中。黄昏たのにも気付かない。
空腹感が戻ってきて、私は穴を去った。皹きれて河原の砂まみれのつま先が蹴った小石が軽やかに草むらを抜けてジャポンと着水した。
私は裸同然の恰好でカルタ一枚握りしめながら、土手に立ちつくしていた。紅炎の暴走のごとき夕焼けが対岸を染めていた。元は家屋が建ち並ぶ一角であったはずである。しかし、今まさに広がっているのはさながら広野、地に伏した材木の残骸だけが家屋の面影を想像させるばかりなのだ。轟音が空を駆った。銀色の機体が横切っていき、爆雷を吐いた。聞こえていないふりをしていたのか、今になって悲鳴と呻きが狂騒となって現れた。腹が鳴った。握ったままのカルタを私はつい口に頬張った。乾いた湯葉の歯触りである。遠くに雲が見えた。腹の中のカルタとおなじ茸のような雲。二十年過ぎていた。
飛ばしてしまった時間のぶん、長命に呪われているのかもしれない。年齢は三桁になり、世紀が変わり西暦の頭二桁が変わっても私は生きていた。呪われた原因は少年を抱いたからなのか、皮膚を食したからなのか、考えをめぐらすうち少年の言葉を思い出した。
惜しいね、そっちの一枚使えば勝てたのに。
教われば教わるほど不可解なルール、不条理なゲームだ。根拠のない勘で投じるだけなのに、否、だからこそ途轍もない悔しさがこみ上げた。判断遅れが破滅を招く、おおかたそれと同義なことを彼は言った。よく覚えていないのは、そのとき彼の肩甲骨に埋まったカルタを切り取るべく私は躍起になっていたからだ。
もしそれが切り札だったなら何か変わっただろうか。半分も開かぬ瞼で眺める老人ホームのベッド備え付けのテレビに、これみよがしに放送される原発建屋の爆発。肩甲骨の絵に似ている。余震。余々震。一九二三年晩夏の揺れを思い出し、またどこぞの穴に現れてはくれぬかと少年の皮膚を求めて、宙を弄る皺くちゃの手。
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