○/もう二年になるか。そうだなあ、何も変わってないね、俺は。確かに奴とは仲がよかった、けれどね、別に離れたような気分にはならないんだ。こっちが忘れた頃にぶらりと顔を見せるような気がしてね。
△/実は私、いまだに理解できていないの。本当にあんなことする必要があったのかって。ケンちゃんが麻子のことそれだけ愛してたって知ってるけど、でも人生を犠牲にするなんて……まあ、そこがケンちゃんのいいところなのかな。
□/被験者であった彼に命じたのはひとつだ。決して自殺はしないこと。苦しくなったらいつでも伝言を〝刻む〟ように言っておいた。こちらで二年だから、彼の体感時間は四年。予測は超えた。早ければ一年、長くても二年しかもたないと思っていた訳だから。
○/〝刻印〟なんてくれやしないよ。もしかしたらわざと俺の周囲には近寄んないのかもな。奴はそういう男だからさ。だから俺も〝刻む〟ようなことはしない。互いに照れるようなことはしないさ。俺らは昔からそうだったんだ。
△/〝刻む〟のを嫌がる人も多いわね。でも、私は早く彼に戻ってきて欲しいからやめないわ。馬鹿なことしてないで早く帰ってきなさいって。
□/シミュレイトした他者の人生を己の人生に重ねる。〝ダブり〟の技術が賞を得るか実刑が下るかどうかは彼にかかっている。十年の契約期間は長すぎたかもしれないね。
○/奴は幸せなんだろうな。望んだものを手に入れて。一般化されても俺はやろうなんて思えないけど。
△/麻子は病を苦にして死んだの。ケンちゃんのせいじゃない。麻子の登場しない麻子の人生なんて、馬鹿げてると思うわ。
□/実は羨ましくも思ってるんだよ。彼は今、最も濃密な時間を生きているのだから。二人分の人生をね。彼の強い意思もまた羨ましい。だが、二度とマシンを使いたくない気もする。二人分の人生が圧し掛かってくるようでね。
変わらぬ風景に、他者は影。麻子の面影を探して僕は無駄な時間を累進している。けれど、与えてくれたことへの感謝はやまない。
自宅の壁にその文面が発見されて以来、彼からの〝刻印〟は見つかっていない。
去る202×年2月14日付、契約期間は満了となったが、彼は戻ってきていない。
研究所は開発を断念。現在、技術はサイコセラピーに流用されている。
関係者への訴状は取り下げられたが、主力技術者の失踪が世間を賑わせている。
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