誰もが月は黄色いものだと信じていて、望遠鏡の開発まで二百年、塗師の誕生まで千年ほどの時間がかかった。塗る前夜になると塗師の家では、刷毛と顔料を持ちだして仕度をはじめる。刷毛はていねいに清水で洗い、毛が軟らかくするために揉んでやる。根元のほうでこり固まってしまうと斑ができてしまうから、こちらも丹念にほぐしてやる。じゅうぶんに乾かしたあとはナイフで先端をととのえる。さらに繊細な刷毛遣いができるかどうかは、この工程で決まる。
顔料は鯨の油を敷いた椀のなかに鉱石をすりつぶし、篩にかけ、粒をできるかぎり細かくする。指を動かしただけで粉塵が舞うような、それぐらいのきめ細やかさが必要だ。水を注ぎ、まずは粘らせて、それから薄める。粘り気は塗った時にかすれさせないようにするためだ。
わたしは月が青くても黄色くてもどっちでもいい人間だ。けれど、賃金がもらえるから顔料作りの手伝いをしている。隣のマチコもそうだ。マチコは四つと二つになる男の子を育てている。
子どもたちの父親について、マチコは語ろうとしない。大陸の岩盤掘削に借り出されたとか、南天の浜で波乗りに興じているとか、詮索しようもない話ではぐらかす。塗師が近づいてきて、わたしたちの肩を揉んでいく。指先の長い爪が食いこんで血が垂れる。しずくが椀の中に入り、青い顔料が紫に染まる。それをまた青に戻すため、わたしたちはすりこぎを動かす。
でき上がった顔料は樽のなかに入れて、橋まで運ばれていく。今年のチケットは売れ余ったようだ。川岸を埋める見物客の数は、昨年とくらべると明らかに少ない。操橋士の男がレバーをいじくって橋の先端を月のたもとに近づける。翼と鎧と、塗り道具に身を固めた塗師が橋をかけ昇り、月面にぴたとはりつく。樽に突っ込まれた刷毛が月面をなでると、金色があざやかに夜闇に染まっていく。塗りつぶされた直後の月は光を反射することもないわけだから、日が沈みきったばかりの夜空に溶けこんでしまい輪郭さえはっきりしない。けれど、人は描かれていない絵を見ることだってできるはずだ。この毎年の催し物はそんな詭弁からはじまった。
先に仕事をあがったマチコが家族で見にきていた。二人の男の子を挟むように立っている黒い影に向かって、マチコは微笑みかける。次第に月は青白く輝きたつ。汗を拭いて腕を組む塗師は、その後ろで刷毛を洗うわたしにも、銀貨だけは与えてくれるのだ。
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